指先から伝わる感触は、あの母親の胎内にも似た記憶を想起させる。
他者に触れられるというのは、余程気の知れた仲ではない限り不快なだけだ。
それを許した相手に触れられるのは、眠りにつきたい程心地よいものである。
手に触れるカイの指は、身体には優しく、ユーリが怖さを抱くことはない。
ぱち、ん。
と、小気味よい音が1つ鳴る。
カイがユーリの爪を、爪切りで切った音だ。
ぱちん、ぱちん。
と、今度は2つ続けて鳴る。
黙々と自身の爪を切るカイを、じっと見つめる。自身の爪を切るのに集中しているためか、カイの視線はユーリに向いていない。
それでも、真剣な眼差しで爪を切る姿は美しいと思えた。
成熟したブルーベリーの実を、そのまま落とし込んだような色彩のカイの瞳は、ユーリにはセクシュアルとロマンチシズムを感じさせた。
もちろん、それを感じるのは世界で2人きりの時だけだ。
真っ直ぐに引き結ばれたカイの唇は、白い肌に映えるほんのりと薄い桃色をしている。
カイは美しい。
それは、容姿だけによるものではない。
ユーリがカイに心惹かれるのは、魂の輝きがあるからだ。
絶えぬ炎のような、揺るぎない強さを持つ魂がカイにはある。
その灯火が、ユーリを惹きつけてやまないのだ。
隣に立つ者は、常に自分を鼓舞してくれる者がいいと、ユーリは生真面目に考えていた。
だから、ユーリにとって、カイは理想の女と言える。
「ほら」
終わったぞ、とカイがユーリに声をかける。
「爪とぎは自分でしろ」
「ああ……」
小さく頷きながらも、カイに甘えたいという気持ちが働いていく。
爪を切るという行為は、セックスの前戯に近いものがあるとユーリは感じていた。
この高揚する気持ちを分かってくれ、とカイに意識を飛ばしてみる。
すると、カイの切れ長の目の奥が笑う。
「……次はこっちだ」
そう言ってカイが手を添えたのは、ユーリの足であった。
「…? どうした」
「足も出せ」
「は?」
早くしろ、とカイはユーリの足を軽く叩く。
「爪が伸びているだろう」
「足は自分で切るからいい。オレはおまえの子どもじゃないんだぞ」
ユーリの言葉に、カイはふ、と小さな笑みをこぼした。
「子どもじゃなくて、恋人だからだろう?」
「くっ……そう言われるともう何も言えないな」
カイはいつもユーリの一手先をいく。
負けを認め、ユーリは大人しくカイに足を差し出した。
「いい子だ。……こっちも伸びているな」
ソックスを脱がされ、裸足になった足にカイの指がそっと触れた。
普段あまり触られることのない場所に触れられて、ぴくっと足の指が動いた。
「……っ」
「動くな」
愛撫するように、カイの指がするするとゆっくりと足の指と間を撫でていく。
「小指からだな」
そう言うと、カイは小指の爪をぱちん、と切った。
白く細い指が爪を切る様は、まるで儀式のようだとさえ思えた。
ぱちん。ぱちっ。
小指から順番に、切られていく。
ぱちん。ぱちんっ。
足の10本、全ての爪を切り終える。
長い時間ではない。ほんの数分の出来事である。
「終わったぞ」
「……ああ。ありがとう」
爪を切られている間に、ユーリのものは反応してしまっていた。
熱の籠った目で、もう一度カイに訴えかけてみる。
力の差を考えれば、ユーリがカイを組み敷くのは簡単なことだ。
しかし、今はカイに甘えたい。
その感情に支配され、ユーリはカイの様子を窺っていた。
「まったく……仕方のないやつだな。ただの爪切りで欲情するとは……。だが、今日は終わりだ」
「……は?」
カイはユーリの熱に触れることなく、淡々と告げる。
――本当に食えない女だ。
だがそんな女に惚れてしまったのも、ユーリ自身だ。