口から出た言葉は戻らない美人は怒ると怖い。
何て誰が言ったのかはしらないが、あながち嘘ではないと思う。目の前で仁王立ちしている男を盗み見ては目をそらした。
「あの~イヌピーくん……」
反応はなく。ここまで怒っているのは、久々に見た。自分に向けては、一切、無かったのだが。
事の発端は数分前に遡る。
いつものたまり場に来た武道を見て、乾は驚いた。それもその筈。身なりがボロボロで、あちらこちらに痣や傷があったのだ。
素直にすべて、話した。以前、うちと些細な事でいがみ合っていたグループの連中と遭遇してしまったのだという。向こうからケンカを吹っ掛けてきた闘争で、圧倒的な力の差で黒龍が勝ったのだ。返り討ちにあったことを根にもっていたらしく。勝てないから個人を狙っていたのだ。よりにもよって武道を標的にして。数名に取り囲まれたのだが、仮にも黒龍を率いる総長。本人はいささか疑問に思っているの別の話しである。そんな人が早々に倒れるわけがなく。喧嘩は弱いが、打たれ強く、決して折れない精神に向こうが退いたらしい。5対1だったのに結局のところ、退散したのだから。はなから黒龍の相手ではないのだ。まぁ、武道を傷つけたのだから、今頃、全体に話が行き渡り、炙り出され、制裁を受けてることだろう。下手したら何かと武道を気に入っている東卍、天竺、ブラマン。初代黒龍までもが相手になる。そんな彼らを敵に回す事になるのだから武道を狙ったこと事態が運のつきというものだ。
乾が怒っていたのは、傷つけられた事を含めてである。
「……花垣」
「は、はい……!」
「約束を忘れたか?」
「いえっこれは~その……」
目を泳がして誤魔化そうとするもどうやら見逃してはくれないらしい。
約束というのは、何かとトラブルに巻き込まれやすい事。乾たち幹部か隊員を必ず誰か1人は側に付けろというものだ。
たが、見張り護衛に付いていた隊員から隙をついて、逃げ出した。ちょっと買い物に行っていただけなんだけど。
それであんな姿を見て、その隊員が顔面蒼白になったのは言うまでもない。ただ、今回の件は、武道が悪いという事で決着がついた。
「すみません!二度としません!!」
「前も聞いたぞ。それ」
「うっ……」
ちなみに今回だけではないのだ。逃走したのは。過去に何度かあったのだが、その都度、乾たち幹部が折れてくれた。何だかんだで甘いのだ。ただ、仏の顔も三度までという。今回ばかりは許してくれないようだ。
「やはり、俺かココが付いた方が良いな」
「か、勘弁シテクダサイ」
ココこと九井と乾。2人とも武道に忠誠を誓い、優秀な部下だ。ただ、過保護な面があり、何をするにも2人が側にいるとだ。世話をしたがるし、何でも買おうとするし。しまいには、メンチ切られればケンカが勃発する。東卍や天竺に顔を会わせようなら噛みつかん勢いで威嚇するもんだから。普段が優秀な分、武道が絡むとどうも変な方向へ突っ走るのだ。更にはこの2人だと中々、逃げ出せない。いや、逃げ出さなければ良い話だと言われればそれまでだが。俺だって1人になりたい時だってある。
よし。こんな時は話をそらそう。目の前の男に提案したのだ。
「イヌピーくん。そろそろ、誕生日ですよね…!」
何でもするから許して?
なーんて、言ったことは口には戻ってこないものだ。何でそんな事を言ったのか後悔することになる。
「……何でも?」
「ん?」
勢いよく肩を捕まれて、問われた。
確かに「何でも」と言った。
言ったよ。言ったけど。
*
誕生日前日の夜。武道が居たのは、都内の某所。黒龍が所有するセーフハウスの1つ。所謂、隠れ家的な所だ。
そんな一室のベッドの上に座る武道と乾。ベッド上と来れば、いかがわしい事を思い浮かべる人が多いだろう。俺だってそうだ。だが、部下とそういう関係を持ったことなどないし、持つ気は……無いと声に出して言いたいのだ。
なら何でこうなってるからって。
そりゃ、「何でもする」と言った事だ。乾のお願いは、至ってシンプルだった。今日、この時間にここまで来てほしいと。そして、来たらこれだったのだ。
「…花垣」
伸ばされてきた手に体が揺れる。やっぱ、するのだろうか。断じて、流されるわけではないのだが、やはり、綺麗な顔立ちの人に見つめられてはドキドキしちゃう。
彼の手が頬に触れる。まだ、完治していない切れていた唇の端がピリッと痛む。
撫でる手つきは優しくて、どこか照れ臭い。
そして、押された体は、布団に軽く倒された。
「い、イヌ…ピーく…ん?」
名前を呼んだ事にすべての意図を含めただが。
彼は軽く微笑んで…そして。
「花垣。覚えてるか?」
ここは先週つけた傷だよな。
と口元に唇をよせたのだ。ひと舐めされた事に身震いし、咄嗟に出た手は掴まれてしまった。こちらにも口付けされてしまう。
「確か…こっちは先月の闘争だったな」
確かに。右手首には打撲痕がある。
「それと。ここは、部下を庇おうとして出来た傷」
確かめるかのようにわき腹を擦る。
数ヵ月前、どこだったか忘れたグループとのケンカの際、ナイフを持ち出した奴から仲間を庇おうとして。咄嗟に前に飛び出して、出来た傷痕がある。
まだあるのだ。1人でいた時に絡まれた傷。仲間を人質に取られ1人で出向いたさいに出来た傷。それを一つ一つ、乾は覚えていた。そして、その痕を一つ一つ、舐めては口付けをする。その行為はやがて、全体に及んだ。
「ちょっ……イヌピーくん、く、くすぐったい」
「花垣がいつまで経っても、理解してくれないからな」
こうするしかないだろう?
この前の事をまだ、怒っていたのだ。
乾にとって、大事なボスで大切な人で。傷ついて欲しくないし、何よりも守りたい。それなのに自分を大事にしない事を怒っているのだ。
まったく届いていないのなら実力行使するしかあるまい。そんな事とは露知らず。
「逃げるな花垣。まだ、終わってない」
身体中にキスの嵐を浴びられて、しまいには至るところを舐められたのだ。逃げたしたくもなるだろう。
嫌なら殴ってでも逃げ出すのだが。これが別の奴ならそうしてた。だが、乾相手にはそれが出来ないあたり、自分も大概、甘いのだろう。それは、今はいない九井相手でも同じだ。むしろ、段々と気持ちよくなっていっている気がするから。思考までおかしくなってる。
「わかったから!もう…ムリ…だから」
自然と溢れてくる涙は、彼に舐め取られてしまった。もう、勘弁してほしい。じゃないと変なことを口走ってしまいそうで。身体中が熱いからもう手遅れかもしれない。
「わかった。次はこんなもんじゃ済まないからな」
激しく首を縦に降れば、頭を優しく撫でられた。乾の服を控えめに掴み、顔を埋める。
「花垣…?」
言葉が上手く出てこない。
本当は乾に渡したいプレゼントがあった。彼にそっくりな犬がデザインされているキーケースを渡して、おめでとうって言いたいのに。
どうしてこんな。
顔を上げて、何を言ったかは覚えていない。
ただ、分かるのは、この熱の冷ましかたを教えてほしい事だけだ。
「…わかった」
この日。乾にとっては最高に良い誕生日になったのは、言うまでもない。
何せ、欲しいものはただ一つだけだったのだから。