夏の暑さよりも厄介な夏の訪れを告げる、今季初めての猛暑日だった。
空を仰ぐたびに陽光が容赦なく降り注ぎ、何もせずとも肌を伝う汗がじっとりと服を濡らしていく。紫色のダウンベストを脱ぎ、シャツのボタンを二つほど外しているユメカは、首元の襟をぱたぱたと仰ぎながら呟いた。
「あ~、アイス食べたいな~」
彼女の頭の中には、色とりどりのアイスクリームが花のように咲き乱れていた。チョコレート、バニラ、ストロベリー。暑さに火照った体には、冷たい甘さがこの上なく沁みるだろう。しかし、食べたいと口にした途端、彼女はふと思い直したように首を傾けた。
「でもさ、こういう日ってアイスよりもかき氷じゃない?でもアイスも捨てがたいし……。そうだ!サッドくん、アイス乗せかき氷食べに行こう!?」
不意に向けられた誘いの言葉に、その隣に立っていたサッドは言葉を詰まらせた。先ほどから無防備に襟元を仰ぐ彼女の仕草に、帰る前にひとこと釘を刺してやろうとタイミングを伺っていたのに、この唐突な話題転換だ。
「いや。誘うんだったら、もっと甘いものが好きな奴がいるだろう」
そう言って目を細める彼の声には、どこか呆れと、少しの諦めが滲んでいる。だが彼女はそんな彼のことなど気にすることなく、既にナマコフォンで目当ての店を確認していた。
「おい、なんでもう行く前提の流れになって──」
サッドが差し止めようとしたのだが、彼女は画面から顔を上げると、
「わたしはサッドくんと行きたいんだよ?」
と、さらりと言い放った。
不意に向けられたその言葉に、サッドは一瞬言葉を失う。
彼女の頭の中には、ありとあらゆるスイーツ店の情報がぎっしりと詰まっていた。それこそ期間限定のメニューやひっそりと人気のある店のお勧めメニュー、先月オープンしたばかりの店の看板メニューなどなど、事細かに把握しているのだろう。
今回もそんな数ある情報の中から、かき氷にアイスクリームが乗った特別メニューのある店を提案してきたのだ。「ほらここ!」と楽しげに笑いながら、ユメカはナマコフォンの画面をサッドの鼻先へ突きつける。画面には涼しげなかき氷と色とりどりのアイスクリームの写真が並んでおり、見るだけで冷たさと甘さが伝わってくるようだ。
「普通のかき氷もふわふわ系でめっちゃおいしいんだけど、それにアイスが乗ってるのが最高なんだよね~。食べたことない?」
「……ない」
「えー、もったいない! サッドくん甘いの好きでしょ? クロバはこういうのダメだからさ。あ、でもこの店ってコーヒーも普通にあるから、去年無理やり連れて行った時は『お前それ一人で食べるのか』って顔されたっけ」
そう言いながら、ユメカはくすくすと笑った。
サッドはその光景を眺めつつも、どこか居心地の悪さも感じていた。
甘いものは嫌いではない。だが、誰かと甘味を食べに行くような習慣もないし、ましてや浮かれて誘われるようなこともなかったのだ。
「……で、そのかき氷は俺も食べるのか?」
半ば観念したようにそう問うと、彼女は「もちろん!」と嬉しそうに頷く。
「こんな暑い日はサクサクッといけちゃうよ♪」
〝暑い日〟というワードと共に、再び彼女の襟元がサッドの視界に入った。季節柄、露出の高い服装の女性は珍しくない。しかし、目の前の彼女が無防備にシャツのボタンを外している様子を見せつけられるのは、どうにも落ち着かない。
もしこの場に手頃な羽織でもあれば容赦なく投げつけていただろうが、生憎そんなものは持ち合わせていない。かといって「胸元には気をつけろ」などと口にするわけにもいかず、彼は内心で対応に苦慮していた。
しばし葛藤した末、サッドはようやく口を開く。
「お前、周りに見られてるぞ」
それがせめてもの警告だった。だがユメカはきょとんとした表情で首をかしげる。
「なにが?」
その時には既に、彼女の服のボタンは元の位置まで留められており、襟元はきちんと閉じられていた。サッドは思わず言葉を詰まらせ、無言のまま目を逸らす。
「ん? あはは、もしかしてそんなに浮かれてるの顔に出てた? でもさ、スイーツ食べに行くときって頬ゆるむじゃん?」
事情を誤解したまま楽しげに笑う彼女に、サッドは心の内で深いため息をついた。彼女はとことん自分のペースで、他人の意図を軽々とすり抜けていく。そうやってサッドのペースは、意図せず流れに巻き込まれていく。
「ていうか、のんびりしてたら行列できちゃうよ? 」
早く行こ! と言いながら、彼女はバンカラ街の駅を指差した。
目的の店はアロワナモールにあるらしく、ハイカラ地方まで電車を使って向かうらしい。
サッドは少し意外に思う。歩いて行ける距離かと思いきや、わざわざ電車を使うほど遠い。しかも目的はただのアイスクリームの乗ったかき氷。自分ならまずしない選択だった。
それでも彼女は迷いなく行動し、その楽しさを共有しようと誘ってくる。その無邪気な姿勢が、サッドには少しだけ不思議で、そしてむず痒かった。
甘いものは確かに好きだ。だが、誰かと連れ立って、目的のためだけに街を越えて食べに行くなんて、これまで経験したことがない。
彼は小さく息をつき、ちらりと彼女の後ろ姿を見る。彼女は振り返ることなく、こっちこっちと手招きしながら駅へと歩き出していた。
サッドは肩をすくめ、小さく苦笑すると、そのあとをゆっくりと追いかけた。
Fin.