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    クルミ

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    クルミ

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    深い眠りに恐怖を知る

    深い眠りに恐怖を知る吸血鬼として長い時を生きてきた私に恐怖するものなどないと思っていた。

    昼の子である人間達が寝静まり闇の住人である吸血鬼達が目覚める夜、ノースディンはひとり屋敷にて読書をしていた。前のテーブルにはいくつかの血液ボトルに加え、数品の人間が食べる料理(すべてノースディンの手作り)が並べられているがどれもひとつとして口にはされていない。それもそのはず、このテーブル上のものすべてはノースディンのためのものではなく、つい最近目覚めた彼の愛子のために用意されたものなのだから。
    二百年前、人間と吸血鬼がまだ対立しあっていた時代にノースディンが出逢った悪魔祓い。吸血鬼を狩る存在でありながら、幼くすぐに死ぬ幼い弟子とそれを自ら胸へ杭を刺すことで庇ったノースディンの姿に迷いが生じ、神へ問うために狩るべき相手を見逃したその悪魔祓いは教会へ戻るなり馬鹿正直にすべてを告発した後、教会を追わる身となった。教会を出た彼に待っていたのは様々な苦難。満足な食事にはありつけず、雨風の中で眠るうちに体は痩せ、死に近付いていく。しかし、道中の彼は一度も嘘を吐かずどこまでも馬鹿正直で、そして高潔であった。その姿と心に強く惹かれ、神に渡したくないという自分勝手なままその頸へノースディンは牙を立てた。
    吸血鬼による人間の転化。自分も元人間であり、転化した身なのでそれが可能で如何に難しいものかを理解していた。それでも死なせたくない一心で、彼のその時を待った。だが、牙を立てた彼の体は冷たくなるばかりでついに目覚めることはなかったのだが、それから二百年後。何が切っ掛けか眠っていたはずの彼は目覚め、愛弟子が居候する退治人の事務所にて再会を果たした。お互いに再会を喜び、転化した我が子を引き取ると屋敷へ連れ帰ったのが昨日のこと。魔都からの移動に疲れたからか、屋敷へ着くなり眠りについてしまったため、再会の祝を翌日である今日にした。いつもより早く目覚め、屋敷にある最高級の血液ボトルを数本用意すると同時に料理サイトを見ながら食事の準備もした。吸血鬼になったとはいえ転化直後はまだ血に慣れず、受け入れられない者もいる。彼がどちらでも共に祝えるようにとノースディンなりの気遣いである。
    ところが、肝心の子がいつまで待っても起きてこない。さすがに寝過ぎではないかと読んでいた本に栞を挟んで席を立つ。数ある屋敷の部屋のひとつ、彼を寝かせた部屋の扉を叩くも返事はないので仕方なく扉を開けて中へ入る。予備の棺桶の用意がないため、寝かせたベッドへ歩み寄る。思ったとおり、ベッドの中では今だ目を覚まさず夢の中の男の寝顔がある。良い夢でも見ているのか、穏やかな寝顔である。
    「クラージィ。いったい何時まで寝ているつもりだ。そろそろ起きなさい」
    ベッドの端に腰掛け、体を優しく揺するも反応がない。熟睡でもしているのだろうか。
    「クラージィ。起きなさい」
    少し強めに揺すってみるもやはり起きる気配はない。やれやれと思いながら頬でも抓れば起きるだろうと寝顔へ手を置く。瞬間、心臓が凍り付くような感覚にノースディンは思わず手を離す。
    男は、クラージィは冷たかった。
    「ク、クラージィ……?」
    恐る恐る同じ場所へ手を置くもやはり冷たい。慌てて服の下へ手を滑り込ませるもこちらも同じくらい冷たかった。しかし、寝息は聞こえる。さらに言えば心臓もしっかり動いているので死んでいるわけではないようだ。だが、それでもノースディンの心臓はバクバクと悲鳴を上げている。
    思い出すのはあの時、冷たく凍り付く体と目を覚ますことがなかった悪魔祓いの姿。
    「クラージィ……。クラージィ!」
    肩を掴み、必死に揺さぶって名前を呼ぶもクラージィは目を覚まさない。
    「そ…んな……」
    手を離せばクラージィの体がベッドへ沈む。
    目が覚めたのは一時的なものだったのか、それとも己が都合よく見た夢だったのだろうか。心臓が張り裂けそうになり、血の気が引き、氷笑卿と呼ばれた身ですら凍り付く。
    ノースディンは初めて恐怖を感じた。再び彼を失い、二度と目覚めない未来に絶望するほどの恐怖を。
    「クラージィ……クラージィ……!」
    ベッドの脇へ膝を付き、冷たい手を握り締める。人間が神へ祈りを捧げるように。吸血鬼が神へ祈るなどおかしな話だが、そうせざるを得なかった。
    (頼む……起きてくれ)
    握り締める手に力が入る。嫌だ。やめてくれ。もう二度とお前を失いたくないんだ。
    「クラージィ……頼む。私をひとりにしないでくれ」
    ノースディンの目から涙が零れ落ち、クラージィの手を濡らす。すると先程まで硬く閉じていた目がゆっくりと開き、光を宿す。
    「ノースディン?」
    「クラージィ!」
    ようやく目覚め体を起こし、ベッド脇のノースディンを視界へ入れるとクラージィは彼の様子に首を傾げる。
    「ノースディン、何故泣いているんだ?」
    人の気も知らないでとノースディンは思う。いったいどれだけ心配したと思っているんだ。しかしノースディンは何も言わず、代わりにクラージィの体を抱き締めるとまだ少し寝ぼけた目で時計を見たクラージィはハッとして言った。
    「す、すまないノースディン!目覚めた時から酷い冷え症でつい深い眠りに……。起こしに来てくれたのだろ?本当にすまない」
    屋敷に置いてもらう身でありながら家主をわざわざ起こしに来させるなんて。怒られることを覚悟するクラージィだが、ノースディンは口から出たのは小さく、震えるような声だった。
    「……良かった」
    「え?」
    「お前の目が覚めてくれて、本当に良かった」
    「ノースディン」
    安堵するような、しかし不安と恐怖が残るようなか細い声と震える腕にノースディンが何を思っているのか何となく察する。初めて出逢った夜に対峙した者とは思えない声、姿、顔にクラージィは小さく笑みを浮かべ、ノースディンの体を抱き締めた。
    「心配させてすまない。ノースディン」
    「クラージィ。起きているな?目覚めているな?お前は」
    「あぁ。君の腕の中にいるよ。ノースディン」
    「クラージィ」
    「んっ……」
    体が離れ、次に口が重なるとクラージィはそれを受け入れる。ベッドへ押し倒されるなり口を割られ、中へ舌が入り込む。絡み合う舌と舌に熱くなる体温が心地良かった。
    「ノースディン、ひとつお願いがあるんだ」
    「何でも言ってくれ」
    「その……私の冷え症は当分治りそうもないから……君が嫌でなければ、私の隣で寝てくれないだろうか?君の熱で……私を温めて欲しい」
    元人間が図々しと思うだろうか。不安な表情で言うクラージィに一瞬驚くノースディンだが、すぐさまその体を抱き締めた。
    「もちろんだクラージィ。代わりに、ひとつ約束してくれ」
    「約束?」
    「この先、長い時を生きる中、様々な出逢いがあるだろう。だけどどうか、私のそばにいると、私から離れないと約束してくれ。もう二度とお前を失いたくないんだ。私の愛しい子」
    この約束がクラージィの自由を奪うことになるのは承知している。それでも失う恐怖を知り、どうしても手放すことができないことを知ったのだ。クラージィも理解している。その上でノースディンを抱き締めた。
    「約束する。永遠に君のそばにあると。私の親愛なる父よ」

    ノースディンの使い魔がテーブルへ飛び乗る。主の姿も、彼の愛する子もまだ戻らない。
    料理はすでに冷めてしまっていた。
    (仲良く起床後、温め直した料理をクラージィは美味しいと嬉しそうに食べていた)






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