お手紙配達員の雨さん時の政府顕現、所属の雨さんの仕事は人が行くにはちょっと大変な本丸に手紙を届けたり預かったりしに行くこと。
樹海の奥深く、絶海の孤島、海の底、山の上。
前任の配達員は人だったんだけど、少し前に後任を選ぶ時に人よりも刀剣男士がやった方がいいんじゃないかってなったので、雨さんは顕現した時からそんな仕事をしてる。
戦わなくてもよいのだろうかという気持ちはあるけど、でも雨さんは手紙の配達が嫌なわけじゃない。
手紙には心が込められていて、言葉や文字に乗せられたそれを待っているものがいるのだから、その橋渡しをできるのは、とても大切な仕事のように思えた。
いろいろな場所に行くので、手紙を届ける道中に、たくさんの景色が見られるのも好きだ。
そうは言っても電子メールやメッセージでのやり取りが多いので、手紙を書く人や刀はそう多くはない。ただ、筆まめな審神者の本丸はそういう刀が多いらしく、雨さんがよく手紙の配達に行く山の上の本丸はそういう本丸だった。
そこの審神者は対面の人付き合いを苦手とするようで会ったことはないのだけど、初期刀は歌仙兼定で、長い山道を歩いて手紙を届ける雨さんをよく労ってくれた。
聞いている感じだと戦績はまあまあ、全刀剣が揃っているわけではないらしい。五月雨江はいなくて、村雲江がいる。その村雲もよく雨さんに声を掛けてくれた。
雨さんが顕現してから今まで出会った村雲はその一振だけなので、初めて出会った時はすごく嬉しくて、雨さんにとって村雲江は縁のとても深い大切な刀だから、勿論特別な存在。
でも村雲にとって、雨さんは唯一ではなかった。数日に1度手紙を届けに行くけれど、いつも村雲宛の手紙があって、送り主はどこかの本丸の五月雨江。そうして次に行った時には村雲の返事を預かって戻る。
二振は文通をしているらしかった。担当地区が違うので雨さんが送り主の五月雨江の本丸に手紙を届けに行くことはない。
村雲がそのどこかの五月雨の手紙を心待ちにしているのは知っている。雨さんが届けに行くと、駆け寄ってきて嬉しそうに受け取っているから。
村雲の笑顔が好きで、雨さんはその本丸に行くことがいつも楽しみだった。
でもある時村雲の手紙が「あて所に尋ねあたりません」と返還されてしまう。
不思議に思ってその本丸への配達を担当していた者に確認すると、宛先になっている本丸がなくなってしまったのだという。
詳しいことはわからないが、もしかしたら最近敵に襲撃され壊滅してしまった本丸があると噂が流れていたので、その本丸なのかもしれない、と。
どうしたものかと雨さんは考えた。勿論仕事としては手紙をもう一度持って戻ればいいだけのことなのだけど。
本丸が壊滅したということは文通相手の五月雨も折れてしまったのかもしれない。手紙の返事がなければ村雲は悲しむのではないか。悲しませたくないと、その気持ちがあまりにも強くて、よいことではないとわかりつつも、自分が返事を書こうというちょっとずれた発想になってしまった。
きっと文通をしてみたいという気持ちも少しあった。
この雨さんは他の刀剣男士との交流がほとんどなかったので(知り合いに政府所属の長義とかはいる)、同じ刀剣男士の別個体という感覚があまりなかった。普通の男士のように本丸に顕現して過ごせば自分の本丸の刀と別の本丸の刀は違うということもよくわかるのだけど。
なまじ五月雨江と村雲江には顕現以前に強い縁があったので、互いにとって互いは大切な存在で、顕現後に共に過ごしている時間があろうとなかろうと、それは確かに紛れもないことだったから。
つまりまあ別個体ではあるけど村雲江から五月雨江宛なので、と思って手紙を開いてしまった。多分、五月雨江の癖のない字が、自分のものとほとんど区別がつかないくらいに似ていたことも個体差を感じにくい原因だったのかもしれない。
でも読んだらなんだかこれは違うぞ、と気がついた。当たり前なのだけど、自分の知らないことがたくさん書いてある。ああ彼らにとっては歴史の上での縁以上に、顕現してから共に過ごした日々の積み重ねが大きなものなのだ。
自分ではだめなのか。それがなんだか悲しくなってしまって、でも開いてしまった手紙を返すこともためらわれて、やっぱり村雲を悲しませたくなくて、結局よくわからないなりに無理やり話を合わせて一生懸命に手紙を書いた。
手紙を届ける時はもう気が気じゃなかった。歌仙がそれを受け取ってくれたのだけど、顔色が悪いから休んでいった方がいいんじゃないかとまで言われた。それを断って足早に帰って、強い罪悪感に襲われて、ああやはりやめればよかったと後悔し続けた。
違うものが書いたなんてきっとすぐにわかってしまうだろう。
でも次に行った時、返事の封筒があった。村雲は出陣中で顔を合わせずに済んだ。
その手紙の内容は、とてもささいな日常のことだった。遠征先に綺麗な花が咲いていたとか、収穫した夏野菜で作ったカレーが美味しいとか、四つ葉のクローバーを見つけた、とか。クローバーがしおりにされて一緒に入っていた。
村雲が気づいていないという安堵と、初めて人から手紙と贈り物をもらった喜びと、でも本当は自分宛じゃないのに何を喜んでいるのかという自己嫌悪と、だましていることへのひどい罪悪感と、なんだかもう気持ちがぐしゃぐしゃで、後戻りできなくて、また手紙を書いた。しおりのお礼と、自分が配達の途中に見つけた季語と、詠んだ句。自分にはそれくらいしか書けない。
今まで村雲は雨さんが手紙を届けるのを本丸の入り口で待っていることもあったんだけど、雨さんは会うのが不安で、もともと時間が決まっているわけでもなかったので、時間をずらして配達したりした。
そうすると歌仙と手紙の受け渡しをすることが多くなった。少しだけ世間話をしたりする。
一見以前と何も変わらないことに安堵するけど、一度だけ「最近本丸が直に襲われることが数件あったようだ。うちも気を付けないとね」という話が歌仙から出た時には、肝が冷えた。あの五月雨の本丸もそのひとつなのだろう。
殆どの時間を配達に費やして一人で過ごすことの多い雨さんは、手紙に自分が書いたことへの返事があることになんだか感動してしまった。季語を見つけたことを、その美しさを、誰かと共有できることが嬉しかった。
村雲の手紙では、彼の本丸での仲間との暮らしぶりがわかった。よく打ち解けているようだった。なんだか少し羨ましく、どこかさみしく思った。
便箋を選ぶことも、書く内容を考えることも、多分こんな経緯じゃなければきっともっと心躍ることなのだろうなと考えながら、少しだけ楽しいと感じている心を自身で叱責しながら手紙のやりとりを続けた。
そうして二月ほど。
村雲の手紙には「久しぶりに会って話をしたい」と。
流石にこれはもう潮時だ。雨さん自身も常に罪悪感と不安を抱えて自分自身を責め続けることに疲れていた。
自分で始めたことなのに、嘘をつき続ける覚悟もなく、本当に愚かなことをしてしまった。
これまでいくつもの嘘を重ねて村雲を騙した謝罪と、村雲の気持ちを考えると本当に申し訳ないのだけどそれでも文通ができたことが確かに嬉しかったということを丁寧に手紙にまとめた。
これが最後の手紙だ。それを持って山の上の本丸へ向かう。
緊張して山道を登る足が重い。本来なら美しいと思う季節の花も、今は何も目に入らない。
許されるとは思っていない。今後あの本丸の配達担当を外してもらうことはできるだろうか。でも、自分は手紙を届けることが仕事なのだから、それすら果たせないのでは不要な存在になってしまうだろうか。
いやそもそも配達物を開け、不正な行いをしてしまった。それが明るみに出ればもう。ああ、刀解となっても仕方がないのかもしれない。
決死の覚悟をしながら本丸近くに到着すると、何やら様子がおかしい。そっと様子を伺うと時間遡行軍がいて、本丸周囲と内部で戦闘が繰り広げられている。
雨さんは、普段殆ど使うことはなかったけれど、配達員用の通信機を持っていたので、それで連絡をとって現状を伝え至急応援を頼んだ。そうして敵に見つからないように本丸内に忍び込む。
雨さんは政府で根平糖をもらって特にはなっていたけど、戦闘経験はないのでうまく動けなくて、歯がゆい。せめてと、死角から狙って少しずつ遡行軍を倒していく。
そうして本丸内を進みながら村雲を見つけた。みんな傷だらけで応戦して疲労困憊。
通信の妨害がされているようでどこにも連絡がとれないのだと歌仙が言った。どうにか審神者を逃がす手段を考えていると。
雨さんが持っていた通信機で既に応援要請をしたことを伝えると、にわかに戦意が向上。
ただこの本丸は政府からの時空転移が繋がる場所が山の下にあって遠いので、時間がかかる。その上そこから本丸の位置が分かりにくい。
「君なら道がわかるだろうから、連絡を取りながら援軍を連れてきてくれないか」と歌仙に言われた雨さん。村雲にも頼まれて、腹を括った。
戦闘中に傷を負っていたけれど、そんなもの関係ない。走る。
遡行軍を避け山道を駆け抜けながら考えた。村雲の文通相手の五月雨の本丸も、こうやって襲撃されたのだろうか。きっと彼も必死に戦ったのだろう。
自分はその五月雨江のことを何も知らない。
確かに同位体ではあるけれど、別の審神者によって、別の場所で顕現された五月雨江。
どんな本丸に顕現し、どのように仲間に迎えられ共に過ごしたのか。どんな季語を見つけ、どんな句を詠んだか。村雲とどんな時を重ねたのか。
どのように戦い、傷つき、折れたのか。
何も知らない。何も知らずに名を騙った。それは彼のことを、彼が肉体を得て生きたその営みを、全て台無しにするような行為だった。
ここを切り抜けて、村雲に誠心誠意謝ろう。本当のことを伝えよう。
それで自分が嫌われたって、恨まれたって、憎まれたって、仕方のないことだ。
援軍部隊は知り合いの山姥切長義がいいる政府所属の部隊だった。彼らを連れて山を駆け上がった。息は切れるし体は痛むがこのくらいのこと。
そうして無事に到着した。間に合った。雨さんも戦闘に加わろうと思ったけれど、怪我をして全速力で走り続けた体はもう限界で、意識を失ってしまった。
雨さんが目を覚ますと、ボロボロの部屋の畳の上に横になっていた。体は応急処置がされているが傷は残っている。周りでは事後処理をしているのか慌ただしく人と男士が動き回っていた。
「無事でよかった、誰も折なかったのは配達員の雨さんのおかげだよ」と声を掛けてきたのは村雲。と、その横に五月雨江。
「初めまして、雲さんの文通相手の五月雨江です。片付けのお手伝いに来ました」と目の前の五月雨は自己紹介した。折れてしまったわけではなかったのか。
状況がうまくつかめていなかった雨さんだけど、なんとか起き上がって頭を下げた。
私はあなたたちに申し訳のないことをしました。
村雲が手紙を持ち上げて見せた。雨さんが最後と思って書いた手紙だ。
「この手紙読んだよ。えーと、ごめんね、俺、差し出し主が違うのははじめから分かってた。
俺と雨さん、手紙だけでやりとりしてるわけじゃなくて、電話とかメッセージも使うんだ。だから雨さんの本丸が遡行軍に襲撃されて、誰も折れはしなかったけど本丸がぐちゃぐちゃで引っ越したの知ってたし、バタバタしてるからしばらく手紙を出せないって言うのも聞いてた。
それでも手紙が届いて、読んでみたら内容全然違ってさ。歌仙くんから、配達員の雨さんの顔色すごく悪かったっていうのきいて、腑に落ちた。
多分すごく悩んだんだろうなあとか、でも俺のことすごく心配してくれたんだろうなぁとか、なんとなくわかった。雨さんは、みんな優しいから。
いろいろ考えながら、返事書いちゃった。どうやって伝えたら雨さんを傷つけたり驚かせたりしないかなって、やさしい気持ちにこたえられるかなって考えてはいたんだけど、難しくて、それで手紙続けちゃって、あとちょっと楽しくなってきちゃって。でも顔合わせづらくて……、ずっと会ってなかったよね。だから今日君に会って、ちゃんと言おうと思ってたんだ」
雨さんは顕現してから初めて涙をこぼした。
「ああ、そんなに思いつめてたなんて気づかなくて本当にごめん。俺がすぐに言えばよかった」
雨さんは、村雲を傷つけていたわけではなかったということに安堵した。五月雨が折れていなかったことにも。
村雲を悩ませてしまったことと、それから五月雨の名を騙ったことをもう一度謝罪した。深く深く下げた頭を上げさせたのは五月雨だった。
「すみません、私の本丸が引っ越してすぐに転送届けを出していなかったことであなたを思い煩わせることになってしまいました。私たちは大丈夫です。それからこの本丸を、雲さんを、助けてくださって本当にありがとうございます」
それからちょっと行くのが大変な本丸は数を減らしていった。
今回の襲撃で、援軍がすぐに到着できないのはやっぱり問題だということで、本丸を引っ越すか、政府から繋がる時空転移装置をそばに設置することが義務付けられたためだ。
手紙の配達員の雨さんの仕事はなくなってしまった。
だから今は配属が変わり政府の部隊の一員として戦闘に参加している。山の上の本丸を助けに来てくれた、あの長義と同じ部隊だ。あの出来事を経験して、やはり力になれるのならば、自分も戦に加わりたいという思いが強くなった。
部隊の皆と過ごしはじめて、今まで少しだけ感じていた悲しさやさみしさももうほとんどない。
さて今日はその部隊に新しい仲間が加わるという。本日新たに顕現された刀剣男士、村雲江。
歴史の上の縁だけではない、新しい時を共にたくさん重ねていければいい。雨さんはそう思っている。