end point⑤(ご主人様、今度はどこにお出かけするんですか?)
(あぁ!不死身の死に関する情報を得たので隣国の方に行ってくる)
(そんな、海なんて危ないのに…僕のためにそこまでしないでください…)
(何を言っている?それはついでに過ぎないさ。俺の個人的な、隣国へのちょっとした視察だ)
坊ちゃんは太陽のような笑顔を僕に向けてくれる。
(気兼ねなく待ってろよ羽京!)
以来坊ちゃんは帰ってこなかった。
坊ちゃんの乗った船が行方知れずと言っていた。行方知れずというだけで死んだかどうかなんてわからない。坊ちゃんは絶対帰ってくる。約束を破られたことなんて一度もなかった。僕は坊ちゃんを信じてる。坊ちゃんを諦めた使用人たちはポツリぽつりとここを離れる。待っていたハズの者たちもいなくなる。
それでも僕は────
潮風と人の熱が交じったにおい。なんだか懐かしいな…。
「ぼっちゃん…?」
ふと目を覚ますと視界が白かった。少し上の方を向くと肌色、金髪。羽京は龍水の腕の中で眠っていた。最初の視界が白かったのは龍水のシャツだったようだ。疑問に思いながら身じろいでいるとその動きで龍水が目を覚ました。
「…?あぁ、起きたのか」
一緒に起き上がるも龍水は羽京を離そうとしない。あたりを見回すとどうやら応接室のソファで眠っていたようだった。
「あれ?僕、どうして…」
「覚えてないのか。泣き疲れて赤子のように寝てしまったからここまで運んだ」
羽京は自分の醜態を思い出して熱くなった顔を帽子で隠そうとしたが手元は空を切った。肝心の帽子は机の上、寝る際に取ったのだろう。隠したくても龍水に抱きとめられたままで身動きが取れないままでいた。
「き、君までここにいることは無かっただろ」
頼りない虚勢を張ってなんとか言い返す。
「泣き疲れていた貴様をあのまま放置なんぞ出来るか」
羽京の首元に顔を埋めた龍水が、抱き締める力を強めた。龍水の優しさに、羽京はまた泣きたくなった。
「そんなこと言うくらいなら僕の本音なんか聞かなきゃよかったんだ」
「…そうかもな。俺も、貴様を傷つける気なんて無かった」
だが…と言葉を続けて龍水は顔をあげ、羽京の顔を両手で包み込む。帽子を被ってない羽京の表情を逃さまいといった圧を感じる。
「言われないとわからない。聞いた上で羽京を傷つけることになっても、その傷ごと俺は愛したい。本心ならば尚更」
羽京は言葉に詰まる。目を逸らしたいのに、逸らせない。
「だから俺は羽京に聞く。なぁ、貴様はどうなれば幸せだ?どうなりたい、どうしたい?」
人といたい、いられない。でも……そうやって膨れ上がった葛藤が矛盾な行動を生み出した。本当の羽京は人との関わりを嫌うタチではないのだろう。けれど、見知った人間はみな羽京より先に遠いところへ行ってしまう。だから突き放す言動をしてきた。
「僕は、」
大事な人に看取られて死にたい
小さい声で呟いた。
「みんなより、早く死にたい」
自分に情を向けてくれる相手に言うような言葉では無かったと思う。けどこれが本心で一番求めていることだった。
「…そうか」
龍水は羽京のことを抱きしめ直す。羽京は、抱きしめ返した方がいいのかわからなくて自分の指同士をすり合わせていた。
「俺は羽京より先に死なない。約束しよう」
「…信じられないよ、そんなの…」
気持ちはありがたくとも物理的に無理な話だと羽京は諦めを口にする。
「主人がここに帰ってくることを信じているのに、俺の言葉は信じられないか」
「!」
「貴様の主人はもう「そんなの!」
大きな声を上げた羽京はキツめの抱擁から顔を出す。近い距離で二人の視線が繋がる。龍水は決して羽京を傷つけたいわけではない。
「そんなの…僕だって本当はわかってるんだ…それでも、」
長かったような刹那的であったような、沈黙は続いた。
「よし、決めたぜ」
そんな空気を裂いたのは龍水だった。彼はニヤリと歯を見せて笑う。
「不死身の死に方について調べてみよう」
聞き覚えのある台詞。
「俺が不死身になるよりも現実味がありそうだ」
それも聞いたことある。
「生物に変わりはない、何か条件があるハズだ!」
龍水は立ち上がり呆然と座る羽京を見やる。
「心配するな羽京、俺が必ず貴様の死に方を見つけてやるぜ」
ふわりとした銀髪を、龍水の大きくて暖かな手が梳いてゆく。
「調べるのにしばらくここには来れないかもしれんが、気兼ねなく待ってろよ羽京!」
龍水は大きい歩幅でドアに向かう。
「りゅぅす「またな」
龍水は笑顔で部屋を出て行った。
なんで、龍水が坊っちゃんと同じ言葉を…たまたま…偶然?何にしても嫌な予感がする。
同じ言葉を言って帰ってこなかった主人、坊っちゃんの姿が龍水と重なる。
ほんとに、次も「またな」があるの?羽京は不安で仕方がなかった。
龍水自身が言ったとおり、彼は暫く羽京の屋敷に顔を出さなかったかったが、羽京は毎日外の足音を拾っていた。龍水が羽京の屋敷に足を運ばなくなってから二週間が経つ。港の方では領主様が海に落ちた、捜索隊を──という声でざわめきたっていた。
龍水が海に…?
庭に出ようと玄関から出た時、港のざわめきを聞いた羽京は呼吸が浅くなる。港の話を聞く限りでは隣国に行くと国を出て、急天候の嵐に見舞われたのではという話だった。海の事故のことについてはよくわからない。けれど、海を想起したときは息が上がってしまう。羽京は海が怖かった。
もう何百年前かもわからない。容姿がまだ子供と言われるときだったと記憶している時代。不死身の子供がいるのは本当かと連れ去られ、向かった先が海だった。手足を縛られ水の中に放られる。浮き上がってくれば上から押さえつけられ沈められた。死んだのか確認した後意識が戻るとまた同じことの繰り返し。何度も何度も、何度も何度も溺死をした。周りにいた大人たちは本当に不死身だったと声を上げ地下に幽閉した。
そんな幼子だった羽京の記憶は今でもべったりと張り付いたままだ。
「はっ、はっ……」
浅く、荒くなった呼吸を整えようと尽力する。
だいじょうぶ、大じょうぶ、大丈夫…ここは海じゃない、落ち着くんだ。でも、龍水は今海だ…。
海に落ちたってことは身ひとつでいると言うこと。捜索隊は龍水を見つけられるのだろうか、この広い海を。
羽京にまた不安が込み上げてくる。
龍水が僕と同じように苦しんでるかもしれないんだ。
坊っちゃんと同じように出て行った龍水の顔を思い出す。
僕はまた何も出来ずに大事な人がいなくなってしまうの?
坊っちゃんのときと違うとすれば龍水が落ちた情報がいち早く入ってきたということ。
行けばまだ、間に合う?
考える間もなく羽京は自分の帽子を玄関に放り投げ、数百年ぶりに屋敷の敷地外へと飛び出した。
久々に出た街は随分と様変わりしていた。衣服が変わり、人が変わり、見たこともない建物が出来、火の使わない灯りがあり、知らない技術に溢れていた。
それでも羽京は見向きもせずに港の方へと駆けていく。雲行きは怪しく、これからもっと酷くなりそうな海を目の前に立ち尽くす。あまりの広大さと波の音に恐怖がぶり返す。
震える手をギュッと握りしめて海を睨む。怖い、怖い、どうしよう、でも、僕がここまで来てしまったのは…
龍水がいなくなってしまうことの方が怖いから。
何も出来ずに大事な人が自分より先にいなくなるのはもう嫌だ!
歯を食いしばり恐怖を振り払うように足を動かす。適当な小舟を拝借して海へ出た。遠くで「こんなときに船を出すな危ないぞ!」「戻ってこい!」と僕を心配してくれる人の声が聞こえていたけれどなりふり構ってはいられない。だって僕より危ない人が遠くにいるのだから。