Luciole 神々がおわすという、大仰な伝説には見合わない。
その岩山は観光名所程度の、のどかな展望台だった。
ほとんど失われた古代の信仰を、村人はいまだに大切にしている。
「絶景だから」とヒュンケルに誘われたラーハルトは半信半疑だったが、日も暮れたころに、理由が分かった。
「以前、先生と訪れたことがあって」
中腹の洞穴に、ささやかな滝の音。
泉が隠されていた。ところどころ差し込む月明かりを湛えて、この世ならぬ涼風をまとって。
「そろそろだ。ほら」
ヒュンケルが指し示す闇色の中に、何か、点のようなものが浮かび上がった。
「何」
ラーハルトが目を凝らすと、それはみるみる輝きを増して、やがて滑るように水面へ落ちた。
ひとつ、またひとつ。あっという間に洞穴は光の粒で満ち、彼らにしか分からない言葉でお喋りを始めた。
満天の流れ星。
「初めて見た」
ラーハルトは呟いた。「蛍か」
「ああ」
ヒュンケルは肩に一匹のせたまま、慎重に腰を下ろした。
「すごいだろ」
「すごい」
珍しく素直に認めて、ラーハルトは泉にそっと触れた。
波紋に驚いた虫たちが花火のように散って、嬉しそうにまた戻ってきた。
「先生も楽しんでいたが、多分俺ほどじゃなかった。あの人は審美主義者に見えて、現実的なんだ。夢中になったりはしない」
お前は違うのか、と聞き返そうとして、止めておいた。相棒は意外とロマンチストで、ラーハルトは不思議とそれが嫌ではなかった。
「とはいえ、俺も現実的な目的があってここに来るんだ、毎年」
そう言うとヒュンケルは小さな包みをいくつか取り出した。
優しい燐光が照らし出すその中身は、小さな骨のかけら。
汚れた包帯。
ふぞろいの砂粒や、壊れたペンダント。
かけた刃。
ラーハルトは首を傾げて、ひとつ手に取った。
オークの牙。
「遺品?」
「そう」
だから、地底魔城跡に寄ったのか。先の大戦で命を落とした彼の部下、彼の家族を、弔うために。
ラーハルトが頷いて牙を手渡すと、ヒュンケルは微笑して、岩盤の上に丁寧に並べた。
「虫が役に立つんだ」
彼が手をかざすと、色あせた遺物たちから小さな鬼火が立ち上る。
この世に迷う死者の魂が、怯えるように揺らめいた。
腕を組んで見守るラーハルトの前で、蛍が一匹、鬼火に近づいた。
しばしのち、ふたつの光が連れ立って、洞穴の入り口から夜空へと旅立っていく。
「普通の蛍じゃないんだ、ここのは」
ヒュンケルが軽く手を振って見送る。
「魂を連れて、天に還る。どこに行くのかは、俺も知らない」
星々のダンスは高揚感を増し、一斉に飛び立ち始めた。
つがいを見つけて、どこか高次の場所へと。
「やたらと華やかな心中だな」
美意識のないラーハルトのセリフに、ヒュンケルが噴き出す。
「むしろ婚礼だと言ってくれ」
「葬式なのに?」
「いいじゃないか。どちらも祝福されるべきだ」
空に昇っていく光の束は壮観だった。
濃紫の雲間に、幸福な魂が溶けていく。あらゆる生命を宿す伝説の巨大樹が、その枝を差し伸べる。
たった一晩の命。光る虫たちの、最初で最後の新婚旅行。