シャッシャッシャッと小気味良い音だ。水をかけて洗い流し、ためつすがめつ主が見つめののは刃である。と、いっても、量販店で購入できる包丁だが。
「こんなもんかな」
たいした目利きもできないので、作業を切り上げた。研いだ包丁や砥石を片付ける。そばで恍惚としている亀甲貞宗を無視しながら。
「あぁ……ぼくも、その手で研がれたい……」
「素人の研ぎに何を言ってるんだ、国宝」
作業は終わったので、無視モードは解除した。
「しかし、筋がいい。きっといい師を持ったのだろう」
「お父さんだよ」
「それはさぞや高名な研師!」
「どこにでもいるサラリーマンだよ。どれだけ色眼鏡かけて贔屓目でみてるの」
「ありのままのぼくに触れられ……研がれたい……」
もう慣れっこの主はしれーっとスルーしている。
「わかりマス……。研ぐ、とは、身を削り、しかし研ぎ澄まされるというコト……。つまり、脱「ちょっと誰かこれ持っていって」
「大変失礼しました!」
千子村正は瞬時に運ばれていった。
「それで、」
主は振り返る。鈴なりに、というほどではないが、男士たちがこちらをのぞいている。
「君たちも研がれたいの?」
「いやそういうわけでは!」
「我々刀剣、刃物には敏感なのです!」
「研がれたいか研がれたくないかで言えば研がれたいですが!」
「そりゃ主に握られ手入れされて、ちょお羨まし思っとりますけど!」
口々に言い訳じみた本音が吐き出される。人の身を持つものとしては、よくわからないが、本当に刀は刀なりに研がれたい欲求があるのかもしれない。みなが慌てる中、(けっきょくそこにいるので同じ穴のムジナだが)孫六兼元だけは余裕の笑みを浮かべている。
「なにか言いたげだね、孫六は」
「そういうわけではないが、まあ自慢だな」
「言いたいんじゃん」
「主人が研いでいたのは、貝印の包丁。俺に少なからず縁がある」
人の身として何がどう自慢になっているのかはわからないが、自慢になっているらしく、稀に見るドヤ顔孫六は、ぽかぽか殴られていた。余談だが、ピーラーも貝印である。
「ふっ」
今度は通りがかった三日月宗近が笑った。
「主の爪切りに三條の銘が刻まれている。縁がある、ではなく直系といっていいだろうな」
笑いながらそのまま行ってしまった。
「……少し、道場を賑やかしてくるか」
「いってらっしゃーい」
ぞろぞろと包丁研ぎを見ていた男士たちは行ってしまった。こういう時はだいたい道場で決着が付けられる。河川敷で殴り合い、『お前やるじゃねえか』『お前こそ』みたいなものだと思い、特に口は出していない。
「なんだ、あいつら」
入れ替わりに顔を出したのは同田貫正国だった。
「河川敷ごっこしに道場に行ったよ。珍しく三日月が煽り散らしてたけど、見に行く?」
「いや。腹減ってんだが、何かないか?」
「んー、ご飯ちょっと余ってるから握る。お茶出して待ってて」
「おう」
包丁を研いでいたそこは、主用のこじんまりとした厨である。すべてがご家庭サイズで、時々腹をすかせた男士が顔を出す。
「この前食べたきゅうりと枝豆のつけものがおいしくてさ、枝豆の浅漬作ったから、味見していって」
白出汁と鷹の爪に漬け込んでおいた枝豆を、一食分ほど余っていたご飯に混ぜ込む。自分用に一口おにぎりに、残りを三角のおにぎりにしてしまう
「へい、お待ち!」
「握ってるけど、寿司ではないだろ」
同田貫は律儀にツッコミを入れてくれた。
お茶を片手に、二口三口でおにぎりは飲むように片付けられた。
「んまっ。枝豆、落ちそうだな」
「海苔巻いた方がよかったかな」
主も一口おにぎりをほおばる。
「枝豆のサクサク食感がいいな。もう一声欲しい。生姜?」
「ガリでいいんじゃねえか?」
「採用。また次も味見よろしく」
「そのへんにいたらな」
同田貫はぐっと茶を飲み干した。
「ん? なんだ?」
主の視線に気づき、同田貫も目をやる。
「んー。さっきの集団はね」
かくかくしかじか。
「っていう感じだったんだけど、身を削ってでも研ぎ澄まされたいもの?」
「どうありたいかはそれぞれだろうが、気持ちはわかる。あんたの世じゃ美術品扱いしかできねえんだろうが、刀は道具だ。大切にするっていうのは、祭り上げるみたいに飾ることじゃねえ。使ってナンボってことだな。研ぐっていうことは、それまで使われて、これからも使うってことだろ。俺みたいな実践用は特にな」
「あぁ、なるほど。そっか、ちょっとわかった。私も、みんなの顕現っていう神秘に触れてはいるけど、俗世の人間だからね。なんか同田貫がしっくりくるのは、実戦刀だからか」
「“なんかしっくり”って、なんだよ」
「安定した安心感? 頼りにしてるってこと」
「そりゃどうも。俺も、あんたになら研がれていいぜ」
「もう、やめてよ。素人から伝授された素人技なんだから」
そうは言うものの、理由まで聞かされれば、悪い気はしないのだった。
その後、話を聞いた短刀たちにも、研いでいいよとまとわりつかれた。包丁が研げるなら、自分たちもできろうだろ、と。
「その分野ではホント素人だからできないって!」