end point④「また来たの」
こんな問答も何回目になるんだろう。二、三日に一回ほどのペースで龍水は羽京のところにお邪魔していた。羽京は同じ言葉を毎回龍水に言うけれどそのあとはいつも無言で招き入れる。龍水が何かしらの茶菓子を持ってくるのも当たり前のことになっていて、それを食しながら食堂で談笑するのがいつの間にか日課となっていった。
「こんな真昼間から来てさぁ、ねぇ領主様って暇なものなの?」
「俺は要領がいいんだ」
「…そうだろうね」
羽京は「それ自分で言うんだ…」と言いたげな顔で龍水を見た。
「さぁ、今日は何を話そうか」
最近は専ら龍水の話ばかりだった。家柄、仕事、いつも手土産を持たせてくれる執事の話…羽京に関しては「食べるのが好き」「音楽が好き」「主人の帰りを待っている」「不死身…」最初の頃に知ったことばかりで他の情報があまり得れていない。いや、この数ヶ月で分かったことも多少はあったか。屋敷に小さなダンスホールがあったからそこで羽京を誘って踊ったけれど初めての割には上手く踊れていたなとか、いつも俺が玄関でノックをする前に気付くのはなぜかと聞いたときは耳が良いのだと教えてくれたな。俺がどんな領主なのか知ったのも、屋敷まわりで野草でも取っていたのであろう住人の噂話からだったと最近になって教えてくれた。
ただ、過ごす上で知ることはあれどどこで生まれて今まで何をしてきたのか、そして彼が気にする主人…坊ちゃんの話については、聞いても無言で流され話が終わってしまうことが多かった。
「今日は話じゃなくて土いじりしてほしいな」
「土いじり」
「うん。その間に僕は部屋の掃除をしたいんだよね」
「一緒に土いじりするならまだしも貴様、この俺を顎で使うつもりか…」
羽京はにこりと笑って「よろしくね」と龍水に言った。どうやら拒否権はないらしい。
しぶしぶ畑に足を運んだ龍水。新しい種を植えるのに一部の土を整えてほしいそうだ。
他の畑は端から端までまっすぐと綺麗に整えられていてそれだけでも羽京の几帳面さがうかがえた。人の行いというものはそれだけでも人格がわかるものだなと龍水は思い直して言われた土いじりをはじめた。
「うん、綺麗にできてるね」
裏口の小さい階段に腰掛けていると羽京が声をかけてきた。さすが領主様、と言葉を投げかけ羽京は満足げに龍水の方を見やる。水を持ってきてくれた羽京は龍水にコップを差し出し隣に座った。日の明かりに照らされ、風にふかれているその様は気の良い青年にしか見えない。
「そんな不満げな顔しないでよ。君も一応僕の恩恵に預かってるんだからさ」
羽京の言う恩恵とは龍水が来訪した際に出す夕食や間食物、即ち今整えてもらった畑のことだ。龍水は発言する前に少し乾いていた身体に水分をおくった。
「それを言うなら貴様だって俺が持ってきた茶菓子を食ってるだろ。おあいこでは?」
「僕は別に来てって言ってないのに勝手に来るんだからそれは迷惑料でしょ」
いつも真顔で俺の手元を気にしてチラ見しては美味そうに食っているくせにどの口が言うかと内心思った龍水だが口にはせず目でモノを言った。それが相手に伝わったのか、羽京は少し視線を彷徨わせた。
「…じゃあ、最近あったこと教えてあげる」
龍水は息を飲んだ。羽京からわざわざ“教えてあげる”という発言。一体どんな情報なのかと興味津々で耳を傾けた。
「君が美味しいものばかり持ってくるから最近少し太った」
勿体つけて意味深に言ったわりには抜けたような回答で、思わず通り過ぎて行きそうになった。がしかし、気になることは確かにあった。
「…不死身でも体型が変わるのか?」
「さぁ?感覚の変わった感じがあるだけ」
「貴様の感覚ひとつでホラ吹きになるではないか。見た目が変わったようには見えないがな」
「君がそう思うならホラ吹きってことでいいよ」
なんともいい加減で投げやりな返答。羽京は思わせぶりなことばかり言う。
「貴様を不当な見方で見たくない。なぜそんな物言いをするんだ」
「別に良く見られたいなんて思ってないから。君こそ何でそんな僕を気にかけるかな」
羽京は膝を抱え頭を膝頭にくっつける。帽子もあるせいで殆ど耳しか見えない。
「…初めて会ったとき、貴様は俺を主人と間違えていたな」
羽京はぴくりとも動かない。
「俺は貴様の、羽京のあの時の目が忘れられない。叶うならば同じような感情を向けられてみたい」
羽京は何も言わない。
「勿論、羽京と関わってわかったこともある。食べるのが好きで音楽が達者で器用で、また来たのかと言うわりには俺を招き入れてくれてこうして水を持ってきてくれる。貴様は人を跳ねつけるような言動をワザとするだけでその実、優しい人間だろう?俺はお人好しというわけではないのになぜか貴様がほっとけない」
「…………」
「なぁ羽京」
ずっと疑問に思っていたことを
「俺と貴様の主人はそんなに似ているか?」
言った。
羽京は膝を抱える腕をより一層強める。
「…似てなんか……」
「似てなんか?」
「………」
「似てるんだな」
「…っ、似て、ないよ」
「…俺は貴様の主人の代わりにはなりえないぞ」
羽京はガバッと顔を上げ、
「だから似てないってば!!」
怒って怒鳴っているのかと思えば半分泣きそうで声が震えて、図星を突かれたことは見て取れた。
「大きい声出してごめん。ほんと、もうここへは来ないでよ」
顔を腕で隠して膝を抱え直してしまった。
「貴様が本音を言えば俺は納得して帰るかもしれないぞ?」
「………ほんとに?もう来ないでくれる?」
「内容次第で可能性があるかも、というだけの話だがな。話すだけの価値はあるんじゃないか?」
これは龍水のブラフである。元より交渉ごとで負けたことがない。否、ひとりの知人には負かされまくってはいるのだがこれはまた別の話だ。交渉で足踏みしそうなのであれば相手に利となる可能性を少しでもチラつかせるのが定石。羽京は考える。本当のことを言うまでこの男はきっと諦めない。言ったところで諦めないような気もするが…ここ最近過ごして相手のことをわかるようになったのは何しも龍水だけではないのだ。龍水の性格を考えれば来なくなるという確率はかなり低い。そもそも羽京が気に入っているという理由で来ているのだが、少しでも可能性があるならばと羽京は意を決して口を開いた。
「………坊ちゃんが家を飛び出して帰って来なくなった。使用人たちは次の仕事を探してここを出て行く。でも、乳母と執事は坊ちゃんが帰って来るのを…気味の悪い不死身の僕と一緒に待ってくれた」
羽京は少しだけ顔をあげ口元が少し見えたが帽子は深くて表情まではわからなかった。
「こんな僕にも優しくしてくれた人たちだった。乳母は病気で、執事は寿命で亡くなった」
龍水は羽京のことを見て静かに話を聞いている。
「“しばらく”して、ここに迷い込んだ女の子がいた。それから気の向いたとき遊びに来てくれて僕に花冠をくれた。でも崖から落ちて亡くなった」
羽京の言葉を邪魔するまいと風も止んで、羽京の声だけが聞こえる。
「また“しばらく”して男がここに来た。僕からすれば泥棒ではあった。生活のために盗みを働いていたらしいけれど、親兄弟のためだと言っていた。僕の事情を知っても笑い飛ばして「元気にな」と言葉をくれた。でも、盗みがバレて村の人に殺され亡くなった」
大きい水滴がポロリぽろりと流れていく。帽子越しでもわかるくらいだった。
「っ…僕、は……もう、僕に優しく…っ、してくれた人の死を、看取るのも、聞くのも、嫌だっ……いやなんだよ…っ」
啜り泣いて、顔がぐしゃぐしゃで、それでも羽京は龍水の方を見た。
「ねぇ、龍水」
羽京のエメラルドの瞳とかち合う。初めて会ったときと同じように涙を溜め込んだ瞳だったのに、それは異なった色をしていた。
「お願いだから、龍水を僕の大事な人にさせないでくれ…………おねがい」
龍水の袖を引っ張って下を向いて羽京は懇願した。二人の隙間に見える階段にシミが出来ていく。
羽京が初めて龍水の名前を呼んでくれたというのに、龍水はちっとも嬉しい気持ちにはなれなくて、自分よりも年下に見える不死身の青年を、ただ抱きしめてやることしか出来なかった。