筍と春雨スープドスティ花冷えの雨が朝から降っている。
肌寒さの中私は軽くストレッチをし朝食作りを始めた。
「うえぇ雨かぁ……」
ビームのぼやく声に私は顔を上げる。曇った表情のビームが恨めしそうに窓の外を見やっていた。
「送ってやりたいのはやまやまだが、これからリモートワークなんだ」
私はトースターに食パンを入れる。
駅近故に私は通勤は電車移動だ。それでも最近は通勤ラッシュの満員の列車に辟易して、パソコンさえあればどこでも仕事が出来る強みを活かしてリモートワークへ切り替えた。
勿論、ビームのバイク通勤の大変さは知っているから、車の免許だけは取った。ただビームは私に気を遣ってなのかレンタカーで送り迎えしてくれと頼んできた事はない。
分かっている、それはシェアハウスに駐車場がない事を理由に私が車を買う事を先延ばしにしているせいだ。
このままではペーパードライバーになってしまう――そんな不安を他所に、ビームは焼き上がったトーストへバターを塗った。
「うー……仕事行くの面倒だなぁ」
コーンポタージュとサラダ、それにシンプルなスクランブルエッグ。日本の和食も好きだが、朝は洋食の方が多い。
「帰ったら美味しいものを作っておいてやるから。食べたいメニューあるか?」
「本当か!?俺、タケノコ?ってやつを食べてみたくて!」
私の言葉に途端に目を輝かせる。ビームは喜怒哀楽が分かりやすい。当人は自覚がないのかも知れないが。
確か、いつもの定食屋に春限定筍尽くしメニューがあった筈だ。少し値は張るがそれはもう絶品だった。筍ご飯に、筍の煮付け、筍の天ぷら。筍のあの歯応えのある独特の食感は、私もすぐ好きになったものだ。
「あの定食屋じゃ駄目なのか?春季限定メニューで食べられるぞ」
ビームは私の言葉に俯き気味に瞳を伏せた。
しまった、嫌な言い方をしてしまっただろうか。私としては、雨で出勤すら気怠そうなビームが頑張って働こうという気にさせる為の方便だったのだが。
「兄貴の料理がいい」
「……うん?」
「――兄貴の作る飯を、兄貴と一緒に食べた方がいい。駄目か?」
今度こそはっきりと返すビームに心がじんわり温かくなってくる。必要とされるというのは、こんなにも嬉しいものなのか。
大学時代の私は、姉たちが嫁に行く為の持参金を稼ぐ為学業と労働の日々だった。早朝に新聞配達をしそのまま大学に行ってはそのまま大学の後は塾講師の生活で、日々が忙しくて余裕などなかった。私は家族に愛されてる実感もないまま、逃げるように日本へ来てしまった。
「駄目な訳ないだろう。君の為にとっておきを振る舞うつもりだ」
ふわふわとした髪を撫でれば、ビームは人懐っこい笑みを浮かべて約束だぞ!と言いながらどたどたと着替え始めた。
撥水加工素材のライダースーツでバイクへ跨り走り去って行くビームを窓越しに眺めながら、私はWeb会議をなるべく早く終わらせてやろうと心の中で決意した。
お昼を過ぎて、お昼は適当に済ませる。こんな風に料理で手を抜くのはビームがいない時だけになった。
情けない話だが、日本に来たばかりの頃はあの定食屋を見付けるまではほぼコンビニで買うかカップ麺ばかりの生活だった。トレーニングをしていたから幸い体型は維持出来たが、あのまま不健康な生活が続いてたらとぞっとする。
そんな事を考えながら、筍を水にさらした。
まずは水煮にして青椒肉絲を作ろう。
そう思い立つと自然と組み合わせる料理のメニューが決まった。
フライパンに胡麻油をひいて、大豆ミートを炒める。ピーマンと筍の水煮を加え、オイスターソースと醤油、酒、砂糖で味付けすれば完成だ。いい匂いが食欲を唆る。
青椒肉絲を作っている間に茹でていた筍もそろそろ頃合いだろう。火を止めて茹でた筍を細切りにして紙タオルでしっかりと水気を取る。フライパンに油をひいて、筍全体に油がからむように筍をしっかり焼く。こうする事で筍のえぐみが取れていく。
筍を一度取り出し、胡麻油をもう一度ひいて、卵、冷えたご飯を炒める。ほぐしながら塩少々を加え、筍と桜海老を入れて炒め合わせ、湯で炒飯をふっくらさせるように馴染ませれば筍の焼き飯が完成だ。
最後はやはりこの組み合わせならば筍の春雨スープだろう。
春雨はぬるま湯で戻して切り分け、ニラを切り分け、筍の焼き飯で余った筍も用意する。鍋にお湯、鶏がらを入れて沸騰させ、材料を入れて煮立たせる。
オイスターソースを加えた頃合いで、丁度ビームが帰って来た。良かった、雨はすっかり止んでるようだ。
「ただいま~…んー…いい匂いがする」
腹を摩る仕草を見るからにきっと空腹なのだろう。
「自分が食べる分だけ取り分けておいてくれ。温め直すのは私がやるから」
ビームは少し驚いたように目をぱちくりさせた。
「えっ、でも」
「仕事で疲れてるだろう?リモートワークで私はずっと家にいたし」
そう返して盛り付けた器を電子レンジへ入れる。
そして鍋からスープを取り出していくと、不意に肩にずしりと重い感触があった。
「なぁ兄貴、味見したい」
今日のビームはいつもより甘えん坊だ。そういえばビームは雨が苦手なのだといつの日かぽつりと漏らした事がある。
傘を忘れた雨の日、決まって学校へ迎えに来るのは両親ではなく祖父だったのだと。祖父の事は大好きだったが、他の生徒が母親に手を引かれる中惨めに感じたのだと語っていた。
「ふふっ、いいぞ」
小皿にスープをよそってビームの口元へ運ぶ。
「美味い…冷えた身体に染みる…」
「まだ肌寒かっただろう?夕飯が終わったら先に風呂に入るといい」
「ん――」
「もう一口、いるか?」
何だか雛鳥へ餌を与える親の気分だ。素直に口を開けてスープが運ばれるのを待つビームは可愛らしい。
「へへ、どうしよう。恋人みてぇな事しちまった」
照れ臭そうに頬を染めてぱっと離れた途端、電子レンジから電子音が鳴り響いた。もう少し密着していても良かったのに、と私は苦笑しつつ温めたスープを器へ盛り付けた。
「ビーム、筍のスープはオイスターソースを付け足して食べるといい」
「おう!味変ってやつだな」
すっかりいつもの様子に戻ったビームは瞳を輝かせて筍のスープにオイスターソースを回し入れる。
私もスープにオイスターソースを付け足すとまずは一口飲んだ。春雨のつるりとした感触と筍のコリコリとした食感がたまらない。オイスターソースの牡蠣の風味が鼻を抜ける。
おかずが欲しくなり青椒肉絲へ箸を伸ばす。
ピーマンのシャキシャキ感と程良い苦味が筍の甘みに良く合う。筍の焼き飯はとうもろこしのように甘みが増して卵と筍と塩だけのシンプルな材料なのに美味しい。
ビームもまた、無我夢中で箸を進めていた。良かった。私の作った筍料理に満足してくれたようだ。
「ごちそうさん。あのさ…さっきの、兄貴は嫌じゃなかったか…?」
少し気恥ずかしそうに空の食器を下げるビームに私は肩越しに感じた体温を思い出す。考えてみれば、いつもくっついて寝てるのに、そんなに意識する事だっただろうか。
「気にしてないよ。料理がなくならない程度に味見なんていつでもしていいんだ」
そんな事より風呂に入った方がいい、と背中を押して催促する。ビームは勘弁してくれ!と笑いながら浴室へと素直に向かって行った。私はその姿に微笑みながら、ビームがほんの少しでもこれから雨の日が好きになれるように祈った。