無題キャプションお読み下さいましたか?
いきなり始まっていきなり終わります。
意識が浮上する。
「ぅ……」
深い沼からようやく這い出たような倦怠感。
掠れた自分の声で、いま少し意識が覚醒し、状況を伺う理性が復活した。
ポップは自分の見ている光景が泊っている村の宿の部屋ではないことに気付いた。岩肌が剝き出しになった、まるで洞窟のような雰囲気の場所だった。
暗くジメジメとしていて、鉄錆のような臭いが鼻をつく。
よく見ようと首を動かすも、全身に鈍い痛みが走る。患部を押さえようと思い、ようやく両手首が頭上で一つに戒められていたことに気付いた。
ジャラ
鎖の音がポップの耳に大きく響く。
(捕まっちまった…か……)
ため息が出た。さすがに想像はついていたが、実際に確認してしまうと落ち込む。
魔法力回復に効果のある薬草があるという話を聞き、村の近くの森を訪れたまでは良かったが、あんな形で罠を張られるとは思わなかった。
(悪魔の目玉に、あんな…魔法力を奪う能力があるなんて)
先に仲間たちを村に帰したのも不味かった。あの地域に出る魔物のレベルなら危険はないと、完全に油断していたのだ。
(悲鳴を聞いて…それで森の奥まで走って……)
そして見たのは、村の者だと思われる男性が、無数の触手に囚われている現場だった。
『?!! いま行く!!』
大慌てで男性のもとに飛び、閃熱呪文を唱えて触手を切り離して解放する。びちびちと青い液を撒き散らしながら落ちる触手は、しかしどれほど切断しても無数に湧いてくる。
たまらず、男性を抱きかかえたまま飛翔呪文の高度を上げた。
触手の正体は悪魔の目玉だった。数匹の群れと思っていたのだが……
『なっ?! なんだこりゃ!!?』
周りの木々全てに睨みつけられ、ポップの項がそそけだった。
『擬態…?!』
悪魔の目玉にそんな能力はなかったはずだ。さらに言えばこんな百匹を超えるようなコロニーを築く習性もないはず。
巣を作るという情報を人間が知らなかっただけという事も考えられるが、それでも近くに村があるのだ。森に入る人も多いのにこれまで被害など一切出ていない。
自分たちが村に着いたのは二日前だが、何の変哲もない普通の村だ。外の話を聞けるとダイとマァムと共に歓迎してもらって、その時に少し席を外した時『魔法使いなら』と魔法の聖水の材料にもなる薬草の話を教えてもらった。
そう、確か教えてくれたのは――この男性で…?!
『ヒヒッ』
抱えていた男の身体の輪郭がぶれた。代わりに見えてきたのは、野良着ではなく魔王軍の文様が描かれたローブ、目元だけが空けられらたを紫の縁取りの仮面。
『なっ?!』
罠だ…!
変身呪文(モシャス)に気付き、振り落とそうとしたが、遅かった。
『ヒヒヒ! 爆裂呪文(イオ)!!』
爆音が響いた。
ポップの意識は一瞬遠のき、トベルーラの制御が出来ず、あえなく墜落した。
魔法防御力がいくら高くとも、ゼロ距離でのイオはさすがに衝撃を防げるものではなかった。
『が…はっ!』
内臓が悲鳴を上げている。肋骨も数本イカれたかもしれない。
痛みに耐えるのが精一杯で、抵抗らしい抵抗が出来ないまま、何十本という悪魔の目玉の触手が体中に巻き付き拘束されてしまった。それでも何とか呪文を唱えようとする。
『っ中級閃熱呪文(ベギラマ)!!』
集中が弱く、普段の威力にはとても及ばないが、全身に熱を纏わせる形で発動させる。獲物の熱さに触手が離れていく。ポップは必死の思いで立ち上がり、この場から逃げようとする――が、出来たのはそこまでだった。
『あ…れ…?』
纏わせていたベギラマが維持できない。足から力ががくりと抜け、ポップは膝をついた。
(魔法力が――?!!)
痛みで気付いていなかったが、いつの間にか魔法力がごっそりと失われていた。
――考えられるのは、先程しかない。
『ヒヒッ! 司教様、ご覧下さい!』
祈祷師の笑い声がする。再び絡みついてきた触手をポップは呆然と見つめた。触手が触れた部分から、魔法力が吸い取られていく。
――ヒョヒョッ! ようやった。悪魔の目玉の強化改造は成功というところじゃの。
ポップの耳に覚えのある声が届いた。妖術師がひときわ大きい悪魔の目玉に向かい喋っている。
『…ザボエラ……っ!』
妖魔司教ザボエラが映っていた。
もっとも、ポップにとっては薄汚い妖怪ジジイでしかない。
クロコダイン戦では卑怯にもダイの養親ブラスを人質に取り、つい先日はバラン戦を首の皮一枚で生き残った自分たちを、他人の上前を撥ねるように寝込みを襲って殺そうとした。
そして、命を弄ぶ悍ましい研究の果てに息子すらも簡単に犠牲にしたのだ。尊敬できる部分を欠片も見つけられない敵だった。
呼ばれたのが聞こえたのか、目玉に映るザボエラがポップを見た。にちゃりと厭らしく嗤う。
――久しぶりじゃのう、小僧。我が妖魔師団の強化モンスターの試用実験に良い獲物が引っ掛かったわい。
『…っ』
――どぉれ、一息に殺してやろう…いや…勇者どもを引きずり出すエサにするかのぅ? フェフェフェ。
『ぅ…ぁ…っ!!』
既に身動きはとれなかった。首を締め付けられ呼吸が満足に出来ず、痛みと息苦しさに遠のく意識の向こうで、ザボエラの高笑いをポップはぼんやりと聞いていた。
(あれから、どれくらい経ったんだ…?)
捕らえられたということは、まだ利用するために生かすということだろう。ザボエラが言っていた通り、ダイ達を誘い出すエサに使われるのかもしれないし、もしくは見せしめに処刑するために生かされているのかもしれない。
(逃げるのは…無理だな……)
傷の手当てなんていうお優しい処置はされていない。呼吸が普通に出来るあたり、肋骨は肺に刺さってはいないのだろうが、痛みがひどい。内臓の損傷はわからないが、ゼロ距離のイオを喰らって無傷なわけもない。
魔法力は回復しているが、先程からどんなに発動させようとしても、蓋をされて抑え込まれるような感触があり、呪文が形をとらない。両手を拘束している鎖に魔封じの力があるのだろう。
(鉄格子があるんだから牢なんだろうけど、その場所もわからねぇし…)
負傷して捕虜となり、情報ゼロで、更に打開策もゼロ。控えめに言っても、詰んでいる。
ギリと唇を噛む。せめて仲間たちと連絡が取れるなら希望もあるのだろうが、今のままでは絶望だ。
何より、仲間は絶対に自分を見捨てようとはしないだろう。それがわかるからこそ、つらい。
(あの村は大丈夫かな…。ダイ達が負けるとは思えないけど、皆が去ったあとであの悪魔の目玉が襲ったら……)
擬態や魔法力吸収といった特殊能力だけではなく、自分の知る通常の悪魔の目玉よりもずっと力が強かった。そんな魔物の大群が村を襲えばひとたまりもないだろう。
自分を罠にかけたのが妖術師なのを考えると、自分の今後の処遇も妖魔師団の預かりなのかもしれない。
それはつまり、あのザボエラの管轄におかれるかもしれないという事だ。
(…ろくでもないことしか想像できねぇ…っ!)
ぶるりと頭を一つ振って溜息をつく。
(とにかく考えろ…ここから出て皆の所に戻る方法を。魔法を封じられたおれには、この小賢しい頭しかねぇんだから…!)
ガチャリ
静まり返っていた空間に重い音が響いたのはその時だった。
そのまま数人の足音がこちらに近づいてくる。
(誰か来る…)
ポップはごくりと唾を呑み込んだ。誰が来るのか、自分はどう扱われるのか。
とにかく王手がかかったこの状態で、なんとか盤面を掻き回して活路を見出さねばならない。
「おお、気が付いたようじゃなあ、小僧。結構、結構」
やはりと言うか、現れたのはやはりザボエラだった。付き添っている祈祷師三人はおそらく側近なのだろう。
うち一人にポップは見覚えがあった。揃いの仮面に隠されている顔がわかるわけではなかったが、魔道に携わる者には魔法力のニオイとでも言うべきものがある。村人に化けていたのは間違いなくその祈祷師だ。
彼は杖をポップの腹部に押し付けた。抵抗すれば攻撃呪文を放つという明確な脅しだった。
ポップは構わずに、黙って醜悪な老人を睨みつける。
「ほほう。まだ睨むだけの元気はあるのじゃな」
にやりと嗤いながら、ザボエラは側近の一人に何か合図を送る。
「まあ小物でも一応アバンの使徒。魔法力は人間にしては大したものじゃしな。いいモルモットになりそうじゃのう」
「…まだあの超魔生物とかの研究をしてるのかよ」
「そうじゃ。魔族を超えた、いや、竜の騎士をも超えた最強の生物! それを完成させ移植出来れば、我らが魔王軍は絶対不滅となる!! ワシも一目置かれるじゃろう。ハドラーなどよりも上の地位は確実じゃ!!」
「は、大方、今までテメーが関わった事の全てが裏目に出て負け続けなんだろ。この辺りで挽回しとかねぇと物理的に首切られるとかじゃねぇのか。あの死神あたりに」
ポップが吐き捨てた言葉は、どうやら図星だったらしい。ザボエラは唾をとばして喚きだした。
「何じゃとお!!? 貴様っ捕虜の分際で生意気な口を叩きおって!! ワシは! 強いんじゃ! 貴様のような小僧など! 命令一つで! 嬲りごろしに! 出来るんじゃぞ!!」
振り上げた杖でポップの顔面を幾度も殴打する。防ぐ術もないポップは、ただ耐えるしかなかった。
ぐしゅり
「ぐ…!?」
杖の過剰な装飾の一部がポップの頬を切り裂き、殴打はようやく止まる。
「ふん…! 捕虜は大人しく震えておれば良いんじゃ!!」
ザボエラは肩で息をし、憎々し気に吐き捨てた。彼にしてみれば、ポップの言葉は正に正鵠を射ていて、たとえ超魔生物をさらに増強できたとしても地位の向上は難しいかもしれないことがわかっていた。
だが、それを認められないのもこの醜悪な老人の性だった。ずば抜けた知識を持っていても第一に考えるのは己の保身。それがなかなか認められない魔王軍の現状で不満がくすぶり続け、こうして捕虜を甚振ることで溜飲をさげるしかなかった。
側近の一人が巨大な水晶玉を持って戻ってきたのを見、ザボエラはにぃと笑う。
「小僧、冥途の土産に仲間に会わせてやろう」
「?!」
「お前はこれから我が妖魔士団のモルモットになるのじゃからなあ。別れも言えぬのはちと憐れじゃ。精々泣き喚いて救援を要請するがいい。明日からは悲鳴すら出せんのじゃからな! キヒヒヒ」
「…テメェ」
水晶玉がザボエラの魔力に反応して輝きだす。闇に慣れていたポップの目に、光が痛かった。
映ったのは、ダイとマァムだった。場所は――例の森だ。
【マァム、こっちは片付いたよ!】
【私の方も、何とか…! ポップの手がかりになるものは…?!】
【何も…。こいつら、少しでも触手が触れると魔法力を吸い取ってくるみたい……】
【ええ…しかも透明にもなれるなんて…。ポップは…まさか……】
【だ、大丈夫だよ、マァム!! いくら魔法力を吸い取られるって言っても、こんな、悪魔の目玉くらいならポップが負けるはずない!!】
(ダイ! マァム!!)
心配してくれている仲間の姿に、ポップは泣きそうになる。もしかしなくても、ザボエラの言葉通りこれが最期の別れになるかもしれないのだ。
「キヒヒヒヒ! アバンの使徒ども、さすがじゃのう。そいつらは悪魔の目玉の強化バージョンなんじゃが、やられてしもうたか」
ザボエラが楽しそうに笑う。彼にとっては強化のデータが取れればいくらでも量産できるという事なのだろう。
【ザボエラ?!】
ダイが声の主を探し出す。マァムがこちらを振り向いた。おそらく、まだ生きている悪魔の目玉をとおしてザボエラが姿を見せているのだろう。
なら、自分の姿も映っているのかもしれない。
【ダイ、これを!! ポップが!!!】
「おお気付いたようじゃな。魔法使いの小僧ならワシが預かっておる。明日からはモルモットとして活用してやるわい。フェフェフェ」
【ポップ!!】
【ポップを返せよ!!】
必死に叫んでくる二人にポップは「ごめん」と呟いた。
「ごめん、二人とも。ドジっちまった…」
【なんで、これくらいの敵、ポップなら……】
「村の人が襲われてて…助けに行ったんだけどよ…罠で…モシャスで、化けてやがったんだ……飛翔呪文で、抱えてたときに、ゼロ距離で、イオ喰らって…内臓がイカレちまって……ごめん」
二人を見れて少し気が緩んだのかもしれない。祈祷師が杖を押し付けている鳩尾が、刻一刻と痛みが増してきている。圧迫を加えられたせいかもしれない。
脂汗がひどい。中級回復呪文以上でないとおそらくは治らない程度の損傷が内部にあるはずだった。
【ポップ、血が…】
「え? ああ、これは、さっきちょっと妖怪ジジイに、殴られて、切れただけだから、大したこ…がっ?!!」
【【ポップ!!!】】
鳩尾への衝撃に、息が詰まる。祈祷師が杖を力任せに突き入れたのだ。
ザボエラが満足そうに頷いていた。
「口が減らんのう。この妖魔司教ザボエラ様をそんな風に呼んで、身の程を知らんガキめが。もう別れは済んだのか?」
「…もう、少し、くらい…喋らせて、くれよ」
口の端から血が漏れた。息が苦しい。肺からも出血しているのだろう。
ここで通信を切られれば、本当にもう二人には会えない。ザボエラに下手に出てでも、繋がっていたかった。
【ポップ! くそぉ!! ザボエラ! ポップを返せよ!】
ダイが叫んでいる。元気なその声になんだか笑みがこぼれた。
いつも元気をくれる大事な親友。初めて出来た弟弟子。最高の相棒――俺の勇者。
いつまでも一緒に冒険できるものだと漠然と思っていたけれど、そういうわけにもいかないのだろう。
「ダイ、いままで、ありがとな。弱っちい、未熟モンの、魔法使いの、代わりなら、探…せば、いくらでも…強い人が、いるから。師匠とか、姫さん…とか……武術大…会の、人も、結構強いから、さ」
【な、何言ってるんだよ! ポップ!!】
【そうよ!! あなた以外の、あなた以上の魔法使いなんて、いるわけないじゃない!!】
「マァム…」
認めてくれるんだと、ぼんやりする頭で思う。単純に嬉しかった。自分はあんな、仲間を見捨てて逃げるような、最低な男だったのに。
強くなりたかった。彼女を守れるくらいに。ちゃんと、異性として見てもらえるくらいに強く成長して、それからちゃんと想いを告げたかった。
「…元気でな。あん時、殴ってくれて、感謝してる。おれ、お前の、こと………何でもねえ…」
幸せになってくれ。
もう意識が保てない。言えたかどうかわからないけれど、伝わってほしいと思う。
【ポップ…?】
「…ヒュン、ケルにも、ょ ろ…く、いっとぃて、く…」
【ポップ!】
【ポップ!! いやよ! 目を開けて!!?】
(あ、おれ、もう目を開けれてねぇのか……二人の声は聞こえるのに、もう見れないのは…つれえな…)
本当なら、ザボエラを挑発してもう少し情報を引き出したかったのだ。だがそれすら叶わない。ダイ達にはどこかの牢に囚われている事くらいしかわからないままだ。
(チェックだな…)
完全に詰んだ。
モルモットとか言っていたのだから、まだ殺されはしないのだろうが…
(超魔生物の材料になるのかな…おれ自身が改造されたりして、皆の敵になっちまうくらいなら……)
そうなるくらいなら、死を選ぼう――ごく自然とそう思える自分が、少しだけ誇らしかった。
(でも…最後まで…諦めたく…ねぇ……せめて…先生の仇の…ハドラーの前には立ちたかった……)
強く願う。
こんな卑劣な妖怪ジジイに玩ばれて死ぬくらいなら、師の仇と闘ってから死にたい。
ダイ達と一緒に生きたい。
「ほう…アバンの使徒には手出し無用と言っておいたはずだな? 貴様の耳は飾りか、ザボエラ?」
「は、ハドラー…様」
何故ここに、とザボエラが恐怖にひっくり返った声で問う。
「定時の連絡が全く入らんし、貴様の側近連中も出ないのでな。またぞろ何か不要な策でも練られてはかなわんと思って見に来たわけだ」
ハドラーは、引き攣った顔の部下に鼻で嗤う。自分の改造が済んでからというもの、この老人はまるでそれを手柄であるというかのように再び自由に振る舞い出した。失点の回復は出来たかもしれないが、大魔王からの命を果たしたわけでもなく、勝利を捧げたわけでもないというのに、随分と図太い神経をしているものだ。
しかも、またしても独断専行だ。
「この魔法使いポップは、勇者ダイの片腕だ。以前ならばともかく、大魔王様もダイ達との来るべき戦を望んでおられるのだ。それを邪魔すれば、いくら軍団長の地位にあっても決して許されまい」
「しっしかし! こやつをベースに改造すれば、勇者への人質にも兵器にもどうとでも使える大変便利な駒ですのに…っ!」
ザボエラの声が、かすかに聞こえる。何かとても焦っているような、怒っているような、そんな声だ。
ポップは途切れそうになる意識を総動員して、その声を聞きとろうとした。
「そこの祈祷師、さっさとこいつの鎖を外さんか。
勇者ダイ、それとマァム。安心しろ。こいつは死なさん。客人待遇とはいかんが、誰にも手出しはさせん」
【ハドラー…】
【信じても…いいのね?】
「これがおらなんだら、貴様らは大魔宮に来ることもできんだろう。さすがにそれはバーン様もお望みではない。魔王軍が求めるのは完全勝利だ」
「…ハドラー?」
「しばらくぶりだな、ポップ。随分と情けないザマだが…まあいい。移動するぞ。牢暮らしでも、このラボよりは居心地よかろう」
「………サンキュ」
それが限界だった。ポップの意識は再び闇に飲まれていく。
(続かない)