2025-06-17
カミューと別れたビクトールはレオナの酒場で今日の酒を調達するために人通りの多い大通りをぶらぶらと歩いていた。夕食時と帰宅時間が重なる今の時間は、黄昏時の暗さとランプの明かりの下で人々がそれぞれ目的をもって行きかっている。一度は死んだ街にこれだけの人がいるのが今でもなんとなく不思議だ。居心地が悪いと思わないのは、帰る場所があるからだろう。なんと、今日は夕食を一緒に食べる約束をきちんと取り付けている。何がなくても、フリックと食卓を囲むのは嬉しいし、ご飯を食べている姿をみるとまず第一に安心できる。
足取り軽く石畳を歩くビクトールは、自分の名を呼ぶ聞きなれた声に立ち止まった。
ダンプリングの入った紙袋を落とさないように振り返ったのと、タイラギが駆けてくるのが殆ど同時だ。
「どうした」
夕食前のこの時間なら、タイラギは大概ナナミと一緒にいる。なんとなく周りを見渡しても、ナナミの姿はどこにもない。
「ビクトールさん、今ナナミの事探したでしょ」
目ざとい少年にビクトールは笑って見せた。
「この時間はいつも一緒にいるだろ」
「そうでない時もありますよ。たとえば今日ですね」
立ち止まっていれば行き交う人間の迷惑になる。二人して道の端によけ、改めてそれで、と問いかけた。少しだけ背が伸びた少年は、拾ったころから変わらぬ大きな目をビクトールに向ける。
「シュウさんが呼んでますよ」
「お前を伝令に使うのかよあいつ」
規律がどうとか、ビクトールがタイラギに気安すぎるだとか、日頃口うるさく言っているのシュウのほうだというのに。半分は反射のようなビクトールの文句に、タイラギはばつが悪そうに頭をかいた。
「いや、なんだか難しい話が始まりそうで」
ビクトールは内心眉を寄せた。今日の仕事は終わっているし、午前中の軍議でもなにか大きな動きはしばらく予定されていなかったはずだ。懸念事項があるならば、皆に伝えてしかるべき。だというのにそう言う事もなく、軍主にビクトールを呼びつけさせて何を言うというのだ。
「ビクトールさんを呼びに行ってる間に、フリックさんがシュウさんの言いたいことを纏めといてくれないかなって」
「あいつもいるのか?」
晩御飯の約束を取り付けた人間の名前がでて、ビクトールは思わず声を上げた。タイラギが頭をかしげる。
「フリックさんが報告に来たんですよね。なんか、ビクトールさんからの話だって言ってましたけど」
午前中、本当に些細な事だと思ったが無視もできずにフリックに相談した案件だ。シュウにまで律儀に上げた結果、何かシュウのアンテナに引っかかったらしい。本当にやめておけばよかった。大した話ではないはずなのに。
だからと言って、部屋まで帰ったってどうせフリックは帰って来ない。それでは何も意味がない。
ビクトールは大きくため息をつくと、タイラギを促してシュウの執務室へ歩き始めた。紙袋の中からまだ暖かいまんじゅうを取り出して少年に差し出す。
「お前も夕飯まだだろ」
「やった。ありがとうございます」
ここのお饅頭おいしいんですよね。喜ぶ少年の顔を見ながらも、ビクトールの内心は複雑だ。
シュウの部屋は狭い。正確に言えば、整理されてなおうずたかく積まれた資料や地図、メモの類が占領している。おもえばマッシュの部屋もこんなものだったとここに入るたびにビクトールは思い出す。
タイラギと共に部屋に入れば、シュウは何かごそごそと紙の山をあさり、フリックがそれを黙って見守ってるところだった。二人をみとめて、フリックはわずかに笑みを漏らす。
「ちょっと待ってくれ」
「なんの探し物ですか」
タイラギがシュウに寄っていき、ビクトールは半分ぐらいはタイラギと腹に収めた今日の夕食の袋をフリックに手渡した。
シュウの探し物はもう少しかかりそうだ。ビクトールはそっとフリックの耳に唇を寄せる。
「夕飯の約束はなしかよ」
「……夕飯だけなら後で一緒に食えばいいだろ」
それ以上はなしという事だ。フリックの意識は半分以上これからシュウが話すことに向けられていて、それがビクトールにはなんともつまらないのだ。自分だけが楽しみにしていたみたいだ。夕飯も、それ以上も。