悪の主人とその従者プロローグ
「時の流れは残酷ですね。」
あの御方の声がする。
唐突に話しかけられたことでこちらが話していたことをやめる。
「なんですか?急に。」
オレはその御方の声に応える。
「ふと、思っただけですよ」
彼は続ける。
「ガナッシュ、もしワタシの身に何かあったら……その時は後のこと頼みますね。」
彼はいつものように笑顔で微笑んだ。
悪の主人とその従者
オレの名はガナッシュ・パンドラ。
秘密結社Secretの頭領にお仕えする従者でもあり右腕とも言える存在……らしい。
要するに組織内では二番手という訳だが、オレ自身はそれで威張るつもりは毛頭ない。
ただ頭領であるあの御方に仕えることが出来ればそれだけで良いのだから。
それだけが、オレの存在意義。存在理由だ。
この組織は『この世界に破滅をもたらすこと』を目的としている。
そちらの話をすると今回の趣旨から外れてしまう上に長くなるので割愛させて貰う。
あの方曰く『この世界に復讐すること』が最終的な目的だ。
懐から使い慣れた懐中時計を取り出す。
時間は朝の五時を回ったところだ。
「さて、行くとするか。」
金髪に碧眼の従者は眠っている頭領を起こしに向かった。
「ん〜。」
もぞっと枕に顔を押し付けて眠っている人物。
この御方が秘密結社Secretの頭領だ。
見た目は二十代後半といったところだろうか。
長いダークブラウンの髪に左目を覆い隠すような長い前髪。まぁ、左目が隠れるような髪型はオレも同じなんだが。
それと、両サイドの髪も伸ばしている。
そんな彼、アウェー・リラ・ヴェイツ。
彼こそがオレの仕える唯一の主人だ。
組織を束ねるトップと言えば威厳があってしっかりしている者も多いだろうが……アウェー様の場合は違う。
「アウェー様。もうすぐお昼の時間ですよ、起きて下さい。」
今の時間は十一時。
結果を知りつつ揺するように起こすが、特に反応はない。
いつものことだ。
となると第二手。
この部屋に来る前に用意していた料理を乗せたワゴンを運んでくる。
オレ自身にそういった感覚はないが他の人間であれば手作りした苺のジャムの甘酸っぱい香りとパンケーキのいい匂いが鼻腔をくすぐられることだろう。
「ん……。」
少し反応があったがやはりそれでも起きない様子。
「はぁ。」
溜め息をつく。
せっかくの朝食だ。温かい内に召し上がって頂きたい。
オレがカーテンを開くと眩しい日差しが一気に部屋に差し込んだ。
「っ!?眩しっ……!!」
これにはアウェー様も堪えたようで一気に飛び起きた。
「何をするのですか!ガナッシュ!!せっかく良い所でしたのに!」
良い夢でも視ていたのか不平不満を漏らすアウェー様を尻目に服を用意し、傍にある丸いテーブルにパンケーキを運んだ。
「早く食べて下さい。本日は他部隊からの報告があるのでしょう?」
オレはアウェー様に問いかけた。
「あ。今日の朝食はパンケーキなんですね!」
と、こちらの言葉を軽く無視し頭領であるアウェー様は目を輝かせた。
こういう時の態度は分かり易いと言うか……なんというか。
「そもそも昨夜『どうしても明日の朝はパンケーキが食べたいです!』と言ったのはアウェー様じゃありませんか。」
「朝から糖分がないと頭が働かないんです。」
もっともらしいことを言っているが、彼は甘党らしく結構な頻度で糖分を摂取している。
つまり、朝に限った事ではない。
呆れながらも紅茶を注ぎ、彼の朝食が終わるのを待った。
いつものスーツに身を包み、アウェー様はどこか気だるそうに広間に向かう。
先程言ったように今日は他の部隊からの報告があるからだ。
この組織にはアウェー様やオレの所属する本隊があり、それとは別に各地にそれぞれの任務を与えられ散らばっている別機動部隊が存在する。
その各部隊の報告を聞くのも頭領であるアウェー様の仕事だ。
他にも報告書の確認、様々な申請に対する許可等やることは山のようにある。
そう、目の前にあるこの書類の山が物語ってーーーー。
「は?」
ガナッシュは固まる。
少なくともこの一週間ではこんなに書類が無かったはずだ。
はず……なのだが。
「アウェー様。」
つい口調が冷ややかな物へと変わっていく。
それがこんなになるまで書類が貯まる理由はただ一つ。
「またサボられたんですか?」
まるでガナッシュ自身の氷のような碧眼のように。
声に冷気を帯びる。
対するアウェー様は気まずそうに目を逸らす。どこか機械的な動きだった。
「いやー。
書類ってこんなに貯まるものなんですね!いやーびっくり、びっくりです♡
びっくりし過ぎて部屋から運びこんじゃいました♪」
可愛く言ってるつもりなのか戯けながら言う彼に、
「アウェー様!!!」
広間にガナッシュの怒声が響いた。
「で。どしたん……これ。」
金髪で猫の瞳のような緑眼を持つエクイテス・バレットの表情が引き攣る。
エクイテスが長い髪を掻く。
彼は別機動部隊CLOSEの所属で頭領であるアウェー様に報告に来たのだ。
「良いから、こっちには気にせず報告をしろ。」
ガナッシュは報告書に目を通しながらエクイテスに報告を促す。
「い、いや……そうは言われてもな……。」
ちらり、とエクイテスがガナッシュの隣に視線を移す。
「大将、大丈夫なん?生きてる??」
隣には椅子ごと紐を括りつけられ、今にも死ぬんじゃないかと思うくらい魂が抜けそうな顔をしたアウェー様が座っている。
「気にするな。」
即座にオレは応えた。
「ほら、さっさと手を動かして下さい。いつまでそうして呆けているつもりですか。」
アウェー様に一喝するとのそのそと動き始め、『ワタシはこういうの一番嫌いです……。』と呟いていたが無視した。
別機動部隊の報告は済んで、書類の山をなんとか半分まで減らした。
書類を減らすことに集中していたのでそろそろひと休みしようかと書類の山を挟んで向こう側にいるアウェー様に声を掛けようとちらりと様子を見る。
「な。」
彼は目を硬く閉じ動かない。
オレはしていた白手袋を外し、アウェー様の体に触れると体温は低めで少しひんやりとしている。
他の人間がこの状態を見たなら間違えなく『死んでるっ?!』と思うだろう。
しかし、
「やられた。全く……。どこに行かれたのやら。」
オレは頭を抱え、アウェー様の頬をぎゅっとつねってみた。
勿論、体に反応はなかった。
『彼』にもほとほと困ったものだ。
昔は可愛く慕ってくれたと言うのに、今はいつも呆れ返ってる様子で仕事仕事と急かされる。
(それだけ昔に比べて忙しいってことなんですけどね……。)
ワタシは金髪の長い髪を揺らしながら、食堂に向かう。
(にしても他人様の体だとやはり慣れませんね。)
それから、時折すれ違う隊員に『彼らしく』振る舞うのは少し面倒だ。
バレたところで大した問題では無いのだから、そのままでも良いのだが。
兎にも角にも、アウェーはエクイテスの体を少し拝借していた。
これは彼自身の能力『Darkness』からきており、以前に触れた人間の体を支配し意識を乗っ取ることが出来る。
なので、それを悪用してこうしてよくサボっているのだ。
もっとも仲間の体なのでずっとは、いる気はない。
何よりあまりいると元々の彼の人格もしくは魂とでも言うのだろうか、に影響が出てしまうのでしばらくしたらすぐ元の体に戻るつもりだ。
ちなみにエクイテスの魂は今は眠っているようだ。
「さて、あちらはバレてる頃ですかね。」
自室から拝借してきた飴を取り出すと口の中で転がした。
少し無理矢理に仕事をさせ過ぎたか……。と反省しつつ、いや甘やかしてはいけないなという結論にオレは至った。
本当はアウェー様自身、サボることが良くないことなど分かっているはずだ。
はず……なのだが。
(でも、あの方のサボり癖は今に始まったことではないしな。)
ふとある情景を思い出した。
『アウェー様』が『かつてのオレではない、部下』に怒られ逃げる記憶。
を見かける幼いオレ自身。
(そう……。あの方はずっと変わらない。何にも囚われないで、とても自由だ)
それが少し羨ましい。
羨ましくもあり、同時にどこか心惹かれる……。
オレには決して無いものだ。
感情で行動を左右されるだなんて、絶対にない。
そのようなことはひどく非効率で不要なことだ。
そう思うのに……
ーーあの方を見ているとその考えの根底すら時折揺らいでしまう。
(人は自分に無いモノを求める……か。所詮オレも人の子なんだな。)
金髪の従者は今はここにはいない主人へ思いを馳せた。
「あふっ……。」
欠伸をし、体を動かすとゴキゴキとすごい音がした。
いわゆる死後硬直というやつだ。
これもいつものこと。
関節を慣らしていき、目の焦点が次第に合う。
「やっぱり自分の体が一番ですねぇ……。」
アウェーはエクイテスの体の支配下を解き、自らの体に戻った。
と、ふと机を見ると積まれてた書類が脇の処理済と書かれた箱にすべて入っている。
それに自分を縛っていた紐もいつの間にか解かれていた。
「んー?」
周りを見回すが自らの金髪で少し口煩くて生真面目な従者はいなかった。
「やば、さすがに怒らせましたかね……。」
と、隣の方から小さく声が聞こえた。
見ると、積み重なった書類の向こう側で机に突っ伏し、腕を枕にしてガナッシュは眠っていた。
すーすー、と寝息をたて気持ち良さそうに眠っている。
正直、眠っている彼を見ることはほとんどない。
いつも眠っていない訳ではないはずなのだが。
(もしかして……この書類全部片してくれたんでしょうか……。)
これにはいかにサボり魔常習犯であるアウェーでも少し罪悪感を感じ、ガナッシュの頭を撫でた。
「ありがとうございます。
なんだかんだ言いつつも、いつもワタシに付いてきて助力してくれて……。アナタには本当に感謝していますよ。」
優しく微笑みながら、アウェーは少しだけガナッシュの頭を撫で続けた。
と、がしっ!
とその腕を掴まれたかと思うと
「やっと捕まえました。
そう思うなら……サボったりしないで次からちゃんと、真面目に!処理して下さいね?」
とめちゃくちゃ怒気と冷気を帯びた瞳で睨むガナッシュ。
「ひぇっ!
な、なんだ起きてたんですね〜」
アウェーは冷や汗をかきガナッシュに苦笑を浮かべる。
「今日という今日は本気で許しませんからね。」
眼光鋭く、こういう時の為の言葉だとアウェーは密かに思った。
その後、アウェーが自分の従者に正座のまま何時間か説教を食らうことになったのは言うまでもない。
エピローグ
そして冒頭の会話に戻る。
説教後、アウェー様が「時の流れは残酷だ」と言いながら唐突に『もし自分に何かあったら後のことはよろしく頼む』だなんてことを言うから。
オレはアウェー様に向き直る。
「絶対に嫌です。」
眉を潜めて迫る。
「え。」
「オレは貴方だけの従者です。この組織をまとめあげるのは貴方だけだ。」
「えー。そこは出来た従者として『お任せ下さい。』とか言って下さいよ。」
「私は……貴方を失ったことなんて考えもしないし、考える気もない。そんなありえない未来なんてーー」
「ありえないなんてことないでしょう。」
ビクッとガナッシュの体が跳ねた。
見ると彼は今までにない真剣な瞳でガナッシュを見た。
全てを飲み込むような、見透かすような漆黒の瞳で。
そう、時折この御方はこういう力を含めた言い方をする。
この時ばかりはいつも逆らえないし文句は許されない。
「あくまでこれは万が一の話ですよ。
もっとも全知全能のワタシが死ぬことなんてそうそうないでしょうけど。
アナタだからこそワタシは期待してるんです。」
アウェーはいつものように微笑んだ。
「…………。全知全能?自分で仰ることですか?」
呆れたように小さく笑った。
そしてただ頷くことしか出来なかった。
たとえここで頷いたことで将来悔いがあるとしても、この方の命令には逆らえないのだから。
という訳で〜、とアウェー様が嬉しそうな声をあげると。
「今日は最上級のワインを開けましょう。ガナッシュもたまには呑みましょうよ〜!」
「えぇ?!勘弁して下さい。酒の類いは!」
「問答無用!頭領命令です!!」
「いや、本当に!と言うかアウェー様の書類整理のせいでこちらの仕事溜まってーー」
そして、頭領命令で朝まで付き合わされる羽目になった従者だった。
END