(仮)お江戸でパラディその9 小料理屋の門をくぐった途端、別世界に迷い込んだかのように判治は思った。短いながら入り口までの小路は、打ち水された飛び石の脇に行燈が並び、しっとりとした雰囲気を醸し出している。まるで芝居の暗転のように、昼日中の気配を残す明るい夕暮れの世から急に夜の世界に変わったかのようだ。それも艶やかな大人の世界に。判治は胸を早鐘のように打たせながら利葉偉の背を追って飛び石を踏んだ。
通された部屋は広過ぎず狭すぎず、二人で膳を囲むのにちょうど良いこじんまりとした部屋だった。心得ている女中がすぐに夕餉の支度を運び込む。先付けを前に並べながら「お約束通りのものでようございますか?」と言うので利葉偉に「何か食えねえものはあるか?」と聞かれ、「なんでも食べるよ、大丈夫」と答える間も判治の胸の動悸は治らなかった。
女中が去ると利葉偉はそんな判治をじっと見た。
「な、なんだい?」
「いや」口元に笑みを浮かべると早速食事に箸をつけながら利葉偉は言った。
「いきなりとって食やしねぇよ。ここは飯もうまいから、まずは食え」
飯も?と思いながらも判治は「う、うん」と頷き、落ち着かないまま斜向かいの利葉偉を見た。 行燈で影の落ちた利葉偉の顔は昼間に日の光で見るよりもよほど血色が良さそうで、食べるに従って動く喉仏に、女にはない色気を感じてまた判治は内心慌てだした。誤魔化すように箸を取り、少し声を張って「いただきまーす」と言って先ほどから目の前にあった先付けを口にする。味も何もわからないだろうと思ったが、口に入れたほの暖かい大根の葛かけの、しみじみとした出汁の味は判治の浮き足だった舌にも届いた。
「おいしい!」思わず利葉偉のほうを見てそう言うと、利葉偉も頷き返す。
「だろ」それだけ言ってまた膳に戻る。
「わたしこんなの初めて食べたよ!器だってきれいだし、そういえばお料理とよくあっていた……」
そこからの判治は次々やってくる料理を喜んだり、褒めたり、味わって興奮したりと忙しかった。知らない食材や料理の仕方について、ふと口にした疑問には利葉偉が答える。感心してまた味わい、満足気に笑う。
「え、これ葛じゃないの?」
「何かは知らんが、最初からついてる」
「こ、こんな、ちゅるん、ってするものがもう収穫した時からついてるだって?」
判治はじゅんさいに驚き、口にして笑い転げる。すっかり緊張もほぐれて、初めての会席料理を楽しんでいた。利葉偉も酒を自分で注ぎながら食べ進み、水菓子が来る頃には寝そべって肘枕をしていた。判治はずっとしゃべっている。
「立派なびわだね!うちにも木があるんだけど、全然違うなー。うん、甘くて美味しい!」
全ての品が出されて、また下げられ、女中は酒の追加を持ってきた。行燈に油を足し、しかし灯心は短く切る。ちらりと目を寄越した女中は利葉偉が軽く頷くのを見ると深々礼をして下がっていった。先程より少し暗くなった部屋には判治と利葉偉、二人きり。膳の上には徳利とお猪口とつまみの蛸のぶつ切りのみ。ほろ酔いのハンジは目の前の自分の膳を押しのけると、「注いであげるよ!」と利葉偉の猪口に徳利を傾けた。利葉偉は注がれた酒を飲みながらさて、どうしたもんかな、と考える。肘枕の位置から見上げた判治は、酔いのせいか目が潤み、しかし上機嫌で話続けている。これはこれで悪くねぇ。が、次の間の床が無駄になるたぁ“ 百人斬りの利葉偉”の名折れだな……。別に評判を気にしているわけではないが、利葉偉にも意地がある。すでに一度待ってやった。今日だとて来たくなければ来ずともよい。
判治の話が途切れたところで、利葉偉は立ち上がった。
───────────
出会茶屋は値の張る場所説や、狭くて床と枕くらいしかない説、など諸説あったので適当に創作してます。
えーと次誰か代わりに書いてもらえませんか?(汗