温まったからカチ、コチ、カチ、コチ
時計の音が室内に響く
先ほどまでの集中は当に掻き消えて、やけに耳に残る音だけが脳内に留まった
ずり落ちた眼球保護用の眼鏡は重く感じてマザイの染みだらけになった白衣はもう慣れた強烈な匂いを発していた
(……もう、深夜の二時か)
フ、と時計を見上げて心でぼやく
集中力が暫く帰ってきそうにない
声を出そうとした喉は掠れていた
「水、飲みてぇな……」
誰に向けるでもない水気を失った声が室内に落ちる
寝ているであろう氷虎を起こさないよう気遣いながら音を立てないようにそっと部屋のドアをスライドさせる
抜き足、差し足、忍び足
別段悪いことをしているわけでもないのに妙に心が躍った
キッチンへ赴きいつもの食器棚から透明がかった緑をしたグラスを出す
そのまま蛇口から水を拝借しようとしたところ、見覚えのある包装が俺の眼に止まった
「あ? 珍しいな」
氷虎が夕食で食べたであろう袋麺が出しっぱなしにされていた
普段の俺なら、当然スルーしていたであろうそれをこの時間に見てしまったことにより余計な閃きが俺の頭を通りすがってしまった
気付けば俺はコンロに水の入った鍋を置き、火にかけていた
揺らめく炎をぼおっと見つめながら、何をするでもなくただ立ち尽くす
段々熱された蒸気が俺の顔を通り過ぎ、天井へと昇っていくさまを見ながら何とはなしに袋麺の成分表を眺める
その内にお湯が沸騰してきたので包装を開け麺を投入する
水分を含んでいない麺は沸騰した湯に沈まず水泡と共に浮かび上がり白いもこもことした泡を含みながらだんだんと柔らかくなってきた
別にこのまま完成させても良いのだが、いかんせん味気ない
疲れた頭はそう結論をはじき出し冷蔵庫へと俺の身体を向かわせた
さほど力を込めず空いたそこをぐるっと見回す
右側上段に卵が6つ、正面中段にハムの10枚入りパッケージ4個セット1パックとバラが2個、正面下段に豆腐3パックと刻みネギが入れられたタッパー1つ
冷気が顔を撫で、研究でゆだり上がっていた脳を冷やしていく
卵1つとハムのパッケージ1個を手に取り冷蔵庫をぱたりと閉める
そのまま卵を鍋に割り入れ、いつもの箸で多少柔らかくなった麺と共に適当にかき混ぜる
多少熱いがまあこのくらいならどうってことない
完全に麺がほぐれたところでカン、と箸の水気を軽く切り一旦置く
セットで付いていた粉スープを開け、混ぜ入れる
途端、香ばしく食欲の沸く香りが鼻に届き、思わず腹がぐうと鳴った
最後にハムを上に乗せて出たゴミを三角ポストに入れたら完成だ
「いただきます」
箸を持ったまま手を合わせ、麺を鍋から豪快にすする
付けっぱだった眼鏡が湯気で曇ったがそんなのは気にしない
体が温まり、脳にエネルギーが行き渡るのを実感した
スープに乗り暖かくなったハムをちょいちょい摘まみつつ、丁度良い塩気が絡み合った麺とスープを最後の一滴まで残さず飲み干す
コップに注いだ水を一気に空にしたあとは手を再度パチンと合わせ、ごちそうさまでしたを先ほどより生気の戻った声で発した
鍋と箸を洗い、もう一杯水を飲みつつ休憩しようと俺は椅子に座った
翌朝
「またか、オツキン」
眉間にしわを寄せつつぼやく氷虎の眼前には椅子に座って寝落ちたオツキンの姿
傍らには透明色をした緑のグラス
水切りラックには鍋と箸が伏せられており、三角コンロには俺が食事をした後のような見覚えのある色合い
頭を軽く押さえ、ため息を付く
「無理はしてほしくないんだがな……」
同じ研究者として気持ちは分かるのだがこの相棒は昔からの寝落ち癖がある
この種類のため息を俺は一体いくつ落としたのだろうか
「暫く寝かせておいてやるか」
慣れてしまった手つきで汚れた白衣を回収し、眼鏡をそっと取り外した
多分、昼には起きるだろうオツキンのために昼ご飯でも作っておこう