2025-05-21
砂礫の上を馬が馬車を引いてざくざくと歩く。時折岩を噛んで大きく揺れるが、それ以外に大した変化もない。砂と岩と枯れた木々。岩に張り付いた苔と高く晴れた空だけが色を持つ世界だ。
ジョウストンとトランを結ぶさびれた街道の一つを行く隊商に拾ってもらったのは僥倖だった。護衛を雇って道々の街をめぐりながら、ジョウストンへ帰るのだという。そこに俺ともう一人乗せてもらって砂漠の旅の空だ。腹に開いた穴がようやく塞がっただけのフリックに、この砂漠を歩いて超える体力があるとは到底思えなかった。
今だって、ぼんやりと剣を抱えてどこか遠くを見ている。まあ何も見てはいないんだろうな。ちょっと熱でも出してそうで怖い。そんな怖い人間を抱えて、砂漠を渡ろうなんてやっぱり無謀なんだよな。
他人事のように思い、そのまま考えるのを止めた。だって連れて行きたかったのだ。俺があの国にいた証を何か、一つ持っておきたかった。それがこいつの望みと合致しないとしても、何も言わないのだから好きにさせてもらっている。
荷馬車の中は濃い影になってる。外は白い程に強い光がどこまでも茶色い土地を光らせていた。
しばらくは野盗もモンスターも出ないだろう。過酷な土地だ。俺たちの他に数人いる護衛も、仲間内で何やら低く話をしてときおり笑い声をあげる。ちらちらとこちらを見ているが、特に声を掛けられるわけでもない。
風の音はする。馬の足音、馬車の車輪が砂を噛む音、何かの鳴き声。男たちの談笑。暇つぶしに開いていた本の中身なんて頭に入らない。ちょっと寝ようかな、と思った時だ。
「ビクトール」
隣から声がした。かすれた、いつもよりも少しばかり力のない声音に胸のあたりがぎゅっと痛む。それを隠して、隣を見た。荒い麻の外套に埋もれてフードを目深にかぶったフリックがこちらを見上げている。
「どうした」
「しばらくは安全だと思うから」
小さな頭が肩に当たった。いつもの体温よりもやっぱり少し熱い気がする。
「一時間ぐらい寝る。膝、貸せ」
はっきりと、聞き間違えようのない声で言われて、俺は思わず内容を精査せずに頷いた。間違えようのない俺の了承を得たフリックはすこし座りなおすと、もそもそと何も言わずに座る俺の膝に頭を乗せた。
フードをかぶった頭がしばし膝の上でもぞもぞ動いて、座りのいい位置を見つけたのか力が抜けた。フードの上から頭をなでれば、邪険に振り払われる。膝を貸してもらってる相手に対して冷たい奴だ。
「体、どうだ」
身をかがめて、ささやいた。随分と気遣うような優しい声音が出て、自分でもちょっと驚く。
「あつい」
すこしだけフードを上げてこちらを見てくる青い目が、熱っぽく潤んでいるのが嫌な感じだ。俺の声音の面白さに気づかない程度にぼんやりしたままのフリックの頭をもう一度撫でれば、やっぱり振り払われた。
つまんねえの。
膝の上があったかくて少し重たい。なんだっけな。昔こんなことあったな。覚えのある感触に記憶を探る。小さな寝息が聞こえてきて、いろんな寂しげな音がする中、それだけがゆるりと愛おしく感じる。
愛おしいだってよ。内心笑って、思い出した。
昔の話。故郷の、何でもない時。飼ってた猫が膝の上で喉を鳴らして満足げに丸まったときの暖かさと重みに似ている。痛みもなく、ただ穏やかな情景が脳裏によみがえって、目元がじわりと熱くなる。