Emblem 数十秒熟考の末、おもむろに指を伸ばす。
からころと散る、虹色の封蝋たち。
目の覚めるような薔薇色を取ると、慎重に、先端を火であぶる。
溶けた赤を雪のようなカール王国産上質紙に垂らして、金の輪で形を整える。
蜜蝋の淡い香り。
革袋に投げ込んである金属をランダムに取り出して、ゆっくりと押し付ける。
満月草が三つ並んだ、可愛らしい家紋だった。
ヒュンケルはため息をついて、出来栄えを確かめる。
「良く飽きないな」
じっと見ていたラーハルトが、ハッカを齧りながら呟く。
「ん」
ヒュンケルは封蝋印を丁寧に拭いて、また袋に投げ込んだ。
かれこれ半日。ダイニングテーブルにはカラフルな蝋印が整然と並んでいる。
知り合いの古物商に押し付けられたものだ。もう使われることのない、絶えた家系やレプリカ品の封蝋コレクション。
現在でも王家の儀式で使われることはあるが、すっかり過去の道具だ。
「やってみたかったんだ、これ」
元不死騎団長ともあろうヒュンケルが、五歳児の口調で言う。
「古代魔界の古い道具が、地底魔城に転がっていて。ずっと何に使うのか疑問だった」
「楽しいか」
「楽しい」
今度は真夏の星空のような藍色を取り、またランプの炎に差し入れた。
ラーハルトの相棒は基本、モノに執着しない男だ。が、いったん興味を持つと、研究し尽くすまでのめりこむ。
そんなわけできっと今回も、満足するまで時間がかかる。
手紙の封という本来の意味を失った蝋の紋章が、栄華をしのびながら量産されていく。
「どうせだったら、自分の紋を選んだらどうだ」
そう言うと、ヒュンケルはきょとんと顔を上げた。
「自分の? 全部、誰かのものなのに」
「みんな死んでる。借りたっていいだろう」
「何のために」
「手紙を書くためだ、正気か貴様」
そうか、と面食らった顔。
「でも、誰に?」
「ダイ様に、その他有象無象の人間どもに」
「ああ……」
「もしくは、十年後の俺たちにでも」
適当な提案に、神妙に頷く。
ラーハルトは、ヒュンケルの文字が好きだった。
光の師アバンから学んだという読みやすい楷書と、闇の師ミスト仕込みの華麗な筆記体がごっちゃになった、癖のあるカリグラフィー。
魔界の匂いがする、古い文字。
同じくらい心おどるのは、主君ダイのたどたどしい手紙だ。
ラーハルトの指導を吸収して、少年は徐々に文字を覚えている。
彼から届く王室印付の書簡は、生涯の宝物になるだろう。
ヒュンケルは、ふたつのスタンプを取り出し、じっと見た。
ひとつは、煌めく五芒星の家紋。これには魅了される。
が、もうひとつのほう、指輪型の印を選んで、ラーハルトに笑いかける。
「これにする」
と、人差し指に嵌めた。
銀の輪に刻まれているのは、吠える火竜のエンブレムだった。
ラーハルトがかつて属した、竜騎衆の紋にそっくりな。
……なんと言っていいか分からず、後頭部を掻いて立ち上がる。
「まあ、ほどほどで寝ろよ。キッチンが蜜蝋だらけになるのはかなわん」
「ああ、大丈夫だ。あとちょっとだから。ありがとう――それと」
自室に向かう相棒の背中に、小さく呟く。
「すまない」
「?」
なぜ謝られたのか。特に気にせず書斎に戻って。
ラーハルトは脱力した。
――ダイ様から頂いた手紙が。
神聖なる書簡が。
ひとつのこらず、丁寧に封印され直していた。
はしゃぎながら蝋印を押しまくるヒュンケルが目に浮かぶ。
全部開き直すのに、それこそ半日はかかるだろう。
大きく息を吸って、吐いて、もう一度吸う。
「ヒュンケル!!!」
怒号と同時に、どたばた、ばたん、と逃走の気配が響いた。