君、結構いいじゃん モストロ・ラウンジの食器は高い……らしい。
本人が言うには、値段を知れば気軽に持てなくなるとか。けれどアズールくんの前に置かれた皿には焦げたクッキーのような塊がいくつか盛られている。高級な皿の上に乗るには明らかに似つかわしくない。
「それで、今回も依頼を引き受けていただけますか?」
「勿論! 校内でやれるバイトの中では結構割がいいし」
「そうですね。あの学園長のわりには気前がいい方と言えるでしょう。ではこちらにサインを……」
差し出された契約書をざっと読んでサインする。毎回書かされるのは面倒だけど、相手はアズールくんだから仕方ない。
「ところでずーっと気になってたんスけど、何なんスか、それ?」
あぁ……と呟いて、アズールくんがそれを一つ手にする。
「シュークリーム……になり損ねたものです。外部のお客様用にデザートメニューの幅を広げたいと思いまして試しに挑んでみたのですが、やはりお菓子作りは一筋縄ではいきませんね。お見苦しいものを置いていてすみません」
全然膨らまなかったわけだ。クリームが入る余地がどこにもない。飯は適当に作ってもなんとかなるけど、お菓子はちょっと間違えるとこうなるんだよなぁ。
「にしても、アズールくんが自分で試作することとかあるんスね?」
「当然です。所要時間や必要スキル、労力を把握して人員を割り当てないといけませんし」
「で、それどうする気なんスか?」
「どうするって、食べますが」
「食べるんだ?!」
「当たり前じゃないですか。食材を無駄にはしません。はぁ…50g分のバター……60mlの牛乳……60gの薄力粉……明日はサラダのみにして、運動量を増やないと」
ブツブツと計算したカロリーを嘆きながら、アズールくんは失敗作をボリボリ食べている。
身の回りのもの全て高級品なお坊ちゃん。誰かに作らせた完璧なものしか口にしないと思ってた。単にケチなだけかもしれないけど、自分で作って失敗したものを捨てるような真似はしないのか……。
「ねぇ、オレも一つもらっていいっスか?」
「慈悲なら結構です。失敗は僕の落ち度ですし」
「別にそんなんじゃないっスよ。普通に美味そうなだけ」
「でも……」
「でもじゃないの。アズールくんが全部食べるだけでしょ? はい一個もーらい!」
何を言おうが拒否するアズールくんを無視して一つ口に放り込む。
「はっ? 美味っ! いやシュークリームでは絶対ないけど普通にクッキーと思えば凄い美味しいっス」
「何のフォローにもなってないですよ。素材がいいんですよ。素材だけはね。厳選して揃えてますので」
「いや、フォローとかじゃ全然ないっス。もう一個いい?」
「はぁ……お好きにどうぞ。あなたも物好きですね。数枚でも召し上がっていただけるのでしたら、僕の摂取カロリー的には助かります」
あのアズールくんが材料を選ぶと失敗作でも美味いのか。そりゃところどころ炭になってるし硬いんだろうけど、オレの歯には何も問題ない。
「ねぇアズールくん、よかったら今度一緒にマスターシェフ受けません?」
「あぁ、料理を学ぶ選択授業ですか。別にラギーさんには必要ないのでは?」
「あの授業、作ったものは当然食えるし単位がもらえるだけでなく、ちょっとだけお小遣いももらえるんで気になってたんスよ。せっかくだからアズールくんも一緒にどうかなって」
「僕は結構です。ある程度の調理は身につけてきましたし、今更基礎は必要ないかと」
「いや、失敗してるじゃないっスか」
皿を指差すと、アズールくんは前のめりになって反論してくる。
「そ、それはお菓子作りの話です! 料理に問題はございません」
「あっ、そっか。アズールくん、さては審査されるのが嫌なんスね? モストロ・ラウンジやってる寮長が素人に負けるトコなんて見せられないっスもんねー」
皿の上に残った最後の一枚に、オレとアズールくんが同時に手を伸ばして、止める。
「なるほど。それは僕に対する挑戦と受け取ってよろしいですね?」
アズールくんの口角がグッと上がる。これは何か企んでいる時の顔だ。
「僕は料理人ではありませんが、モストロ・ラウンジの支配人、そしてリストランテ経営者の家の者でもあります。料理に携わる者として、受けて立とうではありませんか」
「へぇ。勝ち目がありそうな顔してるっスけど。オレだって結構飯作ってきてるんで、そう簡単に負ける気はないっスよ?」
「何を勘違いされてるんです? あなたと勝負する気なんてハナからありません」
間抜けな声しか出なかった。勘違いも何も、今明らかに勝負する流れでしかなかったと思うけど?!
「こういうのはいかがでしょう? モストロ・ラウンジで創作メニューコンテストを開催します。僕とラギーさんが各々でメニューを考案し、モストロ・ラウンジでの注文、かつ投票を行うのです。マスターシェフはその宣伝です。『実は二人で密かに得点を競っていたが同点のためモストロ・ラウンジで勝負する』という構図にでもすれば幾分注目度は上がるでしょう。注文の数だけ投票券を与えることで、両方を注文させることができ売上向上。考案したメニューの原価を試算するなど詳細は具体的なプランニング段階で詰めますが、ラギーさんには一注文につき数パーセントのマージンと期間中前年比売上の上昇率に応じたインセンティブをご用意します。いかがですか?」
いかがですか? じゃない。あまりにも面白くて、しばらく声を上げて笑うしかできなかった。アズールくんは真剣なようで訝しげに睨みつけてくるけれど、目尻に涙が滲むほど面白い。
オレが何気なく誘い、ちょっと弄ったあの一瞬でよくここまで思いつくな。頭の回転が早いし、報酬の話を先にしてくれるところが信用できる。金に対する嗅覚はオレといい勝負ができるかも。
「さすがにそこに商機を見出してくるとは思わなかったっス! すっげー笑わせてもらったから、前向きに検討してもいいっスよ。具体的にオレにいくら入るか計算できたらまた話聞かせてほしいっス」
「わかりました。検討させていただき、企画書ができ次第改めてラギーさんに打診します。いい商売になるよう、共に手を組もうではありませんか」
差し出された手を取る。
「協力するとは言ってないっスからね」
「まだ契約を交わしておりませんから。ラギーさんにとっても旨みのある案件となるよう、頑張らせていただきますよ」
金儲けの話がここまで対等にできるのは凄く楽しい。他の奴らたどこうはいかない。お坊ちゃんなのに、食べ物を粗末にしないし、オレと同じくらい金にたいする嗅覚が鋭い。
アズールくんはどこまでもブレない。なるほどね…。
君、結構いいじゃん。