魔法使いの仕事 完敗だった。
大魔王と二人の側近には、勇者ダイだけでなく誰一人として歯が立たなかった。
せめて脱出をと瞬間移動呪文を唱えたが、大魔宮全体を包み込んだ結界がそれを許さなかった。
(どう、すれば……)
このままでは敗北どころか、全滅だ。
「きゃああっ?!」
マァムの悲鳴に振り返ると、大魔宮の先端部分が崩壊して落ちていく。マァムと、彼女のそばで意識を失っているダイにごく近い。
助けようと手を伸ばそうとし、気付く。
結界があるといっても先程から崩れた外壁などはどんどん落ちていっている。移動呪文での出入りは不可能でも、瓦礫と一緒に重力に逆らわず落ちるなら脱出が可能かもしれない…!
(バーンたちの目は、小物でしかないおれやマァム、戦意喪失したダイにももう向いてねえ。下は海だ。何とか…何とか助かってくれ!)
バーンたちに気付かれぬよう、形を与えない魔法力のみを発動させ、掌の先、マァムとダイに向けてぶつける。衝撃で二人の身体は宙に投げ出された。マァムの目が驚愕に見開かれたが、次の瞬間彼女も自分と同じ事に気付いたのだろう。
マァムがダイに手を伸ばし、その小さな身体を抱きかかえる。
ほ、とポップは息を吐く。何の保証もないけれど、それでも安堵した。あらゆる生き物に見られる尊い姿、子を守る母のような、それはそんな安心感だった。
(マァム、ダイを頼むな)
落下していく彼女と目が合う。一瞬の視線の交錯。彼女の驚愕と悲嘆と恐怖が刺さる。
あなたはどうするの?!
一緒に逃げて!
いやよ!死なないで…!!
い き ろ
口の動きだけで伝えて微笑んだ。
「おや、勇者クンともう一人、落ちてしまったみたいですよ」
死神が気付く。だが、大魔王は「構わん」と短く言うだけだった。
「あの傷では、もうダイは助からん。わざわざ止めを刺さずとも勝負はついた」
落ち着いた声だった。心底そう思っているのがわかり、倒れ伏して聞いているだけの自分には、改めて告げられるよりも心が抉られる。冷静に判断すれば、ダイの生存は厳しかった。
(ダイ…)
深手だったのは確かだ。けれど、あのダイが死ぬなんてどうしても考えられなかった。どんなに大怪我をしてもいつも奇跡のように復活してきた親友。
マァムが守り切ってくれるのを祈るしかない。もう…自分はあいつのそばにいられないから。
(ずっと一緒にいたけど、今度こそ本当におれの冒険はここまでなんだろうな……)
それでも、大魔王の前までたどり着けただけ、未熟な魔法使いにしたら上出来だ。
『ポップ、修行で得た力は人の為に使うものだと私は思います』
『魔法使いの魔法は、仲間を助けるためのもんだ』
(わかってる。先生…師匠…)
小物の自分には目もくれず、巨悪三人が談笑している――ヒュンケルとクロコダインの処遇について。
もう二人に意識はない。
自分たちを守るためにいつでも前衛をかって出てくれる頼もしい二人を、大魔王は歯牙にもかけなかった。
(動けるのはもう、おれだけなんだから……)
二人はなんとしてでもパプニカに帰さねばならない。魔王軍から見ればヒュンケルもクロコダインも幹部でありながら寝返った裏切り者なのだ。特にヒュンケルはミストバーンと因縁がある。どう考えても、捕らわれてしまえば生きる目がないだろう。
(ヒュンケル、不死身だもんな。あとは頼むわ。おっさんも、宜しく頼むよ。)
目を閉じ、集中する。
逃亡は不可能。だが、呪文が不可能なわけではない。そうでなければあの親衛騎団のブロックとかいう奴が使った技は作動しないはずだ。
加えて、瓦礫はいまでも崩落中。魔法力をぶつけた先のマァム達も普通に落下した。
つまり、魔法力を伴った物体が移動によって当たれば弾かれるが、作動した術に対しての「現象」なら結界に阻まれないはず。
(それならいける。二人は意識もねえ。物体としての『転移』になれば…)
目を開ける。心は決まった。
白と黒の影が、ヒュンケルとクロコダインに手を伸ばすその一瞬。
『強制転移呪文(バシルーラ)』
その場に小さく声が響いた。
淡い緑の光が、ヒュンケルとクロコダインを包み込む。それは先程のキャスリングと同様、球体となって二人を守り、一瞬激しく発光したかと思うと、次の瞬間には消えていた。
おそらくは今頃パプニカか、もしくはサババに二人は転移したはずだった。
「やった、ぜ…」
見届け、ポップは精魂尽きて目を閉じた。正真正銘、あれが最後の魔法力だった。
「…やってくれたね」
勇者ダイ、更にはその父親である竜騎士バランも斃し、さらに裏切り者二人も捕らえるという最高の形での完全勝利を台無しにした魔法使いの少年に、三対の目が向いた。本人に意識があれば、それだけで真っ青になるだろうことは明白の怒気と殺気の籠った眼差しだった。
キルバーンは少年に近づき、倒れ伏した身体を大鎌の柄先でえぐる。
「まったく、毎度イラつかせてくれるボウヤだ。僕の神経を逆撫でするのが実にうまいねえ」
少年は小さく呻くが、それだけだった。完全に魔法力を使い果たして意識を失っていた。
「バーン様の勝利を汚すとは……」
ミストバーンが苛立った声を発した。闇の闘法の弟子であるヒュンケルに向けるものとはまた別種の、静かな怒り。
死神が処刑するより、自ら手を下してやろうとの思いから少年に向かう。
「ミスト、君はどんな風に殺したいんだい?」
「…闘魔傀儡掌で四肢を裂いてから首を落とす」
「なるほど。僕は膾切りにしようと思ってたんだけどね…」
「二人とも、良い」
残忍な相談は大魔王の一言で封じられた。
「大したものではないか。たかが魔法使いの小僧が、余の思いもよらぬ方法で仲間の脱出を叶えよったのだ。しかも己の身命は顧みず。
実に立派だ。褒めてやるべきであろう。ん?」
ミストバーンは静かに頭を垂れ、キルバーンは肩を竦めた。
「キル、お前が言った通り、この小僧は此度の闘いの敢闘賞に値する。丁重に扱ってやれ」
笑いを含んだ主人の言葉に、キルバーンは今度こそ慇懃な礼をとる。
「かしこまりました。では、魔牢にでも」
「それでよい」
(続かない)