メジロ・オブ・ポムグラネイトスマホを持つ手が震える
もう何回目になるのかすら覚えていないが、一つ言えるのは何万溶かしたかもう自分でも覚えていないということだ
顔からダラダラとよく解らない液体が滴り落ち、手汗でスマホが滑ろうとも一切構わずにブルーライトが発せられている画面から目を離せずただじっと、じっと心の底から奇跡が起きることを願っている
開かれる扉は何も変わらず
ゲートは金色に光るのみ
確定演出の気配は一切合切ない
ただ、いつもと変わらないソーシャルゲームのガチャ結果画面をうつろな瞳で見つめるマリキンの動きが5分ほど止まっていることを認識したフサキンは、恐る恐る、不発弾を処理するかのような心地で冷や汗を首筋にたらりと垂らしながら声をかける
「……マリキン?」
「そうだ、ハロウィンパーティをしよう」
戦闘時とは違う種類の焦りがフサキンの胸に水紋を蠢かせた
◇◆◇◆◇◆
「という訳なんだよ……」
「いい加減マリキンのガチャ癖を改めさせる気は?」
「それが出来たらとっくにやってる」
所変わってトンコツ山の工房、茶を供されたフサキンが慣れた様子でズズと啜りながら困り顔でオツキンと向かい合っている
「んで、パーティーの料理の飾り付け用に食べれる血糊が欲しいって?」
俺別に何でも屋ではねぇんだけど……なんて口ではボヤキながらも頭の中ではレシピを模索している
「この手のだったらエクレアの方が適任なんじゃねーか」
「いや、エクレアさんはその、ヤクが……」
「すまん」
本棚の奥から埃にまみれた本を引っ張り出し、コンと人差し指で叩く
「ま、このオツキン様に任せておけって。しっかり作ってやんよ」
「いやほんと助かる、マリキンにおみや持たせた状態で受け取りに来させるから宜しくね」
「了解、ついでに別日でいいから材料の買い出し手伝ってくれると嬉しいんだが」
そのくらいならお手の物さ、なんて張り切りながら立ち上がったフサキンが鉢巻をお茶に浸してしまったのはご愛嬌ということで
◇◆◇◆◇◆
ピっとアイロンを掛けられているかのようなシワ一つない鉢巻のフサキンを片目に必要なものをぽいぽい買い物かごに放り込んで徐々に重みを増すそれと脳内の買い物リストを照合させる
どうやら、過不足は今のところなさそうだと鼻歌を少し立てながら財布をちらりと確認する
残金は十分、使い過ぎもないし大丈夫そうだ
大量に詰められた柘榴を眺めながらちらりと薄く反射する己を見る
一瞬、深緑のマントを羽織って不敵で血塗れな笑みを浮かべている自分と目があった気がして
「オツキン?」
いけない、ぼーっとしていた
「あ、ああ。すまん」
「どうしたの?数分くらい立ち止まってたけど、どこか具合でも悪い?」
「いや、ちょっと柘榴の熟成度合いを見てたらつい立ち止まってしまっただけだ」
「んもー、道のど真ん中で立ち止まったら他のお客さんに迷惑でしょ」
「おう、気を付ける」
どうしてだろう、もう過ぎ去ったはずなのに
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買い出しから戻ってきて早速大きな鍋と砂糖、それからはちみつと食紅を用意する
まずは柘榴の先端を少し切り落として水を張ったボウルにいれ、中の赤い実と皮を分離させるため軽くほぐし、水気を切る
少し黒っぽく、果肉がみっちりと詰まっている良い柘榴だ
やっぱりあの店の仕入れは信頼できる
次に、水気を切った実をミキサーにかけたら裏ごしして種を取り除く
鍋にミキサーにかけた実とはちみつ、砂糖を入れて中火にかけアクを取りながら沸騰を待つ
この間に食紅で色を調整してより本物の血に近づくよう調整する
「……あっつ!」
指に作りかけの血糊が飛び、思わず悲鳴を上げてしまう
幸い火傷はしていないようだが手に切り傷が出来てしまったような色味になってしまった
今回は調合じゃないから手袋をしていないのが響いたな、今からでも遅くはないし付けるか
そうこうしているうちに沸騰したからタイマーを5分にセットし、出来上がるのを待つ
割と簡単に作れるのがいい所だ
煮沸消毒した瓶をいくつか用意してラベルに
【血糊(柘榴ジャム)】
と書き添えておく
本来は実験用のろうとをセットしていたらタイマーの電子音がピピピ、と響く
甘酸っぱく煮詰まった香りも鼻腔に届き、しっかりと作れたであろうことを確信し、鍋の中身を覗き見ると一見して確かに血だが、ちゃんと見れば色が違う仕上がりになっており一安心
◇◆◇◆◇◆
ひとしきり作って心地よい達成感に包まれた後、手早く容器に移して粗熱が取れるのを待つ
「それにしても、作りすぎたな……」
鍋の中にはたっぷりの柘榴ジャム、瓶には到底収まり切りそうにはない
さてどうしようかなんて悩んでいるうちにドアがノックされる音
多分、受け取りに来たマリキンか?なんて思いながら適当に声をかける
ドアのノックに意識が行き、鍋の持ち手をあまり確認していなかったのが原因と言えば原因かもしれない
何かが盛大にひっくり返ったガッチャーン!の音と共に「あっつぅ!」というオツキンの悲鳴
なんだなんだとドアを開けてみてみれば、腹に赤い液体がこぼれているオツキンの姿
途端、息が詰まる
いつかの記憶と姿が重なり、視界の色味がずれたかと思うとモノクロになり、顔からダラダラと脂汗が流れ止まることを知らない
起き上がったオツキンが何かを言っているがそれすらも聞こえず腹の赤から目を離せずただじっと、じっと見てはあの時のことを思い出して自然と手が喉に添えられる
空気が漏れる音がするのみで声は出ず、背中に手が添えられる感触が微かにするくらいで後は砂嵐と共に泡沫と化したかつての四天王たちを反芻し、思い返してはまた空気に溶けて
「マリキンッ!」
意識が、目覚める
後は深呼吸と、暖かい飲み物
温めた牛乳にまだ残っていた柘榴ジャムを溶かしてほんのり薄く色づいたものを出される
すっかり鮮烈な赤が無くなったオツキンがそわそわとしているのを横目にじっくりと飲み物を楽しむ
「……あー、なんだ」
どうしても言い淀んでしまうそれはしかし、刻まれてしまった見えない傷跡の様で一見するだけでは分からない
「皆まで言わなくていい、状況で大体わかる」
手で制したオツキンはしかし、原因の一端が自分にもあることを知っているからかどことなくばつが悪そうだ
「にしたって、それも含めて背負って立っているってさ……」
相当の覚悟が無いと出来ないぞ
言外に、もっと何か背負っているんじゃないかなんて問いかけられたのかもしれない
そんなことは己の呼び名に【英雄】が付きまとっている限りは知らぬ存ぜぬで通してしまえるものだ
が、そんな呼び名なんてもうとっくに呼び古されたと思ってたんだけれども。存外自分には呼吸のように扱える武器のように似合っていたらしい
全てを救うだなんて幻想が、己が手からすり抜けていたことをすっかり忘れていた癖に
「分かっているとは思うが、二度とすんなよ」
「理性を浸食されただけの獣に誰が再び成り下がるもんか」
「なら……、いい」
もう再び、過ちを犯さないように
もう再び、深淵に堕ちないように