fairy tale〜赤ずきん〜 once upon a time...
――オーブ王国という国の辺境の村に、愛らしい女の子が住んでおりました。
光をはじく金色の髪を大きな赤いずきんで隠していたため、誰もが名前ではなく『赤ずきん』と呼んでいました。
「よーし、準備完了」
赤ずきん――カガリは、中身を確認し終えたバスケットを抱え、元気に立ち上がった。手作りのクッキーとパン、小さな瓶に入れたワインも入っているから、それなりの重量がある。けれど、どれも置いていくことなどできない。
腰を痛めて寝込んでしまっている大切な人に、どうしても届けてあげたいのだ。
「じゃ、行ってくるな!」
見送ってくれる姉代わりともいうべき女性に声をかけると、彼女は心配そうに顔を曇らせた。
「いい? 狼(オオカミ)には気をつけるのよ。寄り道しないで、早く帰ってらっしゃい」
(エリカは心配性だよなあ)
目的地は森の中で、確かに多少の危険はある。だが、昼間からオオカミなんて出るはずがないとカガリは高をくくっていた。
そもそも彼女は、この外出に反対している。それを、カガリがどうしてもと押し切ったのだ。だから余計に、脅しをかけているのだろう。
「分かってるって! マーナのお見舞いを済ませたら、すぐに帰ってくるからさ」
マーナとは、カガリを生まれた時から支えてくれた、正真正銘母親代わりの人物だった。事情があってこの村に居を移した時も、一緒に住もうと提案したのだが断られてしまっている。
「私が一緒に行けたらよかったんだけど」
なおも言いつのるエリカに、カガリは苦笑して見せた。
「大丈夫だって! 今日は大事な来客があるんだろ? ぱっと行ってくるからさ」
じゃあ、と、これ以上引き留められる前にと歩き出す。背中にエリカのもの言いたげな視線を感じたが、気にせずにどんどん進んだ。
――だから、だったのかもしれない。
カガリは、木の陰から向けられる別の気配を察しとることができなかった。
木々の茂った森は、昼日中でも薄暗い。だが、カガリは迷うことなく道を選んでいった。エリカからは止められていたが、普段からこっそり森で遊んでいたから道は完璧に把握している――のはずだったのに。
「うわあっ!」
一面に広がる花畑を見つけて、カガリは歓声を上げた。
(こんなとこ、今までなかったよな)
森の中で奇跡的に開けた、日当たりのいい場所。群生しているのはスイートピーだろうか。淡い紫色が広がっている光景は、まるでお伽噺のワンシーンだ。
「摘んでいったら、マーナ喜ぶかなあ」
部屋に花を欠かすことのなかった彼女を思い浮かべ、カガリはしゃがみ込もうとする。が、すぐにエリカからの言いつけを思い出した。
寄り道、厳禁。言わなければ平気だろうと思うものの、バレた後が怖い。正直者の自分が、嘘を貫ける自信もなかった。
「仕方ない。早く行かなきゃ」
後ろ髪を引かれつつ、立ち去ろうとしたその時、春の風がざあっと花畑を通り抜ける。
「うわ」
思わず目をつぶってやり過ごす――そして、目を開けた視線の先、花畑を取り囲む茂みの一部が、ガサガサと揺れたことにカガリは気がついた。
風のせいなんかじゃない。何か――いる。
まさか、と、思いつつも、エリカの言葉が思い出されてしまった。
(オオカミ、とか?)
嘘だろ、と思いたい。思いたいのに、茂みの端から茶色の毛並みが見えてしまっている。
どうしよう。当然隠れる場所なんかないし武器もない。走ったところで追いつかれるのは目に見えていた。
焦りと迷いで思考が埋め尽くされ、結果的にカガリは一歩も動けなかった。
ガサ、と、茂みがひときわ大きく揺れて、カガリは嫌おうなしに覚悟を決めさせられる。せめて――せめて、どんな体躯をしているのか確認して、天国にいる両親に教えてやろう。そんなことを一瞬で考えもしたのだが。
「やあ、こんにちは」
場違いに甘い声がして、カガリは目を見開く。
目の前に立っていたのは――そう、相手は二本脚で立っていた――オオカミらしき毛皮を頭から被っていた青年だった。獲物の毛皮を全身剥いだのだろう、頭の部分には尖った耳まで残されている。胴体部分は首に巻き、尻尾の毛までわざわざズボンに括り付けてあるようだった。
「何だ、人間か」
安堵して、カガリは詰めていた息を吐いた。
「おまえ誰だ?」
均整のとれた体躯は細いが逞しい。そして何よりも。
彼は、人目をはばかるほどの美貌の持ち主だった。
けぶる睫に縁取られた翡翠の瞳、通った鼻梁、芸術品のような輪郭。毛皮の下から覗く紫紺の髪が肌に落とす影すら美しい。
そんな人物が、いったいどうしてこんなところで、こんな格好をしている?
警戒を気取られないように、さりげなく尋ねたカガリに、彼は軽く肩をすくめた。
「ただの狩人だよ」
誰何(すいか)の声に、あっけらかんとした答えが返される。確かに、毛皮以外の身につけている衣服は、使い古された痕があった。茂みに隠れていたのも、獲物を探してのことだろう。
なるほどと思いはしたものの、怯えさせられた分すぐには納得したくなくて、カガリは口唇を尖らせた。
「驚かせるなよ。紛らわしい格好してるからヒヤッとしただろ」
ヒヤッとしたどころか死を覚悟したのだが、そこまで口にするのは悔しかったので隠しておく。だが、それだけで相手にはこちらの内心が読めたのだろう、くすりと笑われてしまった。
「笑うなっ!」
「ごめん。怖かったんだ?」
「うるさいうるさいっ! 黙れよ、もうっ」
からかうように問われ、隠しきることができずにカガリはわめく。すると、それがさらに相手を刺激したらしく、彼は笑いをかみ殺すのに苦労したそぶりを見せた。
「これは獲物に近づくためのカモフラージュなんだ。警戒されにくいだろ?」
しばらくたってから、目元に笑みを残した彼がそう教えてくれた。
「残り香も隠せるし、森の中では目立たない」
他の狩人に獲物と間違われることが厄介だけどねと付け足され、カガリはあっさりと彼への印象を反転させる。
「なるほどなー! おまえ頭いいな。……どうしたんだよ?」
褒めたのに、彼は口元を手で隠して笑っているのを誤魔化していた。
おかしいところなんかどこにもなかったぞと頬を膨らませれば、彼は「悪い」、と言葉だけの謝罪をよこす。
「そう返されるとは思ってなくて。で、君は? いい匂いがするけどお使いの途中?」
明らかに話題を逸らすための問いだったが、カガリは相手の素性を問いただす性質(たち)ではない。素直にうなずいて、手元のバスケットを抱え直した。
「世話になった人のお見舞いに行くんだ。パンとかクッキーとか持ってってやろうと思ってさ」
心細い時は、いつもマーナがそばにいてくれた。甘えることを、我が儘を、泣くことを許してくれた。
だから今度は自分の番だ。それに、久しぶりにふたりで話せる。いつも抱えている緊張を、いっとき手放すことができるだろう。
(……やっぱり私、マーナに甘えてるんだな)
まあまあ、どうなさったんです、と、呆れつつも歓迎してくれるだろう姿を想像して、カガリはつい微笑む。
その様子を眺めていた狩人が、ふうん、と愉しげな声を漏らした。
「美味しそうだね」
彼の視線の先にあるのは、クッキーだろうか、ワインだろうか。カガリはあわてて、バスケットを隠すように抱え直した。
「そんな目をしてもやらないぞ」
「なんだ、くれないの?」
あんまり残念そうに肩を落とすので、カガリの良心がうずく。俯いていると、彼が「そうだ」と不意に声を上げた。
「お見舞いならこの花を摘んでいったら? 喜ぶんじゃない?」
「うん……そうなんだけどさ」
実はまだ未練を残していただけに、彼の提案に心が動きかけた。だが、すぐに首を振って誘惑を断ち切る。
「残念だけどやめとくよ。寄り道するなって言われてるし」
「そう? あ、向こうに美味しい野イチゴがあるよ」
「えっ!」
さすがに心が動いて、カガリは三度(みたび)悩み出した。
野イチゴのジャムはマーナの大好物で、毎年お裾分けしてくれる。腰を痛めたと手紙をくれた時も、今年は無理かもしれませんとわざわざ綴られていたから、よほど心残りなりだろう。
エリカの言いつけも守りたい。けれど、マーナを思う気持ちが、ほんの少し心の天秤を揺らした。
「うーん……じゃあ、ちょっとだけ!」
「そうこなくちゃ。とっておきの場所だから、他の人に教えるなよ?」
そう言って、狩人は野イチゴがなっている場所を丁寧に教えてくれる。確かにそこは穴場で、普段は足を踏み入れない。
来年は、マーナと一緒に摘みに行ける。そう考えると嬉しくなって、カガリは彼を見上げた。
こいつはいいヤツだ。自分だけの秘密にしておいてもいいのに、お見舞いに行くからと明かしてくれた。
だったら私は、その恩に報いなければならない。
「私はカガリだ。おまえは?」
村の誰にも明かしてこなかった名を、彼に告げた。
一年以上とどまっている村の住人の顔は知っているし、交流もある。その中で、彼が噂にも上がらなかったことも、背中を押していたのだろう。
きっと彼は流浪して狩り場を変えるタイプの狩人だろうから。このとき限りの出会いなのだと気づいて、気持ちが軽くなってもいた。
彼は――驚いたのだろう、宝玉のような瞳を瞬かせて、こちらを見ている。だがやがて、嬉しげに目元を緩ませた。
「……アスラン」
異国の言葉で、《夜明け》という意味を持つ名を教えてくれる。
「アスランか、いい名前だな」
好きな響きだとうなずき、腕にかけていたバスケットから小分けにしたクッキーの袋を取り出した。それを、アスランの手の上にのせてやる。
「ほら、お裾分けだ」
「くれないんじゃなかったのか?」
にやにやと笑っているあたり、カガリが折れることを初めから見越していたに違いない。
「うるさいな。味見くらいならさせてやってもいいかなと思っただけだ!」
「味見、ね」
あげたクッキーはそれなりの枚数で、味見と呼ぶには量が多い。それを重さで察したのだろう、アスランの笑みがさらに深くなる。
「いらないなら返せ」
「とんでもない」
取り上げようとしたが、とっと身を翻されて逃げられてしまう。悔しいが、なんだかおかしくなってきて、カガリは声を上げて笑ってしまった。
「じゃあなアスラン。よく味わって食えよ」
野イチゴを摘むために、教わった場所へと向かおう。手を上げて別れを告げ、カガリは上機嫌で駆け出した。その後ろ姿を、アスランは見えなくなるまで見送る。
「……本当に、美味しそうだ」
手の中のクッキーには目もくれず、そう呟いて。
――翡翠の瞳の奥に、深い闇を落とした。
そして彼は、森の奥深くにたたずむ質素な家に向かう。それはカガリの目的地、マーナが住む家だった。
赤ずきんが、野イチゴを摘んでいた頃。
静かだった森の中に、銃声が響き渡りました。
哀れな悲鳴は、誰のものだったのか――しかし、かすかなそれは誰の耳に入ることなく消えていったのでした。
「ちょっと遅くなっちゃったけど……」
重みの増したバスケットの中身に、カガリは満足していた。食べ頃の野イチゴをたっぷり摘んで、諦めきれずに例の花も少しだけ。
きっと喜んでくれるぞと、勢い込んでマーナの家の扉を叩いた。
「マーナ、私だ。お見舞いに来たぞ」
しばらく待つが、珍しいことに返答すらない。ベッドから起きられないと聞いているが、まさか無理をして出かけたのではないだろうか。
試しに扉を押すと、鍵がかかっていないらしく簡単に開いた。不用心だなあと呆れつつ、カガリは家の中に足を踏み入れる。そこで、思いもよらぬ再会が待っていた。
「やあ、また会ったね。野イチゴは摘めた?」
「ア……アスラン」
彼はベッドの柵に腰をかけ、脚まで組んでいる。さながら家主のような振る舞いだ。
「おまえ……どうしてここに? マーナは?」
事情が飲み込めず、カガリは浮かんだ疑問を深く考えずにぶつける。
なぜ、アスランがマーナの家を知っているのか。
どうしてマーナはいないのか。
そして――彼から、ぴりぴりとした空気を感じるのはなぜなのか。
気づかないふりを、していたのかもしれない。鈍感を装うことで、逃れられる場面も世の中にはきっとある。
だが、今はそうではなかった。
アスランが、下ろしていた右腕をカガリに向けて伸ばす。その手の中にあったのは、真新しい硝煙の匂いの残る拳銃だった。
「これでも、分からない?」
「……っ」
驚きで硬直し、カガリはバスケットを床に落とした。ガシャンと瓶が割れる音がして、ワインが床に広がっていくだろうことを予想させたが、視線すら移せない。
照準は、的確にカガリの心臓に向けられている。片手間にさえ見える動きには、隙というものがまるでなかった。少しでも動いたら撃たれる。それが分かる。
カガリの足下に、赤いワインが広がっていった。せっかく摘んできた美しい花も散らばり、ワインの色に花びらを染めていく。
「――おまえ、本当は何者だ?」
震えそうになる声を、必死に奮い立たせてカガリは問うた。考えろ、諦めるな。自分はこんなところで死ぬわけにはいかないのだから。
立つことさえ精一杯なカガリを前に、アスランは正体を隠すこともしなかった。
「殺し屋だよ。《狼(オオカミ)》って名前、聞いたことない?」
何度も、エリカから聞かされていた言葉。その符号を、教わることはなかったけれど。
「狼を見たら逃げろ、って……」
「そうだね、いつもならそれでも正解かな。俺はまず、狼の振りをして相手を観察するから。でも、何事にも例外はあるんだよ」
それは側近の手落ちだねと、残念そうに言った。そうして、ゆったりと立ち上がる。銃の照準は、外されない。
「今回の獲物は君だ。オーブ王国の正統な王位継承者、カガリ・ユラ・アスハ姫」
フルネームを正しく呼んだアスランが、カガリとの距離を一歩ずつ詰めた。革のブーツの底が、こつ、こつ、と近づいてくるのを、カガリは待つことしかできない。
二年前、国を揺るがす大事件が起きた。名君と呼ばれていたカガリの父ウズミ・ナラ・アスハが、何者かに暗殺されてしまったのだ。それが始まりだった。
代理として王座に就いたのは、縁戚に当たるウナト・エマ・セイラン。ただ一人王位継承権を持つ姫君が、行方不明になっているから、というのがその理由だ。
実情は、ウナトの手が王宮の奥深くまで入り込んでいることを察した側近たちの手により、カガリは素早く逃がされていた。
当時、カガリの歳はまだ十二でしかなく、このまま王位を継承してもウナトが摂政の座を狙ってくるのは目に見えていた。成年まで待とうと側近たちは考えた――らしい。
そのことを、カガリは最近になって――十四の誕生日に知らされた。ずっと、エリカたちに守られていたことを。
受け入れるしかなかった。けれど、同時に隠され続けてきたことに憤慨もした。それ以来、少しぎくしゃくとして――だからこそ余計に、マーナの元へ一人で行くと我を張ったところもある。
――自分の愚かさが、今の状況を招いたのだと。
痛いほどに後悔しても、もう、遅かった。
「ウナト王が、君のことを探してる。表向きは保護と言っているけれど……」
ゆっくりと距離を縮めてきたアスランが、カガリの肩に左手を乗せる。そのまま、頭を抱きしめるような格好で囁いた。
「邪魔なんだよ、獅子の娘が」
カガリの父は、オーブの獅子と呼ばれていた。大国に囲まれながらも、決して侵略を許さず、力を強めた。未だに国民からの人気が高いのは、彼のとった仁道的な国策のためだろう。
「バカなお姫様だ。せっかく側近たちが隠してきたのに、自分から殺し屋に名前を明かしてしまうなんて」
ふふっと愉しげな声とともに、カチリと冷たい音が響いた。撃つための準備をしたのだと、カガリはそれだけを察する。
(殺、される)
呼吸ができない。全身の血が凍りついて、指先までも冷たい。