2025-07-08
夜だというのにかがり火で明るい。歩哨の姿も数多く、いかにも臨戦態勢だ。明日にはティントを奪い返す為に出陣するからそこに加わる連中はもう休んでいた。俺もそろそろ横にならねばならない、というのにかがり火の下でぼんやりしているのは待ち人がいるからだ。
別に大した約束をしているわけでもないが、多分来てくれるだろう。家の中の方が安全だけれど、話す内容次第じゃ余人に聞かせられないから外のほうが理にかなう。
庭にある長椅子の端に座って行儀悪く足を投げ出した。村長にもらった蒸留酒をグラスに注いでちびちびと舐めていると、歩哨が声を上げたのが聞こえた。
視線をやれば、まだ年若い歩哨とフリックがなにか話しているところだった。夜で、しかも遠目だと言うのに歩哨が興奮しているのがよくわかる。知らない人間に勝手に理想を抱かれるとはどういう気分なのだろう。
タイラギもそう。フリックもそう。多分セキアも、俺自身もそう言う人間だ。勝手な理想像を押し付けられるのは真っ平だけれど、人を戦場へ急き立てるにはかがり火がいるのだ。
じ、と音がして、かがり火に虫が飛び込んだ。石を噛む音もして、俺はそちらに顔を向けた。
「おう」
歩哨が行くのを見届けたフリックが、グラスと瓶の隙間を開けて俺の隣に座った。グラスに酒を注いで差し出す。
「ご苦労さん」
「苦労でもないが」
竜口で何があったかは知らない。タイラギの頬が赤い気がしたけれど、追及するのもおかしな話。タイラギは少しだけ逸った俺が竜口まで逃がしてそこで軍師シュウの策を得て戻ってきた。
それが本当。それ以上の事実は不要だ。
分厚いグラス同士を打ち付ける鈍い音がした。琥珀色の酒で唇を湿らせたフリックはぎゅっと眉を寄せる。
「強いな」
「お前の好みじゃねえの」
「嫌いじゃないが」
つまみもなく飲むものではない。いやまったくその通りで、ただ習慣として酒もなくしゃべる事が出来ないだけだ。
しばらく沈黙が満ちた。虫の鳴く音、歩哨の足音、かがり火の燃える音。どれかを合図にしゃべりだす。
「どれぐらい予想してた?」
「正直、あんまり」
グラスをく、と傾ける。強い酒が喉を焼く。
「そんな度胸ねえってか」
「ちょっと違うな。タイラギはもう覚悟を決めていると思ってた」
フリックの方はさして減っていないグラスを掌のなかでくるくると回す。寝酒にもすこし強い酒だ。
「でも、ナナミがな」
「そう、ナナミがな」
タイラギはもう覚悟を決めている。人を殺す。人を殺す命令を出す。ジョウイと戦う。いずれ、ジョウイを殺す。他の道をいつか選べるとしても、今歩いている道がそこに繋がっていることを知っている。
自分たちがあの子に強いた。かくあれかし、と皆があの子に望んでいる。
ナナミだけが違った。そんなの間違っていると声を上げ、タイラギはそれにどうして応えたのだろう。
顔も見合わせずにため息をついた。何もなかった事を真実とするなら、この話はここでおしまいだ。
歩哨の足音が近づいてくる。
「そういやお前はどうするんだ?」
ナナミとタイラギの事はもう二人に任せるしかない。俺たちがいないところで、二人が何を思い知ったのか、知る権利はないからだ。
「帰る。仕事も溜まってるし」
それはほんとうだろう。自分がいないことで傭兵がらみの仕事がこいつの肩にのしかかっているのも知っている。だけれど、と思ったのは、やっぱりタイラギが逃げたことが俺にとってはショックだったのかも知れない。
「俺様の仇討ちを特等席で見るってのはどうだ」
フリックは眉を寄せ、こちらを見た。
タイラギが逃げた。それを俺たちは予測もできなかった。そのせいでリドリーが死んだ。なんにもうまくいかない。一個ぐらい良いじゃないかと思ってしまう。心の中がもやもやして、それを晴らすすべが分からない。
わがままを言いたいだけだ。結果、かなえられないと分かっていたとしても。
フリックはたっぷり三十秒ほど俺を眺めまわして、仕事がある、と言った。
そんなことは分かっている。だから俺は情けなく眉を下げて、これ見よがしにため息をついてみせるだけ。タイラギのわがままは叶わなかったのだから、これぐらい大したことじゃない。
「……あのな、ビクトール」
だというのにフリックは、ひどく真剣に言った。
「お前が本当に来てほしいんなら、そっちを選ぶからな」
ナナミの事を、タイラギもこうして見つめたんだろうか。お前の願いは一体なんだ。かなえられる事なら何を置いても、と綺麗な顔に書いてある。