やらかした。
凍てつく空の下、半袖姿でグラウンドに立つ一郎は粟立つ腕を摩りながら思った。
真冬の2月にジャージを忘れるとは。
今日の体育は頭から完全に抜けていた。
高校に入学してもうすぐ一年になるし、時間割はきちんと把握しているつもりだったのに。
あくまでつもりはつもり。気の緩みが出たんだろう。
授業は45分間。とにかく体を動かして温めなくては。
白い息を吐きながら屈伸をしていると頭上から険しい声が響く。
「おいそこのダボ!!」
見上げた先には何も見えない。
バサリと暖かく柔い布が顔を覆う。
覚えのある香りに包まれる。左馬刻サンがいつも使う制汗剤。
顔に掛かった布は3年生の学年カラーをした青いジャージだった。
胸の部分に「碧棺」の刺繍。
再び見上げるとちょうど窓が閉まる音。
「ありがと」
届かないのはわかっているけど伝えたい。
みんなの憧れの左馬刻サン。
俺の、左馬刻サン。
俺を見てくれていた。
袖を通すと2年の年の差分少し長い。
スプラッシュマリンの香りに包まれて、いつもより意識して呼吸をしたのは、
左馬刻サンには内緒。
**
「あ、いた。左馬刻サン。」
職員室から出た左馬刻を、遠くから呼ぶ声。
可愛い一年生、一郎。
バスケ部期待の新人だとかで体育館でチヤホヤされていた4月。冷やかしに一目見てやろと覗いてみれば、クソ生意気な色違いの目が左馬刻を見た。
それから今日まで、左馬刻が一郎にちょっかいを出さない日はなかった。
左馬刻が所属する野球部とバスケ部の部室が隣り合わせだったのも何かの縁。
朝練、昼練、放課後まで、顔を合わせれば鬼ごっこのように一郎を追いかけた。
一郎のいちいち熱くなるリアクションが面白かった。
思春期で持て余した制欲を女に吐くのも飽きた頃。興味あるだろ?と耳元で囁けば一郎は顔を真っ赤にし俯いた。
無駄にある体力で互いの欲を発散する。
これがセフレかと認識しながらも気まぐれに、バスケ部のインターハイ予選を観に行った。
一郎達は2点差で、全国への切符を手に出来なかった。
泣き崩れる同級生と、立ち尽くす1年生エース。
からかってやろうと顔を覗けば、唇を噛み締め赤と緑の瞳を潤ませていた。
綺麗だ、と思った。
それからは一郎と肌を重ねると、快感とは別の感情が左馬刻を襲う。
もっと何か、一郎が喜ぶことをしたい。
優しくしたい、寒いなら温めてやりたい。
だけどこんな気持ちは間違っている。
男同士。何もかも間違えていた。
左馬刻は卒業を間近に控え、一郎と距離を置いた。
「左馬刻サン、あの、」
久しぶりに顔を合わせた。
一郎の声を聞くと胸が弾むのは、時間が解決してくれるのだろうか。
「あの、コレ。ありがとうございました。」
「おう。」
手渡されたのは紙袋に入れられた、昨日寒空の下腕を曝け出していた一郎を見かねて、校舎の窓から左馬刻が投げたジャージだった。
「わざわざ洗濯したんか」
「っす。そりゃまぁ、当然。」
「テメエの汗の匂いでヌいてやろうかと思ったのによ」
「はぁ!?何言ってんだよ!!馬鹿じゃねえの!?」
「バーカ、いちいちマジに取んなダボ」
一郎が顔を真っ赤にするから、つい目尻が緩んでしまう。
抱き締めたい。このままどこか空いてる教室に連れ込んで、また前のように…
ダメだ。
「じゃーな。もう予鈴鳴るぜ?お前も教室戻れ。」
ヒラヒラと手を振って背を向けた。
一郎は何か言いたげだったがこれ以上顔を見るのが辛い。
先程、職員室で担任に言われた言葉を頭の中で反芻する。
現実を、見つめる。
『おめでとう。海外での暮らしは大変だろうが頑張れよ。』
左馬刻は進学先の大学の姉妹校、アメリカにある大学へ進むことが決まった。
もう一郎と会うことはない。
このまま会わなければきっと忘れられる。
「じゃーな一郎。」
初恋は叶わない。
青春は苦いものだと誰かが言っていた。
いつかこの苦しみは消えると信じて、左馬刻は足を前に進めた。