シナモンオレンジ「シャディク! わたしと勝負しなさい!」
ひとつ年下の幼なじみが何かしらの勝負ごとを仕掛けてくるときは、あの薄い腹の内に何かしらの企みごとを含ませているときだ。
「わたしが勝ったら、わたしのいうこと何でも聞くのよ」とミオリネが持ちかけてくるのは、ときにカードゲームだったりときにボードゲームだったり日によってまちまちだが、対戦成績は今のところほぼイーブン。つまり、百発必中で彼女の目論見通りにことが進んでいるというわけでもない。二回に一回――少なくとも三回に一回は、彼女は敗者にまわり、企みごとは口に出されることなく次の勝負へ持ち越される。
俺にできる範囲であるならば彼女の望みはできるだけ叶えてあげたいと思うし、負けることは容易いけれど、勝負に手を抜こうものならミオリネは途端に不機嫌になることも知っているから(たまに『あんたが勝ったらあんたのいうこと何でも聞いてあげるわ』なんて条件が付加されるものだから)、なかなかどうして一筋縄ではいかないものだ。
さて、今日の勝負に選ばれたのはテーブルゲームの王道ジェンガ。
残り少なくなったブロックでかろうじて支えられているタワー。それは危険だよと危ぶんでいたブロックをミオリネが抜き取ったが、揺れはしたものの奇跡的に崩壊を免れる。鮮やかな形勢逆転、俺がブロックを引き抜こうとした途端、ガシャンと音を立ててローテーブルの上にタワーが崩れ落ちた。
「わたしの勝ち!」とミオリネが頬をほころばせる。
「俺の負けだね。君のご用命に応じるよ」
「それじゃあリップを塗らせて」
これまた突飛なオーダーだね。
リキッドルージュ?
リップグロス?
どちらなのか定かではないけれど(どちらでもないのかも)、ボンボンキャンディのかたちをしたポーチからミオリネが嬉々として取り出したのは約十センチの縦長の容器。
「目は開けたままでいいのかい?」
「いいけど、口は閉じなさいよ」
「オーケー」
確かチップと呼ぶのだっけ――かすかにブラウンがかったオレンジ色のルージュをたっぷり含ませた綿棒の先のようなものを、ぽんぽんぽん。やさしくたたくようにして俺の唇へ塗布する。こってりしたテクスチャに見えたけれど思ったよりも軽いつけ心地だ。
「この色、絶対あんたに似合うと思ってたの。やっぱりわたしの見立てに間違いなかったわ」
チップを扱う手つきも俺の唇を見つめる面差しも真剣そのもの。あまりにも真剣だから、つい見入ってしまっていたが、
「――も、もうっ!」
チップを動かす手を止めて、ミオリネが俺を睨みつける。
「あんた、じろじろ見過ぎっ! 塗りすぎちゃったじゃない!」
「それも俺のせいなのかい?」
「あんたのせいよ」
鏡がないので自分の唇がどんな具合なのかまったく分からないが、
「塗り過ぎたっていうのなら、持ち主に返さないといけないな」
「返すって、え」
何を、と言いかけた唇に、ふたをするようにキスをする。
そっと顔を離すと、ミオリネの唇がチップの先と同じオレンジ色に染まっていた。ということは、俺の唇もミオリネとおそろいの色に染まっているってことだ。
「どう? ちょうどいい感じになったかい?」
「う、うっさい、ばかっ!」
ひどく子どもじみた憎まれ口――けれどもそれは、照れているときにいつもきまって彼女が吐き出す常套句。
読み通りの反応がたまらなく可愛くて、俺はもう一度、サンセットの色に染まるミオリネの唇をキスでふさいだ。