僕の顔に免じて許してよ「はぁ?」
「えっ」
「なんですか」
「いや、なんですかっていうか……えぇ?」
予想していなかった返答と表情に、思わず呆けた声が口からついて溢れ出る。聞き間違いか、見間違いか。そう思って一度強く目を閉じてみたけれど、開いた視界に映るのは先ほどと変わらぬ仏頂面であった。
視線、口元、顔の角度に声色。どこをとっても異常はない、完璧な僕であった。長年の経験で培ってきた武器をここぞと叩きつけたはずが、とんだしっぺ返しもいいところだ。
……いや、嘘だろ? え、マジで?
「あっ、もしかして聞こえてなかった? 聞き返しの相槌!?」
「いや、聞こえてましたけど」
「いいや、わかった! 聞き間違えたんだね! うん、違いない!」
「……じゃあもうそれでいいんで。もっかい言ってください」
はぁ、とため息を吐く姿は、到底人に頼み事をする姿勢とは思えない。とはいえ僕だって武器が正しく効力を発揮できないのはシャクだ。アイマスクを引き上げ髪を整え、一度咳払いを挟んでから再び視線を前へと向けた。
人差し指に引っ掛け、ゆっくりとマスクを首元へと落とす。伏せた目蓋を開けて一秒間を置いて、そう一秒、このタイミングがドンピシャだ。そうして唇を開き、渾身の色を込めて先ほどと同じ言葉を舌の上に乗せた。
「僕の顔に免じて許してよ」
「ア"?」
「待って恵さん、さっきより反応が露骨!」
「アンタの顔なんてもう見飽きてるんで嫌です」
「真っ直ぐに返答しないでくれる!?」
リベンジも虚しく、僕の秘密兵器は何一つ効果のないまま叩き落とされてしまう。なんで。わけがわからない。見飽きた? 嘘つけよ。この顔だぞ? 飽きるか? ……え、本当に?
「じゃあ、もう帰っていいですか」
「えっ、いや待ってよ! なんで帰んの」
「なんでも何も、もう用は済んだでしょ」
「せっかく来ておいてはいお暇はないでしょ! ほらほらぁ、久々にご飯食べようよ!? 僕腕ふるっちゃうよ!」
「遠慮しときます」
「めぇ〜ぐぅ〜みぃ〜!?」
有無を言わせず帰ろうとするその背中を慌てて追いかけるが、恵の足が止まる様子はない。僕の声など気にかける様子もなく、恵は廊下を突っ切って真っ直ぐ玄関へと辿り着くと、揃えられた靴(急いで飛び込んできた割にきちんと揃えるあたり、本当ちゃっかりしてるよねこの子)を履いた。トントン、とリズム良くつま先を地面に叩きつける様子は、悔しいかな、きちんと様になっている。
なんだってこの子はこんなにも人並みの感情を持たないのか。普通なら今頃、ソファに並んで映画デートでもしているところだろうに。
そんなことを思いながら首をすくめる僕の前で、恵はカバンを抱え直して振り返ってくる。そうして細めていた目をきょとんと丸くさせ、くしゃりと破顔した。
「え」
「っ、アンタ、すげぇアホ面してますよ。今」
「……」
「スカしてる顔より、そっちの方がいいです」
そう言いながら伸ばされた右手を避けることなく受け止めてやると、機嫌の良さを表すように指先で僕の目元をくすぐってくる。
「……好きな子の前ではさぁ~、かっこよくいたいじゃん」
「今更すぎません? 少なくとも最近のアンタはカッコ悪いところしか思い浮かびませんけど」
「ィ"~~~! 恵のばぁ~か! あ~ほ!」
「小学生か」
ぷは、と笑いながら、未だ動き続ける指先に、すっかり僕の心もささくれをなくしていく。どっちが年下か分かったもんじゃないですね、と呟かれるのももう何度目だろうか。別にいい。恵の前でくらい自分を見失わせて欲しい。
「……で、本当に帰っていいんです?」
「やだ」
「アンタの顔に免じて?」
その情けない顔にならいいですよ。
そう言って笑う恵の腰を、僕は思い切り抱き寄せた。