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    逃げるんだムゴ

    愛…

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    逃げるんだムゴ

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    未来ファと若ネの同棲ネロファウを、一旦支部にあげたのち消してしまったのですが、尻叩きとして上げさせてください…

    かりのやどり未来のファと盗賊団をやめた頃の若ネがのんびり同居前編
    ネファよりネ+ファに近いです
    なんでも許せる方向けです
    ハッピーエンドです

    ーーー

     ごうと雪混じりの冷たい風が吹き抜けて、古びた外套の裾を揺らす。突き刺すような寒さに、ネロは箒の上で体を縮こまらせた。
     中央や西では春とよばれる今の時期、北の大地はあい変わらず分厚い雪で覆われている。そも、ネロの住まうこの国に四季の概念は存在しない。生まれてから今まで、両手で数えるほどしか、雪が降らない日を見たことはなかった。白い吐息のもやが、夕方の空と遠くの山々に向かってとけていく。

     ネロがこうして雪の中を飛んでいるのは、食糧調達のためだった。魔法使いとて、飲まず食わずでは生きていくことはできない。レインディアーの子供かうさぎあたり、食い出は少ないが野鳥でもいいだろう。とにかく食材を求めて小一時間、住処の周りを飛び回って生き物の影を探している。この時期は山菜や木の実など、山の実りにはまるで期待ができない。山芋くらいならもしかしたら残っているかもしれないが、ここよりさらに雪深い山に分け入って地面を掘るのは、体力も使うし、できれば最後の手段にしたかった。もっというとこの地域の芋は毒があるものやエグみの強いものが多く、腹にはたまるが大抵あまり美味しくないのだ。そろそろそんな文句を言っている場合でもないけれど。
     ネロはため息をついた。
     辺りにはどこまでも広大な雪原が広がっている。それでも自分の仲間に消息が知れてしまう可能性を思うと、人の集まる市場にはまだどうしても、すすんで行く気になれなかった。

     腹の虫を宥めながら飛び続けていると、一瞬、遠い地面にぽつんと何か黒いものが見えた。不思議に思い、箒の頭を持ち上げて急停止する。
     降下して近づくと、それは人の形をしていた。横向きに倒れている人影は、ここは北の国であるというのに、耳当ても手袋もしていない。広いつばのついた黒い帽子と、薄い茶色のサングラスと、妙な模様のストールは身に纏っているが、北を歩く人間にしてはあまりにも薄着だ。死んでいるのだろうか、と思いながら見下ろす。
     人間を食う趣味は、ない。
     ごく一部の悪食の連中には食人を好むものもいるそうだが、ネロはそうではなかった。代わりに彼の持つ金品や食料を物色させてもらうことにした。気の毒だと思わないでもないが、かといって手をつけないでおいていても、彼の持ち物は雪に埋もれていくだけだ。それだったら、まだ生きてるものの役に立たせた方がずっといい。干し肉でも、芋のツルでも、パンでも、何でもいいから持っていないだろうか。
     と、男の変わった外套の内側をまさぐろうと手をかけると、ふわりと男から魔力の気配が立ちのぼって、ネロは手を止めた。
    「魔法使い……?」
     声に出した瞬間だった。伸ばしていた右腕が、熱した鉄の棒を当てられたように熱くなる。遅れて体を強く押された。反射的に右腕は振り払えたが、代わりに横殴りにされたような衝撃が襲い、たまらずネロはバランスを崩した。
    「いっ…てぇ!」
     咄嗟のことで、受け身は取れたが、尻餅をついてしまった上に横に倒された。すぐには起き上がれない。なんとか顔を雪の上に向けると、狼の群れが迫ってきていた。喉の奥からヒュッと息が漏れる。狩狼官なんて仕事が成立するくらいだ。この地域の狼はどれも魔力を帯びていて強く、体躯に恵まれていて、狡猾で、凶暴だ。
     白い巨大な塊が大口を開けて飛んでくる。呪文の詠唱は間に合わなかった。迫ってくる大きな牙に向けて、咄嗟に顔の前に腕を突き出す。
     その時、背後から震える声が耳に届いた。
    「…サティルクナート、ムルクリード」
     きれぎれに呟かれたのは呪文だっただろうか。瞬間、近くの地面にジグザグに亀裂が走り、そして目の前が真っ白になる。気が遠くなったのではなく、ネロの背丈ほどの厚さの雪がいきなり持ち上がったのだ。巨大な雪の塊が狼の上に、雪崩のように降り注いでいく。
     雪狼たちの大部分は、またたきの間に雪の下敷きになってしまった。押し潰されなかった残党もほとんど逃げ出していった。動転した1匹がこちらに向かってきたのを、慌ててカトラリーを舞わせて首を掻っ切る。狼の頭はぶらんと身体から跳ね飛び、そのまま仰向けに倒れた。雪原にぱたぱたと赤が落ちる。もう助太刀はなかった。
     獲物がもう動かないのを確認してから、ネロはゆっくりと起き上がった。
     助けられたのだろうか。
     まだ先程の衝撃で、心臓がバクバクと跳ねている。
    「おい、あんた……」
     振り向いて呼びかけるが、返事はなかった。怪訝に思い、肩を揺らして声をかけても、うつ伏せに倒れた男はピクリとも動かない。
    (息が塞がっちまう)
     横から肩を持ち上げて押すと、抵抗もなくぐにゃりと仰向けになり、どうやら男は気を失っているようだった。動かした衝撃でサングラスと帽子がずれて雪の中にぽすりと埋まる。そこで男が、色付きのガラスとつばの広いハットで隠しているのがもったいないくらい、端正な顔立ちをしていることにも気がついた。
    「困ったな……」
     意識のない男を見下ろして、途方に暮れた。
     数ヶ月前の自分だったら、たとえ目の前で行き倒れている者がきょうだいでも、命の恩人であっても、盗賊団の仲間以外なら殺してマナ石や食料を奪っていただろう。何故ならそれが共同体の掟だったからだ。生きるためには誰であれ何であれ奪わなければならない。
     けれど、盗賊団の一員ではなく、ただのネロとして生きると決めた者にとって、曲がりなりにも自分を助けてくれたのだろう男を、見殺しにするのはどうなんだろうと思った。心の底から本当に恩を感じているというより、これからネロがどのように生きるべきかという指標に、この男を見捨てるか否かの判断が、深く関わっている気がしてならなかったのだ。
     思案の末ネロは、男の脇に手を突っ込むと、雪の中から持ち上げた。気絶したヒトの体は重たいはずなのに、男の体はおどろくほど軽かった。男を支える手とは逆の手を、空中に伸ばして箒を呼び出す。
     男を箒の前に乗っけて、ついでに近くに落ちていた狼の死体も魔法でくくりつけた。彼らが万一にでも落ちないよう、腹で覆い被さって柄に跨ると、分厚い雪を蹴って、ゆっくりと箒を浮かせた。ぐんぐん地上が遠のいていく。雪原には巨大な雪の塊と、狼の赤い血痕が点々としているのがよく見えた。

    ーーー

     家に着く頃には日が暮れかけていた。男を支えながら、馴染んだ家のドアノブを引く。部屋に入って戸を閉めると、扉に仕込んであった魔法陣の効果で、部屋の明かりと暖炉が勝手についた。
    「アドノディス・オムニス」
     意識のない男を寝台に横たえる。
     まずネロが行ったのは、氷のように冷え切っている体を温めることだった。凍りついた身体をそのまま放置していると、そのうち末端の指からとれてくさってしまう。見れば男は、大きな怪我はしていないようだが、体温を自力でうまく維持できていなかった。部屋の火の勢いを気持ち強くし、手の中で魔力を増幅させるイメージをして、熱を生み出す。体を適度に温める魔法は、北に住む魔法使いならば誰でも使える魔法だ。温めた自分の手のひらで、霜で真っ赤な足先や手の先を揉んでやりながら、ダメになっている指はないか点検をしていると、ふいに目の前の体がみじろぎをした。長いまつ毛が震え、その瞼が持ち上がる。
     紫紺の瞳と目があった途端、どこかで会ったことがあるような気がした。
     重い前髪と、サングラスで隠れてはいるが、やはりととのった顔立ちをしている。男は、ネロに握りこまれている指のあたりをぼうっと見つめていた。
    「お、おい」
     そのまま寝台に肘をついて起きあがろうとしたが、うまく体に力が入らないようだった。体を支える肘が、かくりと横にすべってしまっている。
    「まだ起きないほうがいいよ。あんた、さっきまで雪の中に埋まってたんだから」
     ネロがそう言うと、男は素直にこくりと頷いた。
     まだ意識がぼうっとしてるのだろう。白湯を飲むかと尋ねれば、少しだけ首を傾けたが、ひとくちふたくちと飲んだところで、疲れたように目を閉じてしまった。



     次に男が目を覚ましたのは明け方だったらしい。
     らしいというのもその時ネロは、狼の肉の処理のために、ベッドのそばの椅子に腰掛けながら、うつらうつらとしていた。寝ずの番には慣れていたはずなのだが、普段よりもずっとあたたかな部屋や、慣れないことをした体の疲労から、自分でも知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。
     船を漕いだ拍子に上体が大きく揺れる。椅子から落ちそうになり、慌てて踏ん張ろうとした時、肩をがっしりと強く支えられる感覚がした。はっと目をさますと、目の前で、サングラス越しの瞳が大きく瞬きをした。
    「大丈夫か」
    「……ああ、あんた、きのうの……」
     ネロはぐしぐしと両手で目を擦った。そこで、肉の解体のために握っていたはずのナイフがなくなっていることに気づく。すると男が、危ないからそこによけといたよ、と机の上を指さした。男の手が、ネロの肩からゆっくりと離れていく。
    「ベッドをずっと使ってしまってごめん。僕はもう平気だから休むといい。危ないところを、本当に手間をかけた。ありがとう」
    「いや、それはこっちのセリフで……」
     あのとき、彼の助太刀がなかったら、きっと自分は大怪我を免れなかったはずだ。しかし男は、ネロの言葉に神妙に首を振った。
    「そんなことはない。意識はあったんだが、体がもう動かなかったんだ。こんなに寒いと思ってなくて、情けないが君に会った時はもう指一本動かせなかった。君がいなかったら、あそこであのまま石になってたかも」
     男が苦笑いをした。
     ネロは、寝起きでまだ視界が定まらないふりをしながら、男のことを観察する。
     座ったままなのに背筋がすらりと伸びていて、仕草がどことなく上品だ。身長は、ネロと同じか少し低いかくらいだが、線が細く実際の背丈より小柄にみえる。魔力量は、そこそこ力の強い魔法使いは意図して隠すこともあるからなんとも言えないが、少なくとも魔力でゴリ押すタイプには見えなさそうだ。まだ本調子ではないのか、顔色が青白い。
     つまり、いきなり襲い掛かられても、すぐにのされることはない、…と思う。
     瞬きのうちに男の力量をはかると、ネロは椅子に座り直して、向き直った。
    「……ともあれ、元気になったみたいでよかったよ。な、あんたのことなんて呼べばいい」
    「ファウストだ。ファウスト・ラウィーニア」
     流れるようにおそらく本名だろう名前を即答されて、思わず顔を見つめてしまう。すると、ファウストと名乗った男は怪訝そうにこちらを見てきた。
    「どうかしたのか?」
    「いや、……その、簡単に名前を言うんだなって」
     別に、マイクとかスミスとか、テキトーな呼び名を教えてくれればよかったのに。もし自分がファウストと同じ立場にあったら、見知らぬ魔法使いの前で、不用意に名を名乗るなんてことはしないだろう。何かの儀式や方便に利用されたらたまったもんじゃないからだ。無用心だな、と半分思ったのが顔に出ていたのか、ファウストが呆れたようにため息をついた。
    「別に、君が僕の名前なんかを知ったところで、どう悪用するって言うんだ」
    「そうじゃねえけど…….、育ちが良くねえから、性分みたいなもんで」
    「へえ」
     ファウストがベッドに腰掛けたまま、興味深そうな声を上げた。
    「君はずっとここで暮らしているのか?」
    「半年くらいはこの家に住んでるかな。生まれてからは、ずっと北の国の、あちこち点々としてるよ」
    「一人で?」
     どきりと心臓が跳ねる。一瞬の静寂。
     いつものように素知らぬ顔で、そうだよ、と答えようとしたのだ。けれど、それより先にネロの顔色を見たファウストが「いや、すまない、別に答えなくていい」と気まずそうに言葉を引き取った。
     探り合いのような、テンポの噛み合わない会話がどうにも居心地悪い。
     自分のつまさきを見ながら、ネロからも質問を投げかけることにした。
    「…あんた、なんだってあんなとこに倒れてたんだ」
    「ええと、……植物の採集に来たんだが、途中で道に迷ってしまって」
     目を逸らして、落ち着かなさげに足を組み直す。明らかに嘘をつかれたことから察せるように、彼も訳ありのようだった。そして、ここまでの様子から、男があまり駆け引きを得意とするタイプでないこともわかった。
    「なるほど。大変だな、あんたも」
     余計な詮索はせずに軽く頷くと、目の前の体から力が抜けるのが伝わる。
     ネロは椅子をひいて立ちあがった。
    「とりあえず、なんか食わねえか。腹が減っちまった」
     振り向くと、暖炉のあたたかい炎が、夕日のようにファウストの身体を照らしている。
     ゆらめく濃い影の中、指先をすり合わせた彼は、眉を下げて、うん、と頷いた。



     ファウストの持っていた鞄からは、魔法で小さくしたパンがたくさん出てきた。二人で食べるにはちょっと多いくらいの量を元の大きさにもどしてくれたので、ありがたく暖炉の火で温めて食べることにした。
     長い間携帯していても問題ないようにか、パンは水分を飛ばして硬めに焼いてあったけれど、それでもよく噛むと小麦の香りがふわっと香って、本当に美味しかった。
    「これ、銀河麦のパンか?」
    「そうだよ。珍しかったか?」
    「いや、久しぶりに食べたから」
    「ふうん。いくつ食べてもいいよ。僕はあまりお腹が空いてないから」
     言いながらファウストは、ネロの作った、オオカミと香草のしょっぱいスープにパンを浸す。口に運ぶと目を丸くして、「おいしい」と言って微笑んだ。雪のように白かった頬に少しだけ赤みがさす。
    「そうだ君。昨日狼に噛まれて腕を怪我していただろう」
    「ああ…。でも、着込んでたから、ちょっと牙が刺さっただけだよ」
     ほっといたら塞がるよ、とネロが言うと、ファウストは顔を顰めた。
    「傷が浅く見えても、獣の牙は雑菌が多い。放っておくと膿むことがある。見せなさい」
     そう言うファウストにはなんとなく、有無を言わせない迫力があった。別にものすごく抵抗する理由もなかったので、素直に腕を捲って患部を差し出すと、ネロの腕には人差し指の先ほどの穴が二つ空いていた。このくらいの傷は、北では怪我じゃない。だがファウストはネロの腕を見ると、「あぁ」と、傷跡を労るようなため息をついた。
    「…サティルクナート・ムルクリード」
     呪文を唱えると、傷口からしゅわしゅわと光の粒子が出てきて、空中で発泡し、そのまま消えた。患部だった場所を見やると、つるりとしていて何もなくなっている。
     ネロは、顔を上げてファウストを見た。
    「…あんた、こんなこともできんのか。すげえな」
    「これでも長く生きてるからね」
    「へえ」
     治癒魔法は高度な魔術だ。たとえいくら長く生きていたとしても、実用的に使えるようになるには余程の天才か、はたまた術の構造をみっちり勉強したものでないと扱えない。けれどファウストは、その事実を取るに足らないようにつぶやいて、スープを匙で掬っている。
    「謙遜するなよ。よっぽど優秀なんだな。なあ、あんた何歳(いくつ)なんだ?」
     ファウストは、ネロの言葉に、顎に指を当てると少し思案した。
    「……ええと、たしかはっぴゃく……」
    「800!」
     思わず声を上げて驚いてしまう。
     彼は、長く生きた魔法使い特有の落ち着いた物腰をしている。自分より年上だろうとは思っていたが、そんなに離れているとは思っていなかった。
     ファウストが小首を傾げた。
    「君は今いくつなの?」
    「えーと200…いや300はぎりぎりいってたかな。その辺だよ」
    「そうか。じゃあまだいろんなことを、これから知れる楽しみがあるな」
     ファウストは深い色の瞳を瞬かせて、穏やかに微笑んでいる。それを見ると、なんだか後ろめたいような気持ちになった。
    「…あんたには及ばないけど、これでも長く生きてきたつもりだ。今更この先、そんなに新しいことがあるもんかね」
    「あるともさ」
     ファウストは、ほう、と息を吐く。暖炉の焚き火を見つめていた。
    「人生にはいろんなことがある。悪いことも、良いことも」


     いつもより豪勢な朝食が終わると、ファウストはいくつかのマナ石を机の上に置いて、そそくさと出て行こうとした。そして、それをネロは思い切って引き止めた。
    「急ぎの用があるわけじゃないんだろ」
     久しぶりに出会う、自分の素性を知らない魔法使いともう少し話したい気持ちもあったし、何より今日は、朝からひどい吹雪だったのだ。
    「落ち着くまで、ここで休んできなよ」
     そう言うと、ファウストは所在なさげに視線を揺らした後、ネロの指さしたベッドの上にちょこんと腰掛けた。
     2人分のマグカップに、温かい茶を注ぎながら口を開く。
    「客人用の椅子がなくて悪いな。普段、誰も訪ねてこないもんだから」
    「それはいい、気にしてない。…でも、今日も僕が居座ってしまったら、どちらかはまた椅子か床で眠らないと…」
     ファウストが居心地悪そうにつぶやく。気にしていたのはそこだったらしい。
     ネロは、苦笑しながら一度お茶のポットを置くと、部屋の隅に置いてある角材や毛皮に魔力を込めた。
    「アドノディス・オムニス」
     すると、紐や、毛皮や、木ぎれなどが、竜巻のように空中で旋回し、あっという間にベッドの形になる。ファウストの方を振り向くと、驚いた猫のように目を丸くしていて、おかしかった。
    「もともと、そろそろ新しい寝台に替えようと思って、材料は揃えてたんだ。組み立てるのがめんどくさくてほっといてたんだけど、あんたが来たからちょうどよかった」
    「…いや、すまないな、わざわざ。ありがとう」
    「いいよ」
     律儀に頭を下げるファウストに、ネロは屈託なく笑った。
     ガタガタと吹雪で窓枠が揺れている。
     ネロの今の住まいは、人里からも、他の魔法使いからも遠く離れた雪原の真ん中だ。広大な台地の真ん中にぽつんと位置していて、台地から切り立った崖を下ると、人間の村がいくつかある。夜になってからその村の方を見下ろすと、雪原の上に、まるで星空のように獣よけの炎が灯っているのが、美しくて気に入りの風景だった。
     盗賊団を抜けてからは、洞窟や、斜面や、森の中などに住んでいたこともあった。けれど、結局何もない雪原の方が外敵との接触が少ないことに気がついて以来は、ここと似たような場所をずっと点々としている。何か食料や物資が欲しくなった時は箒を少し飛ばせば良い。
     ファウストが、窓の吹雪を見つめながらつぶやく。
    「この部屋はすごく暖かいね」
    「ああ、今は部屋ごとあっためてるけど……暑かった?」
    「いや、ちょうどいい。僕は体温調節の魔法が使えないから、とてもありがたい」
     思いもよらない発言に、今度はネロが驚いてしまう。
    「え、怪我なんか治せんのに……?」
    「うん」
     自分の暖をとる程度の魔法は、歩き立ての子どもだって使える。800年も生きていると言う申告が本当なのなら、そんなの呼吸より容易なはずだ。
     ネロの動揺を見て、ファウストが苦笑した。
    「ちょっと事情があって、僕の体には魔法とか、外部からの衝撃とかが通らないんだ。…そうだ、ためしに、僕の腕に爪を立ててみて」
     そう言うとファウストは、服の袖を肘までまくって机の上に差し出した。
    「え…いいの?ほんとに?」
    「いいよ。思い切りどうぞ」
     困惑しながらも言われた通り、爪を白い肌におそるおそる押し込む。突き立てた爪をより深く肌に刺そうと力を込めたところで、突然、ファウストの肌とネロの爪のわずかな間に、魔力の壁が出現した。磁力のように反発するそれは、ネロのさらなる攻撃を阻み、かなり強い力を込めても、全くそれ以上進まずに押し返されてしまう。
     しばらく通らないか試みていたが、やがてネロは手を離した。
    「……あんた、何…精霊に呪われてたりとかすんのか?」
    「そんなところ」
     実演が終わると、ファウストは服の袖をまた元のように戻してしまう。
    「あまりに強すぎる攻撃とかは貫通したりするんだけど、弱い魔法や打撃はこの通り、全く届かないんだ。障壁のおかげで、ある程度の暑さや寒さを感じにくくはあるんだけど、北の国の寒さはちょっと、普通じゃないだろう。行き倒れてたのは、防ぎ切れなかった寒さが一気に体に届いてしまって」
    「……というか、そんな状態で外に出ようとしてたのかよ。正気じゃねえ」
     相槌を打ちながら、ネロは少し怖くなった。
     こんなものは大した魔力の負担でもないが、例えばネロが今、気まぐれで暖炉の火の維持をやめて、自分にだけ温度調節の魔法を使いはじめたら、こんな広い雪原の真ん中で、ファウストはなすすべもなく凍えていくのだ。
     それだけじゃなく、朝もしファウストのことを引き止めなかったら、彼は、ネロの家を出た後、どうするつもりだったんだろう。強い魔法が使えるようだから、並大抵の魔法使いや魔法生物に倒されることはないのかもしれないが、途中で寒さが障壁を貫通したら、彼はまた雪原の真ん中で石になりかけたかもしれないのだ。そう思うと、ファウストの態度は、どこか危うく、もっと言えば自暴自棄にさえ見えた。
    「……そういう不自由があるんだったら、なおさら、天気が戻るまで待ったほうがいいよ。国境までは送ってやるから。チレッタとか、オーエンとか、やべーのが最近はウロウロしてんだ。あんなタチ悪いのに捕まったら、全身生きたままミンチにされて薬の材料にされちまう。それに加えて、今はオズとフィガロも……」
     少し脅かすつもりで、北の脅威を思いつく順番に指折り数えていくと、ファウストは困ったように眉を下げて笑った。
    「君は優しいんだな」
    「え?」
    「初めて見た時、てっきり、僕のことを殺してマナ石にするんだと思った。実際、僕を食べればちょっとした力の足しにはなるだろうし。箒でここまで運ばれてる最中、うつらうつらしていたけど、内心ずっと驚いてた」
    「…おい、そういうの、やめてくれよ」
     心外であることを示すために、ネロは顔を顰めた。
    「恩のある同胞を見殺しにして、呪いでもかけられたら、たまったもんじゃない。それに、野垂れ死ぬのを見るのも気分が悪かっただけだよ」
    「そうか」
     わざと突き放してもファウストは穏やかに頷くだけだ。どうにも調子が噛み合わない。それでも不思議と、それによって不快な気持ちはしなかった。
     ファウストがお茶のマグカップを、大事そうに両手で包み込む。
    「そうだ、そろそろきみの名前も、適当に教えてくれないか。世話になる人を、なんて呼べばいいのかわからないのは困る」
    「ああ…」
    「別に偽名でも良いよ。初対面のものに名前を知られると、困るんだろう」
    「いや……、悪かったって。さっきのことは忘れてくれよ」
     ネロが困った声を上げると、ファウストはすましていた顔を、くしゃりと、くすぐったそうに歪めた。
    「名前は?」
     目を逸らして、やっぱり偽名を言おうかほんの少しだけ考えてから、口を開く。
    「……ネロ・ターナー。ネロでいいよ」
    「ネロ。良い名だね。よろしく」
     ファウストは、ふわりと笑った。やわらかい笑顔は、夕陽に透かされて揺れる麦の穂のように見えた。
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     中央や西では春とよばれる今の時期、北の大地はあい変わらず分厚い雪で覆われている。そも、ネロの住まうこの国に四季の概念は存在しない。生まれてから今まで、両手で数えるほどしか、雪が降らない日を見たことはなかった。白い吐息のもやが、夕方の空と遠くの山々に向かってとけていく。

     ネロがこうして雪の中を飛んでいるのは、食糧調達のためだった。魔法使いとて、飲まず食わずでは生きていくことはできない。レインディアーの子供かうさぎあたり、食い出は少ないが野鳥でもいいだろう。とにかく食材を求めて小一時間、住処の周りを飛び回って生き物の影を探している。この時期は山菜や木の実など、山の実りにはまるで期待ができない。山芋くらいならもしかしたら残っているかもしれないが、ここよりさらに雪深い山に分け入って地面を掘るのは、体力も使うし、できれば最後の手段にしたかった。もっというとこの地域の芋は毒があるものやエグみの強いものが多く、腹にはたまるが大抵あまり美味しくないのだ。そろそろそんな文句を言っている場合でもないけれど。
    9587

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