雛鳥「いってぇ!」
アジト内に目を覚ましたペッシの悲鳴が響く。
「口開けるんじゃねぇ。傷口開くぞ」
アルコールを染み込ませた綿をピンセットで持ってプロシュートはペッシの唇の端へ宛がった。
「こ、こんなんほっといても治りますし!」
口でこそ強がっているが、目の端には涙が溜まっていて、漸くペッシが恐怖から解放された事を物語る。
ペッシが自ら口をビーチ・ボーイの能力で接合した事に動揺したサルーテを直で枯らして留めに頭を銃で撃ち抜いた時、ペッシは半ば気を失ったようにぐったりとしていた。
鏡を持っておいて正解だった。イルーゾォのマン・イン・ザ・ミラーで安全を確保し、ワイナリーからアジトへと連れ帰ったのだ。
ペッシは無意識にスタンドを発動させたままだった。
無理に針と糸を引き抜こうとすればペッシ本人が深手を負ってしまう。
プロシュートはペッシの手を取って握り締めた。
攻撃される可能性がない訳ではない。
それでも、一瞬でもペッシを自ら『始末』しようとスタンド能力を使おうとした事を償いたかった。
償う?使えねぇ新人を敵ごとブッ殺してきたオレが?
プロシュートが自嘲的に嗤う。
そんな事を続ければいつかは報いを受けるぜとホルマジオからは忠告を受けたが、いずれ組織のお荷物になるような者はこの世界では生き残れない。――特にパッショーネの暗殺チームであれば尚更。
やがて指から伸びた鮮やかな色の糸が音もなく消える。
プロシュートはホッとするのと同時にペッシの頭を撫でた。
「暫く2人きりにしてやれ」
気を遣ったのか、リゾットがペッシを心配そうに見守ってたギアッチョとメローネを部屋から出るように促す。
プロシュートは黙ってペッシの唇に残る痛々しい傷跡に指を這わせた。
ペッシの行動はプロシュートにとっても想定外だった。
仲間からの信頼に応える為に己自身にスタンドを使う、そんな覚悟を見せたのはペッシが唯一無二だった。
そんなペッシに栄光を垣間見た。
何か根拠があったワケではない。これもただの「勘」だ。
しかし、情報を吐くのも時間の問題だと切り捨てて見限ろうとした自分自身に今更ながらぞっとする。
ペッシがスタンド能力を自分自身に向けるのがほんの少しでも遅ければ。プロシュートがほんの少しでもオレがオメーのケツを拭いてやると判断するのが早ければ。
プロシュートはザ・グレイトフル・デッドでペッシ諸共サルーテを葬っていただろう。
オレは、あの時そんな自分を恥じた。
ペッシの覚悟にダイヤモンドのように硬い意志を持つ”気高さ”を垣間見た。
だから、オレはこんな事をしてンのか?
……次の瞬間、ペッシが跳ね上がるように飛び起きた。
「――ったく。手当てなんてオレのガラじゃねェんだ」
清潔なガーゼを当てて、絆創膏を貼る。応急処置などいつもはジェラートの役目なのだが、ここ最近野暮用だと抜かしてソルべとアジトを抜け出す事の方が多くなった。
ボスの事を嗅ぎ回ってるんじゃないかという憶測がチーム内で飛び交ってるが、それよりもプロシュートにとってはこれからの方が大事だった。サルーテを始末し損なった挙句に、逆に囚われたペッシを責め立てた所でどうしようもない。
問題はサルーテのように組織の内情を暴こうとする敵対者がここの所増えた事だ。パッショーネは今やイタリアを牛耳る巨大組織だ。それの脅威になるようなギャング組織は排除し芽が出る前に潰さねば。
いずれにせよ、サルーテのシチリアのワイナリー経由で協力関係にある者達はいずれ炙り出されるだろう。
その時こそ、ペッシに殺しをさせる必要に迫られるだろう。
「兄貴、オレの事怒ってるんじゃねぇんですかい?しくじった挙句捕まったりなんかしちまって、」
恐る恐る質問をするペッシは妙に落ち着いた様子のプロシュートに却って怯えてるようだった。
「うるせーぞ。奴の居場所を探す為に二手に別れたオレの落ち度だ」
プロシュートの言葉にペッシは不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせる。
その瞬間、空腹を告げる音がプロシュートの耳に聞こえてきた。
「す、すいやせん……」
叱られる、とビビったのか咄嗟に縮こまるペッシにプロシュートは短い吐息を吐く。いざとなったらコイツは自傷すらも選択肢に入れられる癖に、どうしてこうも気が小さくて自信がないのだろうか。
ペッシの過去に何があったのかは特に聞かされてない。
言及する必要もなかったからだ。
暗殺チームにやって来る者は皆それなりに事情を抱えている。そもそもギャングになる時点で真っ当な人間ではない。
ペッシについてプロシュートが知っているのは入団試験経由ではなく元からスタンド能力を持っていたという事だけで、ペッシがこれ程までにマンモーニたる理由も所以も分からない。
「オメー、そんな有様で飯なんて食えんのか」
長い間右手を拘束され血流が悪くなり痺れているであろう事は指先の動きを見れば察せる。腕が動かせれば治療の時に咄嗟に口を庇っていた筈だという事も。
「そ、それはッ、」
まるで罰として飯抜きを親から言い付けられた時の子供のような反応をするペッシにプロシュートは苦々しい気持ちになる。
恐らくコイツは普段からそういう扱いを受けてきたんだろう。
プロシュートは徐ろに立ち上がるとキッチンにあった鍋の蓋を開けた。
「ほれ、トマトリゾットだ。オメーが食いな」
ペッシの目の前に差し出すと、ペッシは戸惑ったようにプロシュートとトマトリゾットを交互に見た。
「でも、兄貴」
「んだよ。オレはオメーの世話係じゃねぇぞ」
プロシュートは文句を言いながらもスプーンでトマトリゾットを掬い上げてペッシの口元へ運んだ。
ふぅふぅ、と息で冷まして素直に食べるとまた泣きそうな顔になるペッシにまるで雛鳥に餌を与える親鳥になったような気分になる。だが、それでいい。オレは立派なギャングになるまでコイツの成長を見守ると心に決めた。この先どんな事が起きようとも。
それは贖罪でも何でもねェ。オレの覚悟だ。