Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    ao2ki

    @atasu_ao2ki

    字書き
    セバ転♂とロドモリ擬人化
    書きかけのものとかをひっそり投げる場所

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 😍 ✨ 👍
    POIPOI 3

    ao2ki

    ☆quiet follow

    ずっと前からひそかに書いてたロドリーさん体調不良ネタ。モーリーちゃん視点。
    頑張って書いてたけど、限界になったので書けてる分だけ投げます。
    (たぶん一番書きたかったところを書いてしまったからかもしれない)
    もしも今後続きが書けたら、その時は褒めてやって下さい。

    【キャプテン・ロドリーが伏せった日】 朝晩の肌寒さが一段と増してきた、十一月の半ば。もうそろそろ秋も終わりに近づいた頃の、ある日の事だった。
     デジタルアラーム時計の電子音で目が覚めた。もぞもぞと布団から手を伸ばし、いささか乱暴に叩いて止める。布団の中は、どうしてこうもあたたかくて、心地良いんだろう。まだ眠い、このままもう少し寝ていたい――そんなワガママな気持ちが膨らむ。
     けれど、今日も今日とて、フライトの予定がある。代表さんが新しく始めた『お仕事』のため、搭乗の手配をして、直行便を飛ばさなくてはいけない。僕たちは大事な職務に就いているのだ。再び訪れた眠気に負けそうになる瞼を開け、僕は大きな欠伸を一つしながら、ゆっくりと身を起こした。
     暖房をつけていない寝室は、ひやりとしている。肌寒さにふるりと体が震えた。隣で一緒のベッドに潜り込んでいるロドリーは、僕に背を向けて、まだ夢の中だ。珍しく布団の中にすっぽりと埋もれている。ロドリー、と声をかけても、彼からは何の反応も返ってこなかった。
     朝ご飯の準備をしていたら、そのうち起きてくるかもしれない。ロドリーが僕より遅く起きる時は、だいたいそうだから。もう一度大きな欠伸をしながら、僕はベッドから出た。
     洗濯カゴの中の衣類を洗濯機に放って、液体洗剤を投入する。蓋を閉めてスイッチを入れれば、洗濯機は今日も元気よく回り出した。
     キッチンへ向かい、冷蔵庫の中から卵を二つ取り出す。今日は目玉焼きだ。薄く油を引いたフライパンを温め、縁でコンコンと叩いて卵にヒビを入れ、ぱかり、と割り入れる。その瞬間、なんともいい音が響き渡った。
     合間に食パンをトースターにセットする。黒いボディをしたそれは、一枚ずつしか焼けないという欠点があるので、いつもロドリーの分から先に焼くのだ。
     フライパンに目をやれば、黄身は程よく固まってきている。目玉焼きは時間をかけずにすぐ出来るから、忙しい朝にはちょうどいい。作るのも簡単だし。僕はお皿を二枚取り出して、お互いの分を取り分けた。
     ふと、なかなか起きてこないロドリーの事が、少し心配になった。どこか具合でも悪いのだろうか――そういえば昨日の夜、なんだか顔色が優れなかったような気がする。その事を急にふっと思い出し、じわりと湧いてきた一抹の不安に、胸がざわついた。
     トースターが焼き上がりを知らせる音を響かせた。僕は熱さを堪えながら、焼きたてのトーストをお皿に取った。そしておもむろに、寝室の方を見る。数秒ほど待ってみても、やはり向こうからは、うんともすんとも聞こえてこない。こちらへ来る気配すら感じられず、それが不安をさらに煽り立てた。
     僕はぐっと空気を呑み込むと、おそるおそる寝室へと踏み入れた。ロドリーはまだ布団の中に埋もれている。微かに震えだした手で、その膨らみをそっと揺すった。

    「……ロドリー、もう時間だよ。起きられそう?」

     慎重に声をかけると、ようやく、ロドリーが初めて何かしらの反応を示してくれた。布団の中でもぞもぞと身動ぎをし、すっぽりと隠れていた頭を半分ほど覗かせる。まだ眠たいのだろうか、彼の顔はいつもより険しかった。

    「……モーリー」

     ゆるゆると瞼を開け、ロドリーが掠れた声で僕の名を紡ぐ。彼はしばらくぼんやりと、どこかを見つめていた。その様子に、僕は『おや?』と思う。なんとなく、目の焦点が合っていないような気がするからだ。

    「……ああ、ごめん。今、起きる」

     気怠さを帯びた、重たい声だった。
     いつもよりもゆっくりと、怠そうに身を起こしたロドリーを見て、僕はひどく驚いてしまった。――顔色がすこぶる悪い。なのに頬は真っ赤で、唇はかさかさに乾燥している。またしてもぼんやりとどこかを見つめる彼の瞳が、とろりと熱を帯びて潤んでいるのがわかった。
     まさか、と思い、僕は咄嗟に、自分とロドリーの額に手を当てる。その温度差にまたしても驚いた。彼に当てた方の手の平は、燃えるように熱かったのだ。

    「えっ、まって!? すごい熱!」
    「……ねつ?」
    「そうだ、えっと、体温計!!」

     僕はばたばたと寝室の中を駆け回り、あちらこちらをひっくり返して体温計を探す。
     ようやく見つけた体温計の電源を入れ、ロドリーに手渡す。怠そうな手つきでそれを脇に挟んだ彼とともに、待つ事数分。ピピピ、と規則的な間隔で電子音が鳴る。そして、彼から受け取ったそれを見て、僕はたまらずに息を呑んだ。
     ――三十八度三分。
     高い数値を叩き出した体温計を前に、さぁ、と血の気が引く。不安と焦燥で打ち立てる心臓の音がうるさく響いた。
     けれど、ここで僕が取り乱したところで、状況が変わるわけではない。何よりも、ロドリーの体に障ってしまう。それはいけない、と僕は小さく首を振った。まずは落ち着いて、今するべき事を考えなければ――。
     重く募る不安な気持ちをどうにか押し込めて、僕は一度深呼吸をする。それから慎重に口を開いた。

    「ロドリー、今日は仕事を休もう。たぬきち社長には、僕から連絡しておくから」
    「……でも、フライトがある、だろ。休むわけには……」
    「気持ちは分かるけど、今のロドリーに操縦なんてさせられない。それに、住民さんやクライアントに移したら、もっと大変な事になるんだよ」

     明らかに体調を崩しているのに、それでもなお、ロドリーはフライトに向かおうとしている。それだけ自分の仕事に誇りを持っているのだ。それは痛い程わかる。けれど、こんな状態で、安全な運航など出来るわけがない。ましてや乗客の命を預かる仕事だから、なおさらだ。僕はどうにか説得して、起き上がろうとした彼をその場に引き止める。
     しばらくの攻防に体力を消耗したのか、ロドリーはふらふらと再びベッドに沈み込んだ。僅かに顔を顰め、何度か小さく咳をする。痛々しそうな彼の様子に、チク、と胸が痛んだ。やっぱり今日は、一日安静にさせなくてはいけない。
     僕は寝室の隅に置かれたチェストから、タオルを取り出した。ベッドサイドに椅子を持ってきて、そこに腰かける。そして、顔色の悪いロドリーをそっと覗き込んだ。

    「ねえロドリー、今日は本当に無理しないで。一日や二日仕事を休んだって、誰も怒らないよ。……また治ったらさ、ロドリーが飛行機で飛んでるところ、見せてほしいな」

     出来るだけ穏やかに、落ち着いた声で言って、汗ばむ額に貼りついた前髪をかき分ける。ロドリーは辛そうな呼吸のまま、僕をおもむろに見上げるように視線を合わせた。熱で潤んだやや垂れ目の瞳が、とろけるように僕を見つめる。いつにも増して艶めいている――けども、今はそんな事を思っている場合じゃない。

    「……すまない」

     掠れ気味の低い声で申し訳なさそうに呟き、ロドリーは眉を下げた。きっと彼は、自分がこんなにも弱っている事で、僕にも周りにも迷惑をかけていると思っているんだろう。僕はそんな事ないよ、というように、ゆるく首を振った。

    「謝らないでよ。体調を崩しちゃうのは、誰にでもある事なんだからさ」

     そう言いながら、先程取り出したタオルで、額に滲む汗をそっと拭い取ってあげた。あとで濡らしたやつを持って来なくては。ますます眉を下げ、申し訳なさそうな顔をするロドリーに、僕は安心させるべくにこりと笑いかけた。

    「今日のロドリーの仕事は、薬を飲んで、あったかくして、ゆっくり休む事。最近忙しかったから、疲れが溜まっていたんだよ。……あ、そうだ、ご飯は食べられそう?」

     薬で思い出したけど、そういえば、朝ご飯の事をすっかり忘れていた。そして、薬を飲ませるには、何かしらお腹に入れないといけない。念のため食欲があるか確認すれば、ロドリーは微かに首を振った。無理かも、と弱々しい呟きがこぼれ落ちる。

    「そっか……。でも、薬を飲むなら、ちょっとでも何か口にした方がいいよね」

     そうと決まれば、善は急げだ。
     まずは洗面所に向かい、洗面器に水を張る。タオルを浸して強く絞り、再びそれを抱えて寝室へ。サイドテーブルにそれを置いて、今しがた濡らしたタオルを、そっとロドリーの額に乗せる。ひやりとした感触が気持ちいいのか、それまでしんどそうに歪んでいた表情が、僅かにふっと和らいだ気がした。
     キッチンには、すっかり冷めきった二枚の目玉焼きと、固くなってしまったトーストの乗ったお皿が置き去りにされたままだった。僕はそれらを急いで口の中へ詰め込み、咀嚼もそこそこに飲み下す。途中で詰まりかけた喉には、グラスに水道水を汲んで、半ば無理やりに流し込んだ。
     慌ただしく、けれど極力物音を立てないよう気をつけながら、僕は簡単に身支度を済ませた。
     それから案内所に電話をかけた。ロドリーが体調不良で伏せってしまった事、今日は一日飛行場を開けられない事を伝える。二人して急な欠勤となったにも関わらず、たぬきち社長は事情を聞くや否や、『こっちの方は全然気にしなくていいからね。お大事に』と快く了承してくれた。なんとも懐が深いひとだなぁ、と改めて思う。
     無事に連絡も終え、僕は財布と玄関の鍵を引っ掴む。そして最後に、ロドリーのスマホを枕元に置き、そっと彼に声をかけた。

    「ちょっと出かけてくるね。ロドリーはゆっくり寝てて」

     そうして寝室を後にしようとした時、ふいに、上着の裾が軽く引っ張られた感覚がした。
     そちらに目をやれば、辛そうな呼吸を繰り返すロドリーが、熱に潤んだ瞳で僕を見つめている。布団から伸びた手が、上着の裾を摘まんでいた。きっと、傍にいて、と言いたいのだろう。病気の時は、どうしても不安になってしまうものだから。
     本当なら、このままロドリーの傍にいてあげたかった。けれど、今この家には、彼が口に出来そうなものは何もない。先程の身支度の途中で薬も探してみたが、残念ながらそれも見当たらなかった。彼を少しでも楽にさせてあげるのに、必然的に買い出しをするしか方法がないのが、悔しく思えてしまう。

    「ちょっとの間、一人にさせるけど、ごめんね。でも、すぐ戻ってくるから」

     ね? とロドリーに優しく声をかけながら、そっと彼の頭を撫でる。高熱のせいで少し温くなり始めていたタオルを濡らし、冷たさが戻ったそれを額に乗せた。

    「……ん、わかった。気をつけてな」

     ふ、と微かに笑みを浮かべ、ロドリーは呟くように言った。名残惜しそうに、上着の裾を摘まんでいた手が離れていく。ああ、彼は、こんな時でさえも僕の身を案じてくれるなんて。その優しさがじんわりと沁みた。

    「ありがとう。枕元にスマホがあるから、もし何かあったらすぐ連絡してね。――じゃあ、行ってきます」

     ロドリーに見送られながら寝室を後にして、玄関を出た。
     時刻は八時過ぎ。日差しが柔く照らしているが、吹きつける秋風は冷たい。今日も肌寒い一日になりそうだ、と思いながら、僕はやや駆け足でお店へと向かった。


      *   *   *


     あれも、これも、と買い込んで膨らんだ紙袋を抱え直し、玄関の鍵を開ける。中に入ると、シンと静まり返った空間が僕を出迎えた。自分の足音がやけに響き渡る。
     キッチンに向かう前に寝室を覗けば、熱に魘されているロドリーの苦しげな呼吸が聞こえてくる。痛々しいくらいに弱りきって辛そうな彼の姿に、不安と心配で押しつぶされそうになった。代われるものなら、今すぐにでも代わってあげたい。
     少しでも早く苦しさを和らげてあげたくて、僕は急いでキッチンへ向かった。紙袋の中から、先程買ってきたものをダイニングテーブルの上に並べる。アイス、プリン、ゼリー、レトルトのお粥、ミネラルウォーターに、リンゴが三つ。あとは額に貼る冷却シートと、一番忘れてはいけない、薬。
     タヌキ商店で扱っているこの薬は、例えば風邪や軽い怪我だったら、これを飲めば一日か二日で良くなる。僕たちがこの島に来てから、何度かお世話になっているので、その効果は実証済みだ。しかもDIYレシピも存在するのだから、まさに万能薬と言ってもいいのかもしれない。……とはいえ、さすがに大きな病気や怪我は、これだけでは無理らしい。

    「……これで少しは良くなるといいんだけど」

     薬の入った白い処方袋に書かれた説明文に目を通しながら、ぽつりと呟く。ロドリーは僕よりも体力はある方だから、おそらくはこれだけで大丈夫だとは思うけれど、万が一良くならなかったら病院に連れて行く必要がある。そんな事態にはなってほしくない。
     ひとまず、薬を飲ませるには、ロドリーに何かを食べさせてあげなくては。
     卵か鮭の味があるやつか、あえて白粥か。パッケージを前に少しだけ迷った挙句、一番シンプルな白粥をチョイスした。今の彼には、それが一番胃に負担がかからないと思ったからだ。器に移し、電子レンジで二分半ほど温める。
     その間に、木製のスプーンとミネラルウォーターのペットボトル、薬を準備する。箱から冷却シートを一枚取り出し、温め終わったお粥をトレーの上に乗せ、それらを慎重に寝室へと運んだ。
     サイドデスクに一旦トレーを置き、ロドリーの額から、すっかり温くなったタオルを外した。熱で赤く染まったそこに、薄いフィルムを剥がした冷却シートを貼る。その途中、何回か乾いた音で咳き込んだ彼が、のろのろと瞼を開いた。
     少し虚ろな視線が寝室の中を彷徨い、やがて僕の姿を捉える。すると、ロドリーは安心したようにふっと笑った。

    「……モーリー」
    「ただいま。ごめんね、遅くなって」

     ベッドサイドの椅子に座りながら、僕はそっと声をかける。

    「お粥買ってきたよ。薬を飲む前に、ちょっとでも食べた方がいいと思うんだけど……。どう? 起きられそう?」
    「……ん、起きる」

     ロドリーはふらふらしながらも、力の入らない体をなんとか起こした。すかさず支えてあげたその体は、ひどく熱い。ぐったりと重く、怠そうだ。相当しんどい事が窺える。まずは水分を、と思いミネラルウォーターを渡すと、彼は一口ずつ喉を潤していった。

    「ほんのちょっとでも、食べられるといいんだけど……」

     器の中身を軽くかき混ぜ、とろとろの真っ白なお粥をスプーンで掬う。ロドリーが舌を火傷しないよう、何度も息を吹きかけて冷ました。普段こういう事は慣れていないので、少し緊張してぎこちなくなってしまったものの、こぼさないように彼の口元へと差し出す。
     ロドリーが小さく口を開け、一口目のお粥を口にした。ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだのを確認して、僕はもう一口差し出してみる。これもまた、ゆっくりではあるが、無事に食べられたようだった。続けて三口目、さらに四口目……と、お粥を運ぶ。彼が思った以上に食べられている事に、僕はひとまず安堵を覚えた。
     お粥が少しばかり減ったように思う頃、次の一口を掬おうとしたところで、ロドリーからストップの声がかかった。片手で口元をおさえながら、緩慢な動きで首を振る。

    「……モーリー、ごめん」
    「わかった。じゃあ、お粥は終わりにしよう。薬飲もうか」

     処方袋の中から取り出した白い錠剤を二つ、ロドリーの手の平に乗せる。手渡したミネラルウォーターでそれを流し込んだ彼は、気怠げに長く息をついた。ずっと起きているのが限界だったのか、ふらふらと沈み込むように体を横たえる。

    「ありがとな、モーリー……」

     こちらに顔を向けながら、ロドリーは弱々しそうに笑った。お粥を口にしたおかげか、先程よりほんの少しだけ、顔色が良くなったような気がする。僕は彼の髪を梳くように撫でた。

    「どういたしまして。あとはゆっくり休んでね。今日は一日、僕が傍にいるから」

     小さく頷いたロドリーは再び「ありがとう」と呟くと、おもむろに瞼を閉じた。そのまま撫で続けていると、次第に彼から微かな寝息が聞こえ始める。まだ荒い呼吸だけど、薬が効いてくれば、徐々に落ち着いてくるだろう。

    「おやすみ、ロドリー」

     耳元にそっと囁きかけ、熱く火照る頬に軽く触れるようなキスを一つ落とした。物音を立てないよう慎重に立ち上がり、トレーをキッチンへと運ぶ。ロドリーが食べきれなかった分のお粥は、ラップをかけて冷蔵庫へ入れた。
     それから僕は、すでに仕事を終えて静かに佇んでいた洗濯機の蓋を開け、洗濯物を干していく。今日は日当たりの良いリビングの窓際で、室内干しだ。それぞれ使っているバスタオルはハンガーに引っかけ、加湿も兼ねて、寝室のカーテンレールのところに並べて吊り下げた。
     ――ロドリーは、滅多に体調を崩さないひとだ。今までに、余所の島で流行っていた風邪の類を、一つも貰ってこなかった。激しい雨風に打たれて、すっかり冷え切った体で戻ってきた時だって、何ともなかった。ごくたまに不調を訴えても、さほどひどくはならずに済んでいた。だからこそ、今日は相当に辛いだろうな、と思う。
     それに、ロドリーは、どんなに自分が限界であっても、そんな素振りを見せない。クライアントの前ではもちろんの事、恋人である僕の前ですら、隠してしまいがちだ。僕を含めて、周囲を心配させないように、という彼なりの気遣いなんだろう。けれど、一緒にいて、それに気づけなかった自分が悔しくてならなかった。
     もっと早い段階で、ロドリーの不調に、気づいてあげられていたらよかったのに。そうすれば、こんなに辛い思いをさせずに済んだのかもしれない。過ぎた事を悔やんでも仕方ないとはわかっていても、そう思わずにはいられなかった。
     キッチンへと戻り、シンクの水道を捻った。勢いよく吐き出される水の音に、僕の喉から落ちた重たいため息がかき消される。

    「……大丈夫だよね」

     いつもより緩慢なペースで食器を洗いながら、僕は独り言をこぼした。


      *   *   *


     リビングのソファーの上で、僕ははっと目を覚ました。
     怒濤の朝が過ぎ、一息つこうとして、ソファーに座り込んだまでは覚えている。けれど、いつの間にか眠ってしまっていたらしかった。
     握りしめていたはずのスマホが、脚の間に落ちている。真っ暗になった画面を点けると、時刻は太陽が真上に差しかかる頃になっていた。メッセージアプリからの通知はない。着信もない。その事に少しだけ不安を覚えて、僕はそわそわとした足取りで寝室に向かった。
     ベッドの上のロドリーを覗き込む。薬が効いているおかげか、呼吸はだいぶ落ち着いたものになっていた。魘されている様子もなく、朝に比べたら顔色も良さそうに見える。じっとりと汗ばんだ額に触れると、冷却シートはすっかり温くなっていた。それを剥がしてタオルで汗を拭いてから、新しいシートに貼り替える。その冷たさが気持ちよかったのか、彼の表情がほんの僅かに和らいだように見えた。
     朝よりも良くなっているようだ。よかった、と僕は安堵の息を吐いた。このまま快方に向かってくれるといい。そう祈りを込めて、ロドリーの頭を静かに撫でた。

    「……ん」

     けほ、と咳をこぼした喉が、掠れた音を紡ぐ。ゆったりとしたペースで撫でる感触に導かれるように、ロドリーの瞼がおもむろに開いていった。僅かにブラウンの混じる彼の黒い瞳は、相変わらず熱に潤んで虚ろげだ。けれど、何度か視線を動かして僕の姿を捉えると、安心したように仄かな光が灯る。かさかさに乾いた彼の唇に、薄く緩い弧が描かれた。

    「モーリー……」
    「ああ、ごめん、起こしちゃったね。具合はどう?」
    「朝よりは、いいかも」
    「そっか、ならよかった。一回熱測ろうか」

     まだ熱でふわふわとしたトーンだけど、しっかりとした受け答えだった。それだけでも、ロドリーの体調が良くなってきている事を示すには、十分だった。
     電源を入れた体温計を、今度は僕の手で挟ませる。待つこと数分、規則的な電子音を響かせたそれを、ロドリーの寝間着の襟ぐりからそっと取り出した。
     どうかちょっとでも下がっていますように。僕はどきどきしながら液晶画面を見やる。
     そこにデジタル表示された数値は、三十七度七分だった。

    「少し下がってる……よかった」

     まるで独り言のような声音で呟いて、僕はほっと胸を撫で下ろした。今朝の様子を思うと、それだけでなんだか泣きそうになる。けれど、まだ泣くには早い。それはロドリーが完全に治ってからだ。じわりと滲みそうになる涙を押し込めて、僕は体温計の電源を切った。

    「ロドリー、喉渇いたでしょ。水飲む?」

     ん、と微かに頷いて、ロドリーが上体を起こす。ややふらつきがちな体を支えてあげながら、蓋を開けたペットボトルを手渡した。常温のミネラルウォーターを飲み干す度に、形の良い喉仏がゆっくりと動く。眠っている間にだいぶ汗をかいていたらしく、寝間着にはいくつもの染みが出来ていた。

    「薬……の前に、何か食べないとね。朝のお粥が残ってるんだけど、食べられそう?」
    「んー……ちょっとだけなら、たぶん」
    「わかった。すぐ持ってくるね。あと、結構汗かいてるから、着替えた方がいいよ」

     ロドリーから受け取ったペットボトルをサイドテーブルに置き、チェストの中から少し厚手の長袖のシャツとルームパンツを出す。下着はどうしようか一瞬迷ったけれど、汗で湿っていて気持ち悪いだろうと思い、いちおう着替えセットの中に組み込んだ。
     それをロドリーに渡してすぐに、僕はぱたぱたと忙しない足音をさせながら、洗濯カゴを取りに行った。ベッド脇に置いた白いラタンのカゴを指さしながら、「脱いだやつはここに入れておいてね」とだけ言い残し、再び忙しない足音のままキッチンへと向かった。
     冷蔵庫の中から、朝の残りのお粥を取り出す。電子レンジの扉を開けながら、どのくらい温めればいいんだろう、と首を捻る。その場でしばし考えた後、まあ適当に一分くらいでいいか、という結論に至った。扉を閉めて、タイマーを一分にセットしてからスタートボタンを押す。淡いオレンジの庫内灯に照らされたターンテーブルが、くるくると回り始める。電子レンジの機械的な音は、静けさに包まれていたキッチンによく響いた。
     しばらくして、温めが終わった合図を鳴らした電子レンジから、お粥を取り出した。とろみのある白粥が、おいしそうにほこほこと湯気を立ち昇らせる。木製スプーンと薬と一緒にトレーに載せて、今度は僅かに慎重な足取りで寝室へと戻った。
     ラタンの白い洗濯カゴには、脱ぎ捨てられた寝間着と下着が入っていた。その上にタオルも重なっていたから、出来る範囲で汗も拭いたのだろう。着替えを済ませたロドリーは、僅かにさっぱりしたように見えた。

    「ロドリー、お待たせ」

     ぼうっとどこかを見つめていたロドリーに、そっと声をかける。少し遅れて、彼がゆっくりと僕の方に顔を向けた。
     ベッドサイドの椅子に座り、程よく温まっている白粥を軽くかき混ぜる。木製スプーンで少なめに掬ってから、短く何度か息を吹きかけて冷ます。やっぱり少し緊張してしまいながらも、それをおもむろにロドリーの口元へと差し出せば、彼は小さく口を開けて一口目を迎え入れた。
     こくり、とお粥を飲み込んだタイミングで二口目を掬い、冷ましてからロドリーの口元へ。今朝と同じくゆっくりなペースではあるけれど、しっかり食べられている事が嬉しかった。そして、心なしか、彼の表情がおいしそうにほころんでいるような気がした。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺☺☺💖🙏😭😍❤❤❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works