5. Orphans 親がいるって、どんな感じなんだろう。
メァリはアーケードをそぞろ歩きながら、ぽつりと、そんなことを考えた。
傍らを、妙な帽子をかぶった子供たちが駆け抜けていく。
街は木の実とガラス玉で彩られ、背の高い街路樹にリボンが巻き付けられている。
古の神の生誕に由来する、冬の祝祭だ。
聞き分けの良かった子供たちが枕元に靴下を置いておくと、眠っている間にプレゼントが届けられるという、特別な夜。
メァリもこっそりと、巨人サイズの靴下を用意してみた。何が欲しいのか自分でもよく分からないけれど、とりあえず小さめの剣や盾が入るくらいのものにしておいた。
この世界に生まれ落ちて、知識と経験がバラバラなままに、戦い方ばかり上達していく。先生がいてくれて、仲間たちがいてくれて。どうにか、道を見失わずに済んでいるけれど。
さっきの子供たちが騒ぎながら戻ってきた。走り寄る先には、大きく手を広げた、多分、父親の姿。
――たいていの人間には、愛してくれる両親がいる。
でも時には失って、孤児になる。ヒュンケルやラーハルトみたいに。
彼らが歩んだ泥沼みたいな道のりはほとんど全て、断ち切られた親との絆が関与している。子供たちが享受すべき無条件の愛情が切り裂かれ、切れた太い弦のように跳ね返り、縮こまり、全てをだめにしてしまった。
そうだ。深い愛は、深い憎しみと表裏一体だ。絆が強いほど、その反動も大きい。
メァリは俯き、考え考え、石畳を歩いて行く。
今みんなの絆が弱まったら、一体どうすればいい。高まった波動は既にパーティの戦闘力を倍増させ、自分たちはすっかりこの力に慣れてしまった。
もし失われたら、ゼバロどころか、街を襲撃するモンスターの群れをあしらうことすら苦労するだろう。対策が必要だ。
守らなければ、絆は簡単に切れてしまう。
そして切れてしまった絆を紡ぎなおす方法も、どうにかして掴まなければならないのだ。
研究対象として、あの二人ほどの適任はない。
「だからこそ、彼らを助けなきゃ」
漏れてしまった呟きに、意外にも返事があった。
「どうした。人助けなら協力するぞ」
「うわ、びっくりした」
だいぶ高い位置から声がする。見上げると、人情味あふれるリザードマンがにまりと笑った。
「それ、どうしたの」
獣王は当初こそ人目を避けていたが、最近は人間たちの生活に馴染んできている。
ただでさえ狂ったモンスターたちの急襲が耐えないこの世界だ。見た目からして心強いクロコダインの雄姿が、人々の記憶に刻み込まれるのは早かった。あのフレイザードにまでファンがいるのだから、当然と言えば当然だが。
「これか。道すがら、子供たちから貰ってな」
照れくさそうに、首にかけた飾りをそおっと触った。紙のわっかを繋いだ飾りだ。
「簡単に切れてしまいそうで、慎重に歩いていた。メァリも散歩か」
「うん、まぁ。ちょっと考えごと。どうしたものかなと思って……」
「非常事態か」
「いや、違うんだ。ラーハルトのことで」
「おお、お前も思うところがあったのか。実は俺も、妙に気になってな。優秀な戦士に向ける言葉ではない気もするが、あやつは時々、まるで子供のように落ち込んで見えるときがある」
「そうなの」
そこまでは観察していなかったな、と、メァリは自嘲気味に呟く。
「老婆心とでも言うのかな。――ヒュンケルを溶岩流から助けた時のことだ。奴は開口一番、見殺しにしてくれればよかったのに、と言った」
メァリは巨大な獣人の顎のあたりを見上げた。
「奴がまだ幼い頃、地底魔城に暮らしていた時に、見かけたことがある。……俺にできることなど何もなかったし、何かしようとも思わなかった。だが他の誰かが関わっていれば、あの子供は少なくとも、同族を殺戮するような生き方を選ばずに済んだのかも知れん。そう考えるとな」
「お節介と思われても」
「うむ」
「ちょっと気になっちゃう」
「ああ」
と、クロコダインは目を細めた。
「陸戦騎の絶対の忠誠心は、己の芯となり、奴を支えてくれよう。だがな。自身の核となる価値観が揺らげば、どんな武人でも迷い、途方に暮れるものだ。人間への憎しみと言う大きな基盤が崩れる時、ラーハルトとて動揺するはず。誰か、話を聞いてやる者が必要だろう」
「うん……」
意外と言うほどではないが、驚いた。彼は武骨に見えて、仮面の下の心の揺れを良く見抜いている。
「ラーハルトはずっとバランやダイに付き添っているけど、誰かの部下としての顔しか見せてくれないからね。ちょっと心配だよ」
「俺も同意見だ。しかし先刻、ヒュンケルと連れ立って聖誕市に入って行ったぞ」
「え」
「ほら、この先の、噴水の円形広場だ……おい、こら」
有無を言わさずぐいぐいとクロコダインによじ登り、肩に足をかけて首を伸ばす。
「急になんだ、危ない、落ちるぞ!」
「いた!」
目を凝らすメァリの遥か向こう、煌めく砂糖菓子や扉飾りの屋台がずらりと並ぶ、その一角。
人ごみの中でもひときわ目立つ、長身の二人連れが見えた。
明らかに街に慣れていない大きな孤児たちが、色とりどりのキャンディの前で呆然と立ち尽くしている。
ラーハルトが何か声をかけると、ヒュンケルが驚いたように顔を上げる。
そして薔薇の蕾がほどけるように、満面の笑みを浮かべた。
メァリが見たことも無いような、純真そのものの笑顔だった。
ラーハルトの表情は見えない。が、わずかに肩を揺らしてヒュンケルのマントをついと引っ張った。
二人はゆったりとした足取りで人々の波に紛れ、やがて見えなくなった。
……はぁ。
白い息を吐いて、数週間分のつかえが取れたように、メァリも笑った。
「ありがと、クロコダイン。下りていい?」
「首飾りを壊すなよ」
「もちろん」
繊細な紙のわっかに触れると、しゃらん、と軽やかな音がした。
生まれたての柔らかな絆が、いつか永遠となりますように。
何度傷つけられても、こんどは絶対に失われませんように。
無意識に祈って、ふと思った。
「ねぇ、獣王。女神さまって、僕の親ってことになるのかな」
「……ふむ」
と、彼は少し考えて、メァリを下ろしてやった。
「お前の創造主だったな。そう考えても、間違いはなかろう」
「だったら僕も、いつかお母さんに会えるかもしれないんだ」
ダイみたいに、本当の親に、いつの日か。
獣王はメァリを見下ろして、歓声を上げる子供たちに目をやり、そして染まり始めた空を見た。
「俺たちモンスターと人間とでは、家族や寿命の概念が大きく異なる。だが、人間たちと交わってきて、なんとなく理解を深めてきた。お前がそう願うのも当然だろう」
「変だよね。わかってる」
「そんなことは無い」
少し身をかがめて、メァリをの顔を覗き込む。
「肩ぐるまくらい、いつでもしてやるぞ」
絆の勇者はぷふ、と吹き出して、小さな涙をぬぐった。
「ありがとう」
夕暮れを知らせる鐘の音が鳴り始める。
幸福なひとびとがそれぞれの糸を抱きしめ、手繰り寄せ、愛するものの所へと帰っていく。
互いを見つけた孤独なこども二人も、一歩を踏み出そうとしていた。
虹色に輝く魂の群れの中で、慄きながらも確実に、未来へ向かって。