2025-06-19
タイラギも交えた突然の会議は案外長引いて、部屋まで帰りつけたのはもう日付も変わろうかという頃だ。せっかく買ったダンプリングを一緒に食うのだけは出来たけど、あとは全部お流れ。
まあ、仕事だしな。静かな兵舎の狭い私室に二人で戻って、今日はもう寝るだけだ。シュウから押し付けられた書類をとりあえず机に置いた。
「すまないな」
背後から言われて振り返った。そう言ったフリックはと言えば、来ていた外着をさっさと脱ぎ捨てるところだった。なんとなく気まずく、そっと目を逸らす。
「何が」
「お前と夕飯食べようって言ったのに」
軽く笑って肩をすくめる。夕食を一緒にたべよう、なんて子供みたいな約束だ。交わしたものは言葉にすればそれだけで、叶っていないというわけでもない。浮かれた俺が買ったダンプリングは二人分には流石に多く、4人で食べて少し物足りないぐらいだった。
「別に大した事じゃねえよ。まあ、また明日」
自分も着替えて寝てしまおう。そうおもって向き直り、自分も服を脱いだ。もそもそと着替えを取り出している間に、背後でフリックがベッドに座ったような音がする。そうして、また声をかけられた。いつもと同じような声音。焦っているでも怒っているでもない。
「なあ」
「ん?」
寝間着に首を通した状態で振り返る。ゆったりとした寝間着に着替えたフリックが、手の届かない位置で俺を見ている。
「キスしていいか、ビクトール」
半分着替えた間抜けな姿で手が止まった。それは俺が言うべきセリフで、フリックはそれに応えて慌てたり、困ったり、ちょっとむくれたりして、それでも最後には頷いてくれる。フリックの妙に甘い声にキスを許してもらえると、もうなんか、胸に花でも咲いたみたいになる。フリックが俺を許してくれている。触れていいんだって、あのフリックに。
そこまでで思考が止まって、問われる事は想定していなかった。目を見張ってフリックを見つめていると、あきれた、とため息をつかれた。
「俺にばかり押し付けて」
「そう言うつもりじゃあさ」
だってこいつには好きな奴がいるだろう。そのうえで今だけは俺を選んでいるという確証が欲しかった。本当にそれだけ。死んだ人間とキスもそれ以上も出来ないとしたって、見つめることは出来るからだ。
急いで寝間着の袖に腕を通している間に、立ち上がったフリックがずかずか近づいてくる。肩に乗った手が俺をベットに押し付けてくるから、素直に従ってベッドへ腰掛ける。開いた両足の間に膝を割り込ませて、上から覆いかぶさってくる顔は月明かりを真正面から受けていた。
するりと頬に触れてくる指先は固くて冷たくて、赤くなった頬にはちょうどいい。
近づいた顔はちょっとそこらにはいないぐらいに整っている。真正面から見据えられるとだいぶ迫力あるな。まだランプも付けていないから、差し込む月明かりで出来たまつげの影の長いこと。
「お前、改めてすっげえ綺麗な顔してんな」
「あのなあ」
低く、甘い響きの声でもう一度キスを請われて、なんだか本当に照れてしまう。あいつもこんな気持ちだったのかな。
「俺とキスしてくれるんだ」
綺麗な顔の形のいい眉が寄った。ちょっと間違えたらしい。覆いかぶさってくる細くて骨ばった体に手を回した。頬が緩む。口角が上がる。
「キスしたい、お前と」
したい、と思うからお伺いを立ててるんだぜ。それは本当なんだけどな。
いくらキスをしたところで伝わりはしないことを考えている。フリックはちょっと笑って、その笑みのままもう少し俺にかしいで来て、それでキスをしてくれた。
子供みたいな触れ合うだけの奴だ。今までずっと、俺から請うてフリックがいいよ、って言ってくれて、してたのと同じ。そう言うのじゃないのがあるのも、知ってんだろお前だってさ。
「もういっかい」
小さな水音がして離れた唇で言えば、フリックは少しだけ逡巡してまた唇を重ねてくれる。俺の頭を支えてくれる手はやっぱりちょっと冷たくて、なんとも気持ちがいい。
でもなあ。
俺にのしかかってくるフリックの腰のあたりでゆるく組んでいた手を解き、掌で体の線をなぞり上げる。触れ合った唇が驚いたみたいに離れたから、慌てて小さな頭を片手でつかんだ。フリックのほっぺたも熱くてなんとも嬉しい。
「口開けろ」
顎の付け根から頬まで全部わしづかめるのもあんまり良くないな。壊れそうでちょっと怖い。
「あとは、寝るだけだって」
笑って、開いた唇に噛みついた。
仕事とはいえ、約束を違えるのはやっぱり違うよな。
閉じられる前に口の中に舌を差し込んで、驚きに固まるフリックの舌に押し付ける。絡めて舐めあげ、ちょっと引く。肩に置かれた手に力がこもったのが分かる。あふれた唾液が顎から首に流れる感触があった。
柔らかく押し付け、ほんの少しでもこたえてくれる感触があって舞い上がるぐらい嬉しい。舌の先をつき合わせ、ゆったりとひろげて上あごをなめる。
「ふ、ぅ……んく」
夢中な子供みたいな声がする。声ばっかりが子供みたいで、ぴちゃぴちゃと漏れる水音は至極色めいている。指先だけで頬をなで、もう片方の手で背中をゆっくりと撫でおろせば、肩に置かれた指先にきつく力がこもった。
背中と腰の間のあたりで手を止め、唇を離した。濃い唾液がお互いの唇をつないでいるのがまたなんともあからさまだ。
フリックはそれを乱暴に拭うと、染まった目元と濡れた目で俺を睨みつけた。
「キスだけだって!」
だけってなんだよ。
「その先も考えてたか?」
俺のからかう言葉に、フリックは声を詰まらせる。ゆがんだ口元がかわいくて、俺はもう一度そこに唇を寄せる。