アズールに寄り添うラギーのお話。 小さい頃、オレの頭を撫でたばあちゃんの優しい手を思い出した。
「わたしの可愛いラギー坊や、ねんねんころりよ、さあ、目を瞑って優しい夢を見て。明日にはきっと良くなってるさ」
熱に浮かされた頭で、オレはばあちゃんの温かい手のひらを感受しながらこう問いかけたのを覚えている。
「なんで夢を見るには目を瞑らないといけないの?」
「夢ってのはそういうものなのさ。目を瞑ると見えて、目をあけると消えてしまう。だからこそ、人は夢に翻弄される。優しい夢を見ると幸せな気分になるだろう?」
「ドーナツをたくさん食べる夢とか?」
「そりゃあ、いいや」
そう言ってばあちゃんは笑い「もう寝なさい」とオレの瞼を優しく撫でた。
ちいちゃなオレは「ドーナツ、いっぱい食べれるといいなあ」と思いながら、微睡むようにゆっくりと目を閉じた。
――あの時、オレはどんな夢を見たんだっけ。
「ラギーさん?」
聞き慣れた、けれど掠れた声で視界が開かれる。
――昔の夢を見た。
ばあちゃんの優しい手のひらはどこにもない。ばあちゃんの言う通り、目をあけたら魔法みたいに消えてしまった。
目の前にはばあちゃんじゃなくて、まるで神隠しにでもあったかのようにぽかんとした顔つきのアズールくんがいた。
いつものしゃんとしたアズールくんを体現するような高く秀でた眉は熱のせいか、重力に従うように力なくわずかに下に降りていた。
「まだ声が掠れてるッスね。体調はどう?」
「いえ、あの…何故ラギーさんがここに?」
今は太陽が寝静まった真夜中。アズールくんの部屋に据えられたデスクの上。備え付けられた窓から覗く、月の光を通した海底の静かな明かりだけがぼんやりとオレたちを浮かび上がらせていた。
そりゃあアズールくんもびっくりすることだろう。アズールくんの部屋に目が覚めたら突然ハイエナが一匹、ベッドに突っ伏していたのだから。
アズールくんの疑問はもっともだ。
「アズールくんが珍しく熱出して寝込んでるって二人から聞いて」
「あいつら…」
そう言葉を漏らすとアズールくんは片手を毛布から出して頭を押さえた。
やはりまだ熱があるのだろう。小さな所作でもぐったりとした様子で湿っぽい。
アズールくんの額に手を伸ばすと、案の定まだ熱かった。
そうしていると、アズールくんの瞳がオレと額に置かれたオレの手のひらを落ち着きなく行き来する。それからきゅっと薄い唇が結ばれて、オレの手首に普段以上に真っ白な手が添えられた。
「あまり、貴方にこういった姿はお見せしたくなかったのですが…」
「どうして?」
「不甲斐ないんです…毎日しっかり自己管理を徹底しているつもりだったのに、経営者たるもの職員達の模範にならなければいけないのに…」
視線に耐えるように目を伏せるアズールくんが珍しくしおらしくて、なんでか幼い子供みたいで思わず笑ってしまった。
「だってアズールくんは生きてるんだから、そんなこともあるッスよ。機械じゃないんだもん」
そう言ってオレはさっきまでばあちゃんがオレにしてくれていたみたいに、つとめて優しくアズールくんの頭を撫でた。
まるで擦り寄ってくる子猫みたいに、気持ちよさそうにアズールくんが目を細める。
「風邪引いた時って寂しくなるでしょ」
オレの住んでいるスラムに病院はない。
風邪は万病のもと、なんて言うがスラムでは言い得て妙だった。
あの時のばあちゃんは本当は内心気が気じゃなかっただろうと今になって思う。優しいばあちゃんのことだ。オレが不安にならないように、いつも通りに接してくれたのだろう。
ばあちゃんには暗闇を優しく照らすお月様みたいな温かさがあった。
「オレもアズールくんのお月様みたいになれたらいいなって思ったんスよ」
きょとんとした目つきでアズールくんがオレを見る。その瞳は眠くなってきたのか、とろんと溶けそうだ。
「ほらほらアズールくん。ねんねんころりよ、さあ、目を瞑って優しい夢を見て。明日にはきっと良くなってるよ」
もう一度アズールくんの頭を撫でると、すっかりお空みたいなスカイブルーの瞳は身を潜めてしまった。
閉じた瞼が青白く照らされて、まるで大きな花びらみたいだった。
「優しい夢、ラギーさんの優しい夢ってなんですか?」
あの時のちいちゃな子供みたいに、密やかに目を瞑ったままのアズールくんが言った。
「う〜ん、ドーナツをたくさん食べる夢とか?」
ふふ、と鈴が鳴るみたいにアズールくんが笑った。
「お月様みたいにお優しいラギーさん。今度、今日のお礼にご馳走しますよ」
「ホント? シシッ…そりゃあ、いいや」
そんな小さな約束が嬉しくてたまらなくって、オレは「忘れないでね」と優しくアズールくんの瞼を撫でた。
――ばあちゃん、今、オレはきっと幸せな夢を見ている。
もう一度目を覚ました時に、この夢が消えていなかったらいいな、と柄にもないことを思った。
「――おやすみ、アズールくん。元気になったら、この夢の続きを一緒に見ようね」
夜明けが近い。
きっと夢の続きは、遠くない未来にあるだろう。