こぼれないよう、フォークで慎重にすくわれた黄色のとろふわが、マユミくんの口元へ運ばれる。形の良い唇の中にそれが納められ、咀嚼するほどの硬さもないそれがゆっくりと飲み込まれるのを、僕はドキドキしながら見つめていた。
「美味しい」
「本当?お世辞でも嬉しいけど」
「お世辞じゃない。舌触りの良い、丁度いい半熟加減だ」
とても真面目な顔で褒めてくれるのが恥ずかしくて、「本を見て作れば誰だって作れるよ」って返す。本当はここ数日、卵と生クリームと格闘していたのは内緒だ。スクランブルエッグなんて簡単に作れると思っていたけど、ホテルの朝食で出てくるようなそれを作るために2パック程卵を消費した。炒り卵とスクランブルエッグって作り方がほとんど同じなのに。奥が深い。
「俺は先日卵焼きを焦がしたばかりだ」
ハインツの赤色を纏った黄金を口に運びながらそんなことを口にする。
火力調整ってはじめは難しいもんね。そう言えば神妙な顔をしてマユミくんが頷く。
「焦げててもいいから、マユミくんのお手製卵焼き食べてみたかったな」
「ちょうどいい火加減は覚えた。次に泊まりに来るときは振舞えるだろう」
「ふふ、楽しみにしているね」
マユミくんが高校を卒業すると一人暮らしを始めた。最寄駅から徒歩10分。築年数も浅い1人暮らしには少し広めの1LDKで、僕もアマミネくんも友達の家に遊びに行くってことがあまりなかったから物珍しくて、何度か泊まりがけで遊びに行った。
そして僕が高校を卒業する頃には、僕一人だけでマユミくんの家に泊りがけでお邪魔するようになった。
アマミネくんに内緒で邪魔するって言うのは勿論そういうことで、ユニットの仲間としてでなく”恋人”として初めて彼の家の敷居をまたいだ時は心臓の音が煩くて、彼に聞こえてしまうんじゃないかっ気が気じゃなかった。
ソファーに並んで座って映画を見て、その間ずっと手を繋いで。映画のエンドロールが終わる前に、キスを仕掛けたのはどちらからだったか。
マユミくんが実家に住んでいた時には小指が触れ合うだけで二人で肩をはねさせていたのに、小指だけでなく指を全て絡ませて、そのまま三人掛けのソファーにもつれ込んだ。
翌朝、早朝に目が覚めた僕は隣でまだ眠っているマユミくんを起こさないようにそっとベッドから抜け出した。
ペタペタと足を鳴らして冷たいフローリングを歩く。喉が渇いたからお水をもらおうと思っただけだったけれど、冷たい水で喉を潤している間にちょっとしたサプライズを思いついた。
キッチンのものは好きにしていいと以前から言われていたので、冷蔵庫の中を勝手に使わせてもらった。
自炊はほとんどしていないと言っていただけあって、空っぽという程ではなかったけどあまり日持ちしないものは入っていない。その中から卵とベーコンを取り出す。戸棚からはパックご飯とインスタントの味噌汁も見つかった。
マユミくんもインスタントなんて食べるんだ、なんて思いながらハムエッグを作ったのが一番最初。
黄身は硬いし裏は少し焦げてるし、お湯を入れすぎた少し薄いお味噌汁はお世辞にも美味しい見た目とも味とも程遠かったけど、マユミくんは目を細めて「美味しい」と言ってくれた。
それからはマユミくんのお家に泊まるときは、いろいろな朝ご飯を作った。
定番の卵料理、ベーコン以外にもソーセージや厚切りのハムを焼いてみたり、野菜も欲しいねってレタスをちぎってミニトマトをのせるだけのサラダも用意してみた。
アマミネくんには早々に関係がばれちゃったけど、そのおかげで、おばあさん仕込みでお料理が得意な彼にフライパンで魚を焼く方法を教えてもらえた。簡単な和食のお惣菜もいくつかレシピを教えてもらって、少しずつレパートリーが増えた。
彩りは二の次だった食卓が回を重ねるごとに少しずつ見た目が鮮やかになっていって、でもいつでもマユミくんは僕の作ったものを食べては美味しいって言ってくれる。
時には二人一緒にキッチンに並んで用意をして、意外に不器用なマユミくんがすごく真剣な顔で卵を割るときには僕も一緒に緊張しながらボウルに割り入れられる卵を見つめたりして。そのあと火加減を間違えて炒り卵になったそれを二人で笑いながら口に頬張った。
一日の始まりの幸せな時間。
ずっとずっと、これからも続いて行ってほしい。
「あのね、マユミくん」
「どうした?」
ごちそうさまでした、と丁寧に手を合わせる彼におかわりの珈琲を差し出しながら、少し乾いた唇を開く。
「僕ね、あの」
「うん」
うまく言葉を紡げない僕に、マユミくんは優しく先を促してくれる。
その瞳の優しさに、知らず強張っていた肩の力を抜いて、僕はどうしても伝えたかった言葉を口にする。
「これからも、僕、君と…マユミくんと一緒に、朝ごはんをずっと一緒に食べたいな……って」
緊張しすぎて一緒にを二回も繰り返してしまった。けど、目の前のマユミくんは切れ長の瞳を見開いたまま固まっているからそこは気づいてないかもしれない。
10秒ほどの解凍期間を経て、マユミくんが真剣な顔をして僕の顔を見る。
「百々人」
「だめ、かな……?」
「ダメなわけがない」
「えと、それって」
「俺も百々人の事が好きだ。結婚しよう」
「まって?!結婚ってえっ?!」
「さっきのはプロポーズだろう?」
「プッ……違うよ僕、ただ何時もマユミくんがここに住めばいいって言ってくれるから、その、ここに住まわせてもらって一緒に朝ごはんを食べられるようになったらいいなって」
頬が赤い。きっと真っ赤になっている顔でそうマユミくんに説明すると、なるほど、と落ち着いた声が返ってくる。
「だが、俺は同棲からその先に進んでもいいと思っている。法律上籍を入れることはできないが、おれはお前と一緒になりたいと思っている。これは両親にも了承済みだし秀やプロデューサーにも相談を……」
「まってまってまって」
ちょっとした勘違いからすごい情報が出てきた。ご両親ってどういうこと?ぴぃちゃんもアマミネくんもって、僕の知らない間に周りの外堀は全部埋められていたってこと?
くらくらする頭で目の前の大好きな人を睨みつければ、僕の好きな綺麗な笑顔で返される。
「マユミくんの、そういう用意周到なとこキライ」
「そうでもしないとお前は隙間をすり抜けていくからな」
逃げないよ、……多分。口にすると墓穴を掘りそうだから、声には出さず胸中でぼやいて少しぬるくなってしまったコーヒーで流し込む。
「それで、どうだろう」
「………」
「百々人」
「先に、僕からの質問の答え。応えてくれたら返事する」
マグカップの水面を見つめながらそう返答すれば、ギ、と椅子を引く音。
視線を上げればびっくりするくらい間近にマユミくんの顔があった。
「まゆ、」
「ダメなわけがない。すぐにでも越してこい、百々人。明日も明後日も、
一緒に朝食を食べよう」
ちゅ、と音を立てて鼻先にキスをして、何時も僕を腰砕けにする声でそう囁く。
「ねえほんと……こういうのどこから覚えてくるのさ」
「映画やドラマ、参考先は色々あるが……俺がこうしたいと思ったから実行したまでだ」
「………そう」
「それで、百々人。俺への返答は?」
手で顔を覆って椅子の背にそってずるずるとずり落ちている僕をみても、助けるどころか薄情にも自分の欲しい言葉を早くもらいたいと尻尾を振ってまっている。
そんな薄情な恋人が、かわいいしむかつくしかわいい。
「……秘密」
結局僕からの返答を伝えたのは仕返しも兼ねて30分程焦らしまくってから。
満足そうなマユミくんの腕の中で、真っ赤な顔で「はい」って応える経験は、できればこれっきりにしたいなと思う。
※事務所メンバーに祝福されながら人前婚するときまた同じ目に合います