振り子 物心ついた頃には、フィガロはすでに“神様”だった。
母も父もない。あなた特別なのです。特別な、特別な私たちの神様。長は迷いなくフィガロに告げた。
その日、それまであった生活はなかった事になった。
あったものをなかった事にされることに戸惑う時間も与えられず、フィガロを祀る社は作られていく。
フィガロがいた家はフィガロだけになり、室内は仕切られていく。
神様はあちら。我々はこちら。
あちこちが布で覆われて、窓も関係なく布が掛けられた。
「誰かと会う時にはこちらに」と大きな天蓋で囲われた空間に押し込められた。
それから、フィガロと人間達の間には確かな壁ができた。
「神様、どうか御加護を授けて頂けないでしょうか」
「神様、この子に祝福を」
「神様、雪崩が起きないように…」
人間達は思いも思いに願い事を言っては、食べ物や宝飾品を置いていく。
全ては布の向こう側の事だった。
本当は魔法使いが恐ろしくて堪らないのに何処にも誰にも盗られたくなくて、この寒く厳しい土地で生きていくために必死に囲ってきた人間達を愚かだなと思えど、疎ましく思ったことはなかった。
願い事をしていく人間達は、フィガロを敬っていく。しかし、人間達の1番はいつだって人間なのだ。
フィガロの頭の中で、長のあの言葉が響く。
ーーあなたは特別。
特別って何?特別な存在は仲間や家族にはなれないの?独りなの?なのに、どうして繋ぎ止めようとするの?
フィガロは、その矛盾に気付かなかった事にした。
父に誇らしげに頭を撫でられる事がなくても、母に抱えられて慰められることがなくても、祈りを捧げ、祝福を授けるここが幼いフィガロの居場所なのだから。
頼られるというとこは誰かの為に自分がいてもいいと言われている気がした。強い力は生き残る為のもの。感謝されるとゆるされた気がする。自分はここにいるという証明にも思えたのだ。
この力はその為のもの。
しかし、その居場所も呆気なく雪崩に飲み込まれた。
あっと言う間に、何も無くなった。
真っ白になってしまった。
口を開けば冷気が肺に侵入し、そこを凍らせる。咳き込む羽目になって、フィガロはやっと我に返った。
この真っ白な世界で何を呼ぼうとした?
誰を呼ぼうとした?
呼べる名など、フィガロにはない。
母も父も、友もいない。
“魔法使いは特別”
フィガロを世界から切り離していたものがなくなって自由なはずなのに、とても広くうつくしい世界を見た感動なんて感じなかった。
特別などいらなかったのだ。
大勢の中にあってもひとりだったフィガロは、自分が産まれた時からずっと自分は孤独なのだと初めて痛感したきっかけにもなった。
翌朝、空は清々しいまでに珍しく青く晴れ渡り雪原が煌めいていた。雪に反射する光が眩しくて眼を焼く。涙が出た。
北の国は、とても厳しい国だった。
***
魔法舎のフィガロの部屋にはカーテンがない。
部屋にやってきた賢者様に「カーテンをつけないんですか?」と聞かれて、自然光が好きだしねと答えた。賢者様は素直だから言葉のままに取ってくれただろう。本当の意味なんて誰も知らないでいい。
フィガロはベッドから起き上がると、窓の方を見た。日が高く登っている。そして、外からは何やら楽しそうな声が聞こえて来る。
若い魔法使い達だろうか。
窓に歩み寄って外を見ると、庭でお茶会が開かれている。メンバーは、中央の魔法使いとミチルだ。
「へぇ、珍しい」
オズもアーサーもこの時間に魔法舎の庭にいるとは。授業終わりだろうか。そこにミチルが加わっているのは、またまた外にいたミチルをリケが誘ったのだろう。手を引かれているミチルが恐縮そうに席に着いたのが見えた。
楽しそうな5人を見つめるつもりはなかったのに、しばらくその光景に目が離せなかった。すると、視線に気がついたオズが一瞬フィガロへ視線を向けるとミチルに何かを言う。ミチルもこちらに気がついて手を振っている。
今更引っ込みが付かなくなって、フィガロも窓を開けて手を振る。
「フィガロ先生ー!」
「なぁに?みんなでお茶会?」
「はい!授業が終わったので。フィガロ様もご一緒に如何ですか?」
「ありがとう、でもまた今度誘って」
アーサーのお誘いを断って、ごめんねと手振りで謝る。ミチルが残念そうにしてるのを気づかないフリをして、窓を閉める。
暫くして、また談笑する声が聞こえてきた。その声を聞きながら、フィガロは棚の本を取り椅子に腰掛けた。
自然光のみの室内は、薄らと暗い。それが落ち着くのだけれど、今は外との境界が克明に示されているようだ。
(そういえば夢を見た気がするけど、何だったかな?)
どうせ毎日繰り返す事だ。確かめようが無いものを気にしても仕方ない。
***
「フィガロ!」
夕食を終えて、部屋に戻ろうとしたところ廊下で呼び止められたフィガロは笑顔を作って振り返った。
「どうしたの、リケ?」
「聞きたい事があります!」
フィガロに駆け寄ってきたリケは、どうにも怒っているようにも見えた。
「昼間の事かな?」
「!」
先回りしたようなフィガロの問い掛けは、リケには気に召さなかったようで彼の眉が吊り上がる。
その様子にフィガロはクスリと内心笑む。リケはミチルやアーサーの事を思ってフィガロに一言言いたくなったんだろう。部屋に居るなら少しくらいとか。
「ミチルの事、大切に思ってくれてるんだね」
「当たり前です。友達ですから」
表情に反して彼の声は落ち着いていた。はっきりとした答えに対してフィガロは質問を重ねる。
「教団の人達よりも?」
「え?」
リケはその問いかけに、表情を固めた。何を聞かれているのか分からないといった風だった。内容を噛み砕いて、処理するまで僅かな時間を要したけれど、彼はいつもと変わらない口調で答える。
「オズも時々何を言っているか分からないことがありますが、友達は似るものなのですか?」
「はい?」
どうやらリケの中ではオズとフィガロは友達ということになっているらしい。確かに、随分前にそんな話を彼らの前でした気がする。
「そもそも、その人との絆を他人と比べるものではないでしょう?」
つづく