死神の罪 キース・マックスが死んだ。
ディノ・アルバーニの目の前で。
人は死んだら生き返らない。
流れ出た血はその体に帰ることはない。
いくらサブスタンスの効力で怪我の治りが早いとはいえ、それは瞬間的に作用することはない。大きな傷がすぐに塞がることはない。
どんなに町の救世主として、民にもてはやされる存在だとしても、ヒーローは人間だ。
人間である以上、死というものから逃れることはできない。
そしてヒーローという職種は職業柄世間一般よりも、死のラインに近い。死ぬかもしれないというリスクが少し高い。
しかし、そのリスクも鍛錬を積み重ね、そして仲間と共に行動する、ただそれだけで下げることはできる。
それでもそのリスクは決してゼロにはならない。ゼロにならない限り、戦いのさなかで命を落とす可能性はいくらでもあるのだ。そして、その僅かな可能性はいつヒーローたちに襲いかかるかはわからない。
それが、たまたま今で、その対象がキースだった。
常に世界のどこかで人は死ぬ。遅かれ早かれこの世を去る。
そんなことはディノもわかっている。この世界の理ともいえる常識。
それでも。
それでもどうしてなんだろう、どうしてキースだったんだとディノは納得できなかった。
死んだ人間は帰ってこない。
誰だって知っている。わかっている。死んだらその命を吹き返すことはない。
この現実を受け入れるしかないのだ。否、受け入れろと世界がディノに言う。
ウエストセクターのメンター二人の部屋。キースとディノの二人の部屋。もう二度と主が帰ってこないもう半分の部屋の明かりをつけたまま、まるでキースを待つようにしてディノはベッドの上で寝そべったまま膝を抱えた。
部屋にはディノが立てる音以外しない。ビールが空く音も、ビンがぶつかり合う音も、足音も。
もとより静寂は嫌いだ。世界に自分しかいないようで、置き去りにされたような寂しさを感じて嫌いだった。最初からサブスタンスを持っていた自分を異端であると、世界がはじき出したような気がして。
静けさは孤独を象徴するかのようで苦手だった。
だからテレビをつけた。少しでも気を紛らわせるための音が欲しくて普段は見ない番組を流す。
テレビに映るのは普段ほとんど見ることのない昼下がりのワイドショー。視聴者の悩みを解決しようという番組ではある主婦が旦那の酒癖をどうにかしたいと嘆いていた。
酒癖。
些細な言葉一つがディノに深く突き刺さる。
しかし、テレビというもは一方的だ。視聴者がどんな反応をしていたとしても気にかけることなく、画面の中で会話は進んでいく。
ディノがエリオスに戻ってきたときにはキースはいつのまにか随分と酒を飲むようになっていた。昔はほとんど飲まなかったというのに、四年という年月がキースをディノの知らないキースに変えていた。
しかし、何もかも変わっていたわけではない。他人なんて知らないというそぶりを見せながら本当は誰よりも深くその内面を見ている。本人すら気づいていない心奥深くの傷に気づいてさりげなく手をさし伸ばしてくれる。
それを当の本人言えばオレがしたいように勝手にしてるだけだ、とのらりくらりと交わされてしまう。
だから普段は表だって言うことはなくても感謝はしていた。
きっと直接言わなくても伝わっている。隣にいられるだけで嬉しいのだと表情で伝えているつもりだった。
しかし、もう直接伝えることはできない。
キースはどこにもいない。
もう照れくさそうに笑って誤魔化す姿を見ることもできない。
もう、もう何も。
考え出せばキリがない。何を聞いても考えてもダメだ。
ディノは体を起こすと盛り上がっているワイドショーを流すテレビの電源を落とした。
部屋にいると余計に思考がダメになってしまう気がする。
ベッドからディノは起き上がると椅子にかけていた濃い水色のパーカーを手に取り白いシャツの上から羽織った。
夕飯の買い出しもしなければならない。キースがいない以上自分たちで料理をするか、何か買ってくるしかない。
冷凍食品の備蓄はまだあった記憶があるがいつまでもそればかりに頼るわけにもいかない。どこかのタイミングで買い出しは必要だ。
部屋の電気を消してディノはチーム共通のリビングへと出た。
リビングにはフェイス一人だけがぽつんとソファに腰かけていた。ジュニアがいないということはおそらく自室だろう。
「ディノ」
スマホをいじっていたフェイスが顔をあげてディノを見た。その瞳は心配の色に染まっている。
「出かけるの?」
小さな紺のショルダーバックだけを肩から下げたディノにフェイスが尋ねる。
「うん、ほら、夕飯の買い出し必要だろ?フェイスは何が食べたい?」
「うーん、あまり食べれる気がしないんだよね」
「なら」
「ピザ?」
ディノの言うであろう言葉を先回りしてフェイスが返す。
「あはは、ばれた?」
頬をかきながらディノが苦笑いをした。
「俺はキースみたいに色々料理上手くできないし、とりあえず何か買ってこようかなって」
キース。
ディノから出たその名に一瞬フェイスは息を飲んだ。気遣うような視線でフェイスがディノの表情を伺うが、なんでもないように笑っているだけだ。。
「まあ、何か食べたいものがあったら連絡してよ。ジュニアも伝えといて」
「あ、うん」
ひらりと手を振ってディノは部屋を出ていく。フェイスは静かなリビングで扉の向こうに消えていくディノを見送った。
ディノが部屋を出て、しばらくしてからフェイスは手元のスマホに視線を戻した。
なんでもないようなつもりでいても、フェイスに心配かけないようにと明るく務めていもやはりその表情には影がある。
前を向こうと必死になってるディノが見ていてつらい。
きちんと落ち込んで、泣いたジュニアとは違う。落ちるだけ落ちて、沈んでも再び浮上しようとしているフェイスとも違う。
ディノは下を向くこと、悲しむこと自体から逃げているようにフェイスには思えた。
フェイスはスマホの画面を操作し、連絡帳を開く。連絡リストにはあってもまず自分から連絡は取ることがない相手。それでも今他に頼れるのは彼しかいないと思えた。
短いメッセージを素早く打ち込む。
そして自身の兄へと送信した。
一人私服でふらふらとディノはタワーの外を歩く。
ウエストセクターは今は休養をもらっている。ヒーローたちのメンタル面を考慮して他のヒーローたちが代理でパトロールを申し出ているためディノはもちろん、ジュニアとフェイスも当分仕事はない。
ジュニアとフェイスは最近は一緒にいることが多い。フェイスは表情に出さないようにしているうにしているが、ジュニアが暗い雰囲気を常にまとっていた。それでも二人はディノを気遣うように話しかけたりピザを手配してくれたりもした。
一番つらいのはディノだとフェイスもジュニアも思っていたから。
血まみれのキースを抱えているディノを見ていたから。
こんなんじゃメンター失格だなと思いながら歩くディノの足取りは少しおぼつかない。
部屋にいてもキースの気配ばかり探してしまい落ち着かないからと町へ出た。
エリオスタワーを出てディノはぼんやりとしたままイエローウエストの街へと向かっていた。
一人。
一緒に隣で歩いてくれたぬくもりはもうない。
いつか二人でご飯を食べに行った時を思い出す。
スマホで検索した店の評判をキースに見せながら、ここのピザが美味しいって見たからずっと行きたかったんだと言えばまたピザかよとうんざりした顔をされた。嫌そうな顔をしながらも付き合ってくれる優しさにいつも甘えてしまってばかりだった。
かわりに今度はオレが行きたい別の店に付き合えってくれよと交換条件のように言われて頷いたのもついこの間の話だ。
キースが行きたい店がどんなとこだったのか、それを知る術はもうディノにはない。その約束はもう果たされることはないのだから。
エリオスタワーのあるセントリアルに比べてイエローウエストの街は若い世代で溢れて、活気ある街だ。
道行く人々の会話で騒がしい通りをディノは一人で歩く。かつてはキースと共に買い物に行ったり、パトロールで歩いた道を。
陽の光に照らされて輝く町は眩しい。地下にあるロストガーデンとはどこまでも対照的だ。
そこはかつてもう二度と帰れないと思っていた場所だ。
キースが探して手を引いてくれた。
ブラッドが居場所を作ってくれた。
イクリプスのスパイとして追放されるか、下手したら殺されてもおかしくない自分と隣に並んでくれた。元の居場所に帰るための手助けをしてくれた。
昔のようにまた三人一緒にいられると思っていた。
朝起きたらキースをおはようと言いながら起こして、ルーキーたちと一緒にトレーニングやパトロールをして同じ部屋に一緒に帰る。
会議続きのブラッドにはお疲れ様と労いの言葉をかけながらコーヒーを渡して。
そうしてつつがなく、平穏にとは言い切れないところもあるが、少なくともディノにとっての幸福な日々が続いていくはずだった。
たとえ何も大きな変化がなくても一緒にいられるだけで、エリオスにヒーローとして一緒に過ごせる毎日が何よりも幸せだった。
ただ、ヒーローとして一番の重い側面を忘れていただけで。
「死」の可能性というものが気づけば一番遠くに意識からは追いやってしまっただけで。
たとえ何があってもキースと一緒ならどんな戦いでも大丈夫だと思っていただけで。
ほんの僅かな可能性を、ありえる最悪な事態を考えなかった。
キースはディノを庇って死んだ。
キースのサイコキネシスというあらゆる物体を自在に操れる能力は万能に見えて欠点もある。
サイコキネシスは物体を操れても、光や熱線といった形を持たないものを操ることはできない。そのため、基本的には別の物体で受け止めて防ぐしかない。
それには近くにかわりに熱線を受け止めるだけの厚みをもつ、もしくは頑丈な物体がある、という前提が必要になる。
では、ならばなければどうなるか。当然、残る選択肢はできる限り避けるだけだ。
ただ、キースはそうしなかった。
イクリプスたちの持つ銃口はキースを狙っていた。そして、そのキースのすぐ背後にはディノがいた。
だから避けれなかった。避けられるわけがなかった。キースがイクリプスの持つ銃に気づいた瞬間、キースの左手はディノの背中を大きく押していた。
キースと背中合わせになるようにして戦っていたディノは突然のキースの行動に一瞬思考がついていかなかった。しかし、キースの背中越しに見えた銃を構える複数人のイクリプス。人狼になったが故に鋭くなった嗅覚が捉えたつんとした鉄の香り。傾くキースの体。視界と嗅覚が伝える情報が脳内で統合され一つの結論を導き出す。
獣のような咆哮。桃色のオオカミが駆ける。
体制を崩したキースに転機だと圧されていたイクリプスたちが士気をあげたのも一瞬、オオカミの遠吠えが空気を震わし、銃身と共振する。
攻撃を受けながらもサイコキネシスでイクリプス達の持つ銃を取り上げたため丸腰となったイクリプス達にディノが一瞬で近づく。
鋭い爪がイクリプスの頭部を真正面から襲う。横へと吹っ飛ばされたイクリプスのうちの一人は近くにいた別の味方を巻き込みながら壁に衝突し、沈黙する。さらに後方、ガトリンクを持ったイクリプスがディノに狙いをつけていた。しかし、その銃口は持ち手の意思に逆らい明後日の方向を向く。
敵が上手く動かない体に混乱する僅か一瞬のうちにディノの巨大化した爪がイクリプスの全身を斬り裂いた。
時間にしてほんの2秒。刹那の間に残党を制圧。戦闘を終了させたディノが振り返り、急いでキースに駆け寄った。
「キースッ」
すぐ傍の建物の外壁に寄りかかるようにしてキースは座り込んでいた。手で胸をの下あたりを抑えているが、到底手で押さえられる出血量ではなく、上半身は血ですでに真っ赤だ。
「キース、すぐに救護班呼ぶから」
強烈な血の香りがディノの鋭くなった嗅覚に刺激となり突き刺さるが、それを気にしているどころではなかった。
すぐさまインカムで本部に現在位置を伝えながらキースの止血箇所を確認する。
「首、胸、右の太もも……っ」
「ははっ、さすがに、やべえ、っなこれ」
「喋らないで、出血がひどすぎる」
キースのすぐ傍に膝をついて、止血帯を急いでディノは腰のポーチから取り出す。あふれ出た血がディノの膝を濡らしていく。灰色に舗装されている地面が赤く染まっていく。
どこもかしこも出血がひどい。このままでは救護班の到着を迎える間もなく失血死しかねない。
太ももはベルトで少しは出血を抑えることができても胸と首元はそうはいかない。ディノ自身の手で圧迫しなければならない。
急がないと、早くしないと。
震える手でまずは太ももの出血を抑えるために出血している箇所よりも心臓に近い部分に止血用ベルトを巻き付ける。 迷彩色のキースのズボンは血を吸って赤く変色している。ディノの手もすぐにキースの血が付着したが、黒いヒーロースーツのために見た目としてはわかりにくい。
「っ」
強い締め付けにキースがうめき声を小さくあげる。
「次」
太ももの止血を終えて、ディノはキースの表情を確認する。眼帯で隠されていない目は今にも閉じそうなほどになりながらも、手当てをしているディノを真っ直ぐ見据えていた。
失血のせいか顔色が悪い。青白い表情のキースを見ていられなくなり視線を逸らす。かわりにと少しでも出血を抑えようと取り出したタオルで胸と首の両方をより強く押さえつける。
「でぃの」
「あと少し、あと少しだから、もうちょっとだけ耐えてキース」
ディノの声が震える。頸動脈までえぐられてないとはいえ、流れ出す血の量が少ないわけではない。
白いタオルはすでに赤い。これ以上血を吸い切れず、変わりにディノの手袋にまとわりつく。
止まれ、止まれと念じながらもディノはキースの傷口から少しでも血が零れないようにとタオルを強く押し付ける。
「でぃの」
キースの手がゆっくりと首元を押さえつけるディノの手に触れた。はっとした表情でディノがキースを見る。
「おまえは、生きろよ」
ディノの手の甲をキースの指先が力なくなぞる。
「ブラッドには、約束破ってすまねえって」
「何、言ってるの」
そんなのまるで自分の最期を悟ったみたいな言葉なんて吐かないでくれ。
ぶんぶんと頭を横に振る。わなわなとディノの唇が震える
「ジュニアと、フェイスは、もう充分立派になっただろ」
「まって、キースだめだ、だめだ」
「それから、ディノ、オレは……」
キースの声が掠れる。ほとんど言葉という言葉にならないほどに小さな声になっていく。
消える。
全てが消えていく。
何かを伝えようとキースの唇が開いて。
開いたまま動かなくなった。
「キース?」
おかしいなとディノがキースに呼びかける。何度も何度も声をあげて叫ぶ。
がむしゃらに、必死にいかないでと名前を叫ぶ。
けれど、キースは答えない。開いたままの目はディノを見ない。焦点の合わない緑の瞳はもう何も映さない。
じわりじわりと血の海だけが広がり続ける。
ディノが横たわる体の主の名を呼ぶ。
返答はない。ディノの手に自身の手を重ねたままキースは答えない。
「まってくれ、まだっ、大丈夫だからっ、キース」
血は流れ続ける。
流れて、流れて、血と共に魂も流れ出した。
「ディノ」
低くて落ち着いのある声がディノを思考が深いの沼から引きあげた。
「あれ、ブラッド。どうしたの」
「いや、最近仕事のしすぎだと怒られてな」
片手にコーヒーの入ったカップを手にブラッドがディノの隣に座った。ディノがびっくりした様子で隣のブラッドの見る。
通りに面したガラス張りのカウンター席に座り外を眺めてたにも関わらず、ディノは目の前にブラッドが来るまでその存在に気づけなかった。そんな自分にも、隣の気配にも一切気づけなかった自分にも少しぼんやりしすぎたからと内心で笑った。
ディノがいるのは店内が観葉植物で彩られ、お洒落なジャズがかかるカフェだった。ティータイムのピークを過ぎた店内はちらほら空席が見受けられる。その中でわざわざ外が見えるカウンター席選んで座ったのにはわけがあった。
ブラッドが外の正面奥に見える通りを見た。店のある通りとは一本奥にある通りはブラッドも知っている。つい最近、ブラッド自身もヒーロースーツで訪れた場所。
キースが亡くなった場所。
ブラッドが窓の外を眺めて目を細めた。
「ごめん、俺たちの分引き受けてるから忙しいよな」
「お前が謝ることじゃない。俺がそうしたいからそうしているだけだ」
特別休暇中のウエストセクターに変わりサウスセクターが一部業務を引き受けていることはディノも知っている。その負荷がブラッドにいっているとディノは思い込んでいたのだ。
「それに忙しい方が余計なことを考えずにすむ」
そう言いながらブラッドはコーヒーをすする。ここのコーヒーは酸味が強いなと、と下の上でコーヒーの種類を分析しながら気にするなとディノに答えた。
「あれから墓には行ったのか」
「ううん」
「そうか」
ブラッドの問いにディノは首をふった。
あれからというのはキースの葬式のことだ。まだキースの死は公にはされていない。キースはメジャーヒーローだ。立場あるヒーローの死の公表は市民の混乱を起こしかねないとして、時を見て公表される手筈なっている。
というのがエリオス内での表向きの建前で実際はディノやフェイス、ジュニアへの配慮的なところが大きい。
大切な者の死は簡単に受けれられるものではない。市民たちが無遠慮にディノたちへキースのことを訊く可能性を踏まえて、落ち着くまで公表は先送りにすることとなった。
当然それをブラッドは知っているが、何も言わずディノの隣でコーヒーを飲む。
「それにしてもここの店のコーヒーは美味しいな」
「だろ、前にキースと来たことがあるんだ。あっちに喫煙ブースもあるしね」
ディノが指さした先にはガラスで区切られた一角があった。喫煙者であるキースにとってはタバコが吸えるスペースがあるというは重要なのだろう。なるほどと納得してブラッドは頷く。
「それにピザトーストも美味しいんだ」
そう言うディノの前にはコーヒーがまだたっぷり残っているカップが一つだけ。
「相変わらずだな」
深くは触れずにブラッドはまた一口コーヒーを口にふくんだ。
しばらく無言のまま、二人で窓の外、遠くを眺めながらコーヒーを飲む。いつもならお喋りで元気なディノも今日は静かだ。
もういない親友を思っている間にも時計の針は進む。
「ねえ、ブラッド」
「ん」
頬杖をついて遠くに視線をやるディノの横顔をブラッドは見た。
「どうして、なのかな」
何が、とディノが言わずともブラッドには想像がつく。
どうしてキースはディノを庇って死んだのか。
「キースだから、だな。あいつは昔からそういう奴だ。やたらと面倒だ面倒だと言いながらもなんだかんだ世話焼きなところがある」
店内はさらに人が減っていた。ブラッドとディノの周辺には誰もいない。
店内に流れていたジャズはアップテンポな曲調とうってかわり、どこか寂寥を滲ました曲へと変わっていた。その曲が今のディノとブラッドにはより深く染み込む。
「ねえ、俺が「死んでた」間のキースの話、聞いてもいい?」
カップを唇につけようとしていたブラッドの手が止まる。
ディノが帰ってきてから一度もブラッドはその話題をしなかった。ディノも尋ねなかったし、キースも何も言わなかった。
文字通り全てが空白の四年間だった。
なんとなく、その話はタブーとなっていた。今さら話べきことじゃないと、過去のものとして誰も触れなかった。
「俺が死んだって聞いた時キースはどうしたんだろうって」
ブラッドは沈黙する。
話していいのか、本人亡き今判断できるのはブラッドのみだ。
ディノが死んだとキースに伝えたのはブラッド自身だ。その時のキースの表情も、声の抑揚もよく覚えている。そして、イクリプス側にいったことを徹底的に隠すと覚悟したときの自分の、これから背負わなければならない重みにどうしようもない闇を感じた瞬間も。
「ごめん、変なこと聞いた」
ブラッドが話すか離さないか悩んでいるのに気づき、ディノが慌てて手をぶんぶんと振った。
「キースも、こんな気持ちだったのかなって、ちょっと思ったんだ」
陽が傾いてきたこともあり、外から差し込む陽の光は少しオレンジ色を帯び始めていた。
カウンター席であるためなおさら直射日光が眩しい。
「……ディノが死んだと聞いたあと、自暴自棄になって手が付けられなかったことがある」
どうしようか、悩んだあげくもういいかとブラッドは口を開いた。
今度こそ三人ではなくもう二人になってしまったのだから。三人とも触れなかった話を二人になった今、もう開けてはいけない扉として閉じたままにしておく必要もないのではないだろうか。
だからと、 ゆっくりとブラッドはディノの知らないキースの話を始める。
「まあ、実際のところディノは生きてるわけだから死体なんて当然ない。ロストゼロの跡地に遺体だけでも回収しようと行こうとするのを何度も止めたし、遺体が見つからないんだ、生きてるかもしれない、だから嘘をつくな、と責め立てられるようなこともあったな」
「それは、うん。本当に迷惑をかけた。本当にすまないと思ってる」
ディノの「死」という偽りの真実の咎をブラッドはキースから受け、一人で背負いこんだ。ゼロとしてディノが見つかった際もキースとブラッドは喧嘩していたという話をルーキーたちから少しだけ聞いたこともある。
「別にディノが謝るようなことじゃない。俺がそうすると決めたことだ、俺自身が起こした行動の結果だ。それにディノは死んだと告げてもあいつはずっとお前が生きてると思ってた、おかげで色々無茶もしてくれた。そこにジュニアとフェイスも参加するとは思いもしなかったが」
今となっては笑って流せる話だがな、とブラッドは付け加えた。それに対してそれは本当に笑っていい話なのだろうかとディノは若干顔を引きつらせる。
「ディノが生きてる可能性がある、という微かな希望にすがっていたのもあるとは思うが」
ブラッドはそこで一度言葉を区切った。
「それでもあいつは生きた、メジャーヒーローにまでちゃんと昇格して」
「……」
ディノの脳裏にキースの最期の言葉が思い起こされる。
『生きろよ』
それは過去の経験からの言葉だったのだろうか。ディノがいない間の四年を指していたのだろうか。
そして、同時にその後に言われた言葉も自然と蘇った。
「そういえばブラッド、キースがブラッドに約束破ってごめんって言ってたけど、約束ってなんのことだ?」
その約束がいつ交わされたものなのかディノは知らない。ブラッドにキースからの言葉を告げると、眉をひそめた。
「ああ、そうだな。あいつは約束を破った。ひどい奴だ」
ブラッドの手の中で空になったカップがくしゃりと握りつぶされる。
「そ、そんなに重たい約束なのか」
ブラッドの行動に驚いて、ディノがブラッドの手元と顔を交互に見やる。
「まあ、ディノが元気に生きてれば少しは許してやらなくもない」
「俺?」
どうやらキースとブラッドが交わした約束にはディノが絡むことらしい。いまいち約束の内容がわからないがこれ以上追及するのも何か怖いのでディノはそれ以上二人の約束に関する話をするのをやめた。
なんとなく、それは二人だけの約束なような気がして、寂しいとも思ってしまったが。
少しの間。
「さて、オスカーに言われて少し休憩してほしいと言われて出てきたが、さすがにそろそろ戻る。ディノもほどほどにな」
「うん」
すっかりひしゃげた紙コップを持ってブラッドは立ち上がった。
「色々思うことは互いにあるだろう、それでも俺たちはまだここにいる。俺たちはあいつのアカデミー時代も、試験のたびに一緒に勉強たことも、遊んだことも、一緒に戦ったことも全部知っているし覚えている」
ブラッドにしては珍しく言葉選びに戸惑いがあった。
どう伝えようか迷いながらも、視線はディノから外さない。
「あいつがここにいた生き証人に俺たちはなるんだ、だから生きるんだ」
ディノの揺らぎを少しでも取り除いてやりたくてブラッドは必死に言葉をつなぐ。
「あいつも知る奴も増えた、ジュニアにフェイス、それにアキラたち。あいつのことは皆知っている、なんたって酒癖が悪いし、書類は面倒だと言ってなかなか出さないし、タバコも禁止だというところで吸うし、すぐに人に仕事押し付けようとするし」
「ブラッド、だんだんと愚痴になってるぞ」
眉間にしわが寄り始めたところでディノがブラッドに制止を入れる。
「こほん、つまりはだ。キースを知ってる奴なら、ディノにはいつもみたいにあってほしい、って思うはずだって答えるってことだ」
話の軌道が見事にずれてしまったものの、最後にはディノに一番伝えたかった言葉を伝えて微笑んだ。
「だから」
「ありがとう、ブラッド」
ディノが微笑みながら感謝の言葉を告げる。ディノを心配して、色んな言葉で励まそうとしてくれた。キースがいなくなって辛いのはブラッドも同じだというのに。
「大丈夫だよ、俺は」
まだ何か言いたげにブラッドがディノを見た。
「うん、大丈夫。というかブラッドまだ仕事なんだろ?俺もこれ飲んだら帰るよ」
まだ少しだけ残っているコーヒーの入ったカップを揺らす。
「そうか、俺は先に戻る。またな」
「うん」
ブラッドが店内に設置されているごみ箱にカップを捨てると、一度だけディノを振り返って店を出る。それから店の外からカウンターに座っているディノに薄く笑いかけるとエリオスタワーのある方角へと向かっていた。
再び一人になったディノは西日を受けながら、奥の通りを再びぼんやりと眺めた。
「生きる、か」
すっかり冷めきったコーヒーはいつもに増して苦く感じた。