気まぐれで付き合いを承諾した悟がフラれて恋心を自覚して恵に縋り付くお話(あらすじ)『好きです』
別になにを求めたわけでもなかった。
ただ、自分の中の気持ちに整理をつけたくて、自分のためだけに紡いだその言葉。答えなんて、見返りなんてなにも求めてはいなかったのに。
『ふぅん? じゃあ付き合う?』
まるでペットでもあやすかのような気軽さで、その人はあっさりと俺の言葉に答えを渡した。
整理するはずが無理矢理ひっくり返されてそこら中に散らばってしまったようなものだ。もう修復もできないそれをどうすることもできなくて、でも確かに気持ちはそこに残ってしまっていて。
だから自分から幕を引いたのに。きちんと終わりの言葉を告げて、扉に鍵をかけて、全部全部閉じ込めたと言うのに。
なのに、なぁ。どうしてアンタはまだそこにいるんだよ。
「……は」
「っ、だから! 恵は終わらしたつもりだろうけど! 僕分かったなんて一言も言ってないし! 付き合ってんの終わらせたつもりだってないから!」
「…………は?」
突然叩かれたドアの向こう、珍しく息を切らした姿でその人はそう声をあげてくる。なんだっていうんだ。予告もなしにまるで殴り込みみたいにやってきて、終わってないって? ふざけんなよ、そもそも始まってすらなかっただろ。面白そうだからって顔して、気まぐれに繋ぎ止められた感情だっただろ。
それなのに、なぁ。どうしてそんなに必死なんだよ。そんなの、まるで本当に。
「……走ってきたんですか」
「……うん」
「術式も使わないで?」
「そう」
ドア枠に手を当てたまま突っ立っているその人は、未だに荒いままの呼吸を整えるように小さく深呼吸を繰り返している。こめかみからつぅ、と一筋、汗が顎のラインを伝い落ちていった。あまりにも現実味がなさすぎるその光景に思わず息が止まるけれど、鼻腔をくすぐるその人の匂いが、これが幻じゃないことを訴えてくる。
彼の目隠しを下ろしたのは無意識下の行動だった。伸ばした指先が布地に引っかかり、そのまま真っ直ぐにそれを彼の首元まで引き落とす。そうして現れた瞳に、表情に、俺は思わず息を吐いて笑ってしまった。
「……なんて顔してんですか」
「……」
「すげぇ、必死っすね」
「……からかわないでよ」
「アンタ、俺のこと好きなんですか」
俺の言葉を受け止めてか、鼻でふー、と息を吐きながら口を真一文字にぐぅ、と結んでくる。間違いなく不貞腐れた時のそれだ。
あぁ。こんなの、まるで本当に──
「……そうだよ。悪い?」
『好き』みたいじゃないか。
「終わりにしましょうって。恵が勝手に諦めたって、僕は君のことが好きだから。絶対に終わらせないし、絶対に離してもやんないから」
そう言う表情だって先程までと変わらない、どこか拗ねたような子供みたいな顔。昔からずっと近くで見続けてきた、変わらない表情。
どっちが年上かわかんないな、なんて言葉は至る人から言われ続けてきた言葉だ。
いつからだっただろう。そんなこの人の態度に呆れ以外の気持ちを覚えたのは。
いつからだっただろう。ちぇーと言いながらバレないように舌を出す子供じみた行動に笑いが溢れるようになったのは。
いつからだっただろう。ただ、この人の隣にいるだけでいいと、そう思い始めたのは。
「……五条先生」
俺の言葉にビクリと震える肩を見やり、一つだけ呼吸をおく。そうして逸らされたままの蒼玉をこちらに引き寄せるために、俺は両手でその湿った首元を引っ掴んだ。
口付けなんて、そんな言葉が似合わないほど荒々しいファーストキスだった。歯を当て、噛み付く勢いで触れたそこからは、微かなしょっぱさだけが色濃く残る。間近で見つめあった瞳の中には間違いなく俺の姿が映っていて、ようやく溜飲が下がったような気がした。
「え」
「とりあえずアンタ、シャワー浴びてください」
「……えっ」
「相当汗臭いですよ、今」
「……えっ、あ、えっ いや、そうじゃなくて……はぁ」
呆然とした顔が慌てふためいたものへと変わっていく様子を至近距離で見つめるのは、ひどく気分が良かった。だから思いのままに笑ってやると、その人は口をもにょもにょと動かして「そーよね、恵はそうだよね……」とだけ言い残してくる。何がどうなのだ。主語を喋ってほしい。
だから、これは最初で最後の言葉。
「汗くさくて、情けなくて、カッコ悪いアンタなら、一緒にいてやってもいいです」
さっき渡された言葉への返事のつもりで告げたそれに、けれど目の前に立ったままのその人は何も言わずにただ目を丸くする。じわじわと赤くなっていくその熱を移されてしまいそうで、俺は垂れ下がったままの左手を引っ掴むとぐい、と中へと引っ張っていった。
「ほら、だからさっさとシャワー」
「恵」
「なんですか」
「僕と、付き合ってくれるの」
「アンタが言ったんでしょ、終わってないって」
「……めぐみ」
掴んでいた手首は離されて、代わりのように背中が熱で覆われる。回された腕が、伝わる鼓動が、汗の匂いが、この人がここにいるのだと全部で訴えてくる。
この人が俺を好きなのだと、全部で。
「すき、好きだよ」
最低な始まりだった。
整理しようとした気持ちをひっくり返されて、散らばってしまって。もう拾い集める気力もないまま、鍵をかけて終わらせるつもりだった。
それなのに、あぁ、もう。たったその一言で全部が元の場所に戻っていってしまう。そうしてまた、俺の中に熱が戻っていくのだ。
あぁ、悔しい。それでも俺は許してしまうのだ。
どうしたってこの熱は、まだ俺の中にあるのだから。
「──今かよ、ばぁか」