J庭55無配本生存者十名
「俺が何したってんだよぉ~~~~!」
日が傾き、仕事終わりのサラリーマン達で賑わい始めたとある居酒屋。
その一室で僕は今、会ったばかりの男性の愚痴に付き合わされている。
どうしてこうなったんだろう。
今から数時間前。
幼馴染みの紗奈と二人で下校中、僕らは突如何者かに襲われ誘拐された。
目が覚めると知らない場所にいて、突然現れたウサギの形をしたぬいぐるみにこう告げられたのだ。
『今からみなしゃんには~……最後の一人になるまで、殺し合いをしてもらいま~しゅ!デスゲームのはじまりはじまり〜〜〜☆』
僕らが連れて来られた部屋には、他にも八人の男女がいた。全員が困惑したように顔を見合わせる。
これから一体どうなってしまうのだろう。不安に思っていた矢先、一人の女性が果敢にもウサギに立ち向かっていったのだ。
『とっとと私達を解放して!じゃないと今すぐアンタをぶっ壊してやる!!』
そのすぐ後ろで、女性の恋人らしき男性がおどおどしながら様子を伺っていた。何か言いたげだったけど、彼女を止める気は無いようだ。
『そんなこと言っていいんでしゅか~?ボクに逆らうとイタイ目に……』
『ふんっ!』
女性はウサギが喋り終わる前にその体を容赦無く蹴飛ばした。すると吹っ飛ばされたウサギは「フギャッ!」と声を上げて壁に衝突すると同時に、ドカンと音を立てて爆発したのだ。
わずか数秒の間で起きた出来事に、僕も紗奈もぽかんと口を開けることしか出来なかった。
『おいあそこ見ろ、壁が崩れたぞ!』
壁際に立っていた男性が指差した先に目をやると、爆発の衝撃で一部の壁が崩れ微かに外の光が漏れていた。
こうして僕らは、勇気ある女性のお陰で壁から脱出することが出来たのだ。駆けつけた警察によりデスゲームの首謀者は逮捕され、僕らは誰一人欠けることなく無事生還した。めでたしめでたし。
……と言いたいところだけど、一人だけめでたくない状況に陥っている人がいたようだ。
「待てよ美亜!急に別れるってどういうつもりだ!?」
事情聴取が終わり警察署を出てすぐ、被害者の一人であった男性の叫び声が耳に届いた。
美亜と呼ばれた女性──あの時ウサギを蹴り飛ばした女性は、呼び止める男性を無視してつかつかと歩く。
「アンタさぁ、あたしが危ない目に遭ってもなんにもしてくれなかったじゃん。やっと目が覚めたの。バイバイ」
これは別れ話というやつだろうか。
あの時女性の後ろでおどおどしていた男性は、案の定彼女の恋人だったようだ。女性に冷ややかな視線を浴びせられ、置いていかれた男性はその場でがっくりと項垂れていた。
「うぅ……」
取り残された彼の背中があんまりにも可哀想だったから、僕はつい声を掛けてしまったのだ。
「あの……大丈夫ですか?」
「あぁ?何見てんだよクソガキィ……どうせ俺のこと馬鹿にしてんだろ?」
「えぇ!?いやっ、そんなことは」
会話して数秒で、声を掛けたことを後悔した。なんだこの人、滅茶苦茶口が悪いな。
涙目でぎろりと睨まれ、そっと立ち去ろうと後ずさった。
それなのに彼は何を思ったのか、逃走を図ろうとする僕に腕を回しがっちりと肩を組んできたのだ。
「おい待てよ。お前、ちょっと付き合え」
引きずられて連れられた先は、個室の居酒屋だった。
こういう場所って制服だと肩身狭いし、奢ってやるって言われたけどソフトドリンクの種類少ないなぁ。せめてファミレスにしてくれれば良かったのに。
「なんで俺のこと見捨てるんだよぉ〜!俺何もしてないのに、なぁ悠真!」
目の前の彼はベロンベロンに酔ってるし。
彼の名前は和久さん、というらしい。
僕が自分の名前を名乗ると何の抵抗もなく「悠真」と下の名前で呼ばれたから、僕も彼を和久さん、と呼ぶことにした。
和久さんはバンドマンで、グループではボーカルを担当しているらしい。彼女……元彼だった美亜さんからは、金銭的支援を受けてバンド活動を続けていたそうだ。
「和久さんが何もしないから愛想を尽かされたんじゃないですか?」
「うるせ~~~~!」
こうやって真面目に意見したところで、彼はやけ酒に走るだけだから適当に相槌を打つことにする。
「何も急に別れなくてもよぉ……悪い所言ってくれたら直したのに」
和久さんはそう呟きながら、きんぴらごぼうに入っている人参を箸でちょいちょいと避けた。
「まず好き嫌いを治しましょうよ」
駄目だ、口を挟まずにはいられない。
「後で食べようと思って取ってただけです~。そうだ、悠真にも特別に分けてやろうか?」
「なんでバレバレの嘘つくんですか。というか嫌いなもの僕に押し付けたいだけでしょう」
「まぁまぁ、旨いから食ってみ?ほら、あーん」
和久さんはそう言うと、避けていた人参をごっそり箸で摘んで僕に差し出してきた。
「もがッ!」
「な、旨いだろ?もっと食うか?」
大量の人参が口に押し込まれる。確かに美味しいけど、もっと他の具材も食べたい。
「はぁ……もう、全部食べますから」
しぶしぶ小皿を引き寄せると、和久さんは頬杖をついていたずらが成功した子供のように笑った。
「ありがと、悠真クン♡」
酒のせいで頬が紅潮し、少しふにゃっとした笑顔を向ける彼がなんだか可愛らしくて、駄目な男性ほど好きになってしまう女性の気持ちがわかったような気がした。
口が悪いくせに人と距離を詰めるのが上手くて、どこか放っておけない雰囲気を醸し出している。
「そうだ、お礼に一曲歌ってやるよ。プロの歌声聴きたいだろ?」
酔いが回って気分が良くなったのか、和久さんは急に立ち上がりマイクを構えるジェスチャーをした。
「えっ、ここでですか?」
確かにちょっと聴いてみたい気持ちはある。けどこの場で歌うのは常識的に良くないんじゃないか。
「個室とはいえ流石に迷惑じゃ……」
「あー、こほん。お前を初めて見た瞬間から~、俺の世界は変わったぁ~!」
僕の静止なんてお構いなしに、和久さんは気持ちよさそうに歌い始めた。聞いたことないグループ名だったけど、流石プロなだけあって良く通る声だ。
「お前の為なら、俺はぁ~……う、オェッぷ」
なんて呑気に思っていられたのも束の間、和久さんは突然顔を青くするとその場でえずき始めたのだ。
「ちょ、ちょっと!ここで吐かないで下さいよ!」
頬をパンパンにする彼を支えながら、慌ててトイレへ連れて行った。
「ロロロロ……」
どうして僕は出会って間もない人の嘔吐する声を聞かされているんだろう。
「和久さん、店員さんから水貰ってきましたよ」
ノックして扉越しに声をかけると、和久さんは扉を開けて真っ白になった顔を覗かせた。青くなったり白くなったり、忙しい人だ。
「お前、気が利くじゃん……うぷ」
手に力が入らないという彼のためにグラスを口元に近付けると、白い喉を上下させて水をこくこくと飲んだ。
「あーあ、悠真が女なら彼女にしてやったのになぁ」
「はぁ……和久さん、そういうところですよ」
「あ?」
「『してやる』なんて言われて、喜ぶ女性がいると思いますか?」
和久さんは不思議そうに首を傾げている。嘘だろ、この人何が悪いのか理解できていないのか。自信家な性格もここまでくると呆れて笑いが込み上げてくる。
「何笑ってんだよぉ。うっ、グス……どうせ女はなぁ、みんな俺のことなんて見捨てるんだぁ」
かと思えば、急に卑屈になったりするものだからいまいち彼のことが掴めない。
「だったら、僕の彼女にしてあげましょうか?」
「……え?」
僕もすっかり場酔いしてしまったらしい。こんな馬鹿げたことを口走ったのも、きっとそのせいだ。
「なんて、冗談ですけど。ね、こんな言われ方したら嫌でしょう?」
彼をからかったつもりだった。ふざけんなって、怒られるだろうなと思っていたのに。
「……いやじゃない……」
「えっ」
涙に濡れた彼の瞳が、僕だけを写した。
「悠真の彼女にしてほしい」
相手は数時間前に会ったばかりの男性だ。なのにどうして、こんなにドキドキさせられるのだろう。和久さんと話していると、身に覚えのない感情ばかり込み上げてくる。
これって、付き合って欲しいってことなのかな?
いやいや、僕達男同士だし、それに和久さん酔っ払ってるし。でも酔いが覚めた後にもし彼が同じことを言ってきたら、その時は……。
「彼氏として俺を養ってくれ悠真。今すぐ就職して俺の生活費とバンドの活動費と奨学金諸々援助してくれ、頼む!」
「……はぁぁ〜…………お断りします!」
そんなことだろうと思った!
「うわ、真っ暗だ」
居酒屋を出る頃には、すっかり日も沈み辺りは街灯が灯っていた。スマホで時間を確認するととっくに門限を過ぎている。画面には母さんからの着信が数件溜まっていた。
「どうしよう、こんな時間まで出歩いたから母さん怒ってるな……」
僕の両親、特に父さんは厳格な人だから、きっとこっぴどく叱られてしまうだろう。
「悠真、スマホ貸して」
落ち込んでいると、横から和久さんがひょいとスマホを取り上げた。
もしかして、僕に代わって母さんに今日のことを説明してくれるのだろうか。なんだかんだで、彼もれっきとした大人のようだ。
「はい、返すわ」
「……え?何したんですか」
「俺の連絡先交換しといた。俺が呼んだらまた付き合えよ!」
そうだ、彼はこういう人だった。
呆れて非難の言葉も出ない。だから彼に頼れる大人としての期待は一切取っ払って、ひとまずの希望を伝えることにした。
「次はファミレスがいいです」
「えー、あそこあんま飲めないじゃん。じゃあファミレスでいいから、二十歳になったら酒付き合えよ」
二十歳になってもこの人に付き合わされるのか。どうやら僕は、とんでもない人に目を付けられてしまったようだ。
和久さんと別れ、見慣れない街の夜景にそわそわしながら駅に向かって歩く。僕は今日、生まれて初めて門限を破った。
なんだか今日は、初めてのことだらけだ。デスゲームに巻き込まれたことは勿論、あんなにどうしようもない大人と話したこともそうだ。僕の周りにいる大人は常に正しくて、手本になるような人達ばかりだったから。
あの人は自分勝手で自信家で酒癖が悪くて、誰が見ても救いようの無い駄目な大人なのに、何故か気にかけててしまう。美亜さんも、和久さんのそういう不思議な魅力に惹かれたのかもしれない。
そんなことを考えながらしばらく歩いた所で、遠くから聞き覚えのある呻き声が聞こえた。
「ロロロロ……」
「ちょ、和久さん!?路上で吐かないで!」
慌てて来た道を引き返し、電柱に向かって嘔吐しようとする彼に駆け寄る。
「えぇ無理、もう歩けない、タクシー呼んでぇ……」
本当にどうしようもないな、この人は。
「ああもう、困った人だなぁ……」
口では悪態をつきながら、心の中では僕も大概だなと自嘲した。
タクシーが来るまで彼の背中をさすりながら、この人を救ってあげられるのは僕くらいしかいないだろうな、なんて思ってしまうのだから。