塔の上の盗賊と少年(全年齢版)周りの村の住民たちも立ち寄らない深い森の中、雲に届きそうなくらいの高さの塔が立っていました。
塔には入り口も階段もなく、例え誰かが来たとしても登ることは出来ません。それこそ空でも飛ばない限り、塔の天辺に辿り着くことは不可能なのです。
その塔の天辺には一つの部屋があって、一人の少年が暮らしていました。
少年の名は、獏良了。
小さな頃、塔に連れて来られてから、ずっと一人で暮らしているのです。
そろそろ婚姻が許される年齢にもなります。既に親の顔も外の世界のこともすっかり忘れてしまっていました。今の彼が知る全ては、この塔の部屋の中のことだけなのです。
自分ではこの高い塔を下りれませんし、下りてはいけないとキツく言われています。
なぜ、こんなところに彼は閉じ込められているのでしょうか。
それは彼にも分かりませんでした。
彼をここに閉じ込めた盗賊だけにしか分からないのです。
その盗賊は幼い獏良の胸に、きらきらと光るリングの飾りをかけ、選ばれた者だと言いました。
それから、訳も分からずにずっとリングを身につけています。
盗賊は「せんねんあいてむ」を探していて、リングもその一つであるらしいことしか獏良は知りません。
ただ、リングに選ばれた自分を手元に置いておきたいのだな、ということだけは察することが出来ました。
普段、盗賊はせんねんあいてむを探しに旅へ出ています。一、二ヶ月に一度だけ塔に戻ってくるくらいです。獏良がきちんと塔にいることを確認し、また長旅に出てしまうのです。
その日以外、獏良は自由に過ごしてもよいのですが、結局は塔の中だけのことです。いつも獏良は退屈をしていました。
日を数え、限られた数しかない本を読み、絵を描き、模型を作り、料理をする――変わらない毎日が過ぎていきます。
一つだけある窓の外に見える青い空や緑の木々がとても美しく見えるのでした。
時折、窓に肘をついて下界を眺めます。いくら憧れても、地上は獏良にとって、とても遠い世界のことでした。
*
ある日、森にいつもとは違うことが起こりました。
迷い人が入り込んできたのです。
見知らぬ人間に動物たちは身を潜めます。
人間は森の中をさ迷い歩き、とうとう塔を見つけてしまいました。
何日もろくに食べていないので、人間は腹ペコでした。きっと、あの塔には誰かがいるに違いない。人間はそう思い、塔の上へ呼びかけました。
ベッドの上でごろごろとしていた獏良は、その微かな声を聞き取り、窓に駆け寄りました。
盗賊はそんなことはしませんし、聞いたことのない声です。
窓から下を見ると、豆粒のような人間の姿が目に入りました。
獏良の記憶の中では盗賊しか見たことがなかったので、飛び上がるほど喜びました。
「おーい!」
思いきり手を振ると、向こうも分かったようです。
豆粒の大きさの人間が跳ねていました。どうやら、塔の中に入れてくれと言っているようです。
ふむと、獏良は考え込みました。
盗賊は「出てはいけない」とは言いましたが、「誰も入れてはいけない」とは言ってません。
しかし、それは塔に誰も登れないこと前提の話なのです。きっと、他人を塔の中に入れたことを知れば、あの盗賊は腹を立てるでしょう。しばらく、獏良は悩みました。
しかし、結局は人間を塔の中へ引き入れることにしました。困っているようでしたし、何より好奇心には勝てなかったのです。
幸い、塔の中には役に立つガラクタは沢山あります。布を結び繋げてロープ状にし、地上へ投げ落としました。こちらの先端はベッドにしっかりと結んであります。
ゆっくりと時間をかけて人間は登ってきました。体力ぎりぎりのところで窓に辿り着き、転がるようにして部屋に入りました。
人間が登っている間に獏良は茶を淹れ、料理を作っていました。盗賊相手以外では、初めてのおもてなしです。丹精を込めて準備をしました。
塔の中ではすることが少ないので、料理の腕前はなかなかのものなのです。腹ペコの人間は勢いよく料理に飛びつきました。
腹が膨れてから改めて獏良の姿を見ると、人間はその飛び抜けた容姿に驚きました。
長い塔生活で肌は透けるように白く、伸びた髪はよく手入れがされています。少女かと思うくらいに大きな瞳がきらきらと光っていました。
なぜこんな塔に住んでいるのか疑問に思いつつも、外の世界に興味津々な獏良に様々なことを話してやりました。命を助けてもらった礼です。
夕暮れ時になり、人間が別れを告げると、獏良は名残惜しそうにしていました。
また来ることを約束し、人間は来たときと同じく布のロープを伝って塔を降りました。
それからというもの、人間はちょくちょく塔を訪れるようになりました。塔から出られない獏良を不憫に思ってのことでした。下心がないと言えば嘘になりますが、命の恩人に報いたかったのです。人間は誠実でした。
獏良も喜んで茶や菓子を作って振る舞いました。外の世界の色々なことを聞き、ますます憧れを強くしました。
人間は塔を出るように勧めましたが、獏良は首を横に振ります。盗賊に言われていたからです。
それに、彼を一人残すことは出来ないと思いました。ここに閉じ込めたのは彼ですが、獏良を育てたのもまた彼なのです。情がないわけではありませんでした。
人間は残念そうでしたが、それ以上は何も言いませんでした。
*
その夜も獏良は一人でベッドに入り眠っていました。
ひゅうと風が部屋の中に吹き込みました。
その気配に夢から目覚め、獏良は眠い目を擦りつつ上半身を起こします。
窓に足をかけて、ぬっと現れたのは盗賊でした。
盗賊は部屋に降り立ち、身体を包んでいたマントを脱ぎました。
「バクラ……」
獏良は盗賊の名を呼びました。
親の顔も忘れてしまった獏良は、自分の名前さえ曖昧でした。獏良とバクラ、奇妙な響きです。それでも、本当の名前なのかどうか判断がつきません。ただ盗賊にそう呼ぶように教わったのです。
盗賊と顔を合わせたのは、二ヶ月ぶりでした。
いつもいつ帰ってくるか分かりませんが、帰って来たときには必ずもてなさなければなりません。
獏良は寝巻き姿のままベッドから降り、茶を淹れるべくキッチンに向かいました。コンロに火をつけ、お湯を沸かし始めます。
バクラはどっかりと部屋の中央にあるテーブルにつきました。必然的に二人は背を向ける形になります。
「久しぶりに帰ってみれば、人間の臭いがするなァ」
びくんと獏良の肩が跳ねました。ポットを持つ手が震え始めます。もう片方の手でそれを懸命に押さえました。
「僕の臭いじゃないの……?」
「違うなァ」
笑うような口調ですが、声がいつもより低いことに獏良は気づきました。
トレーに茶を淹れたポットとカップを乗せ、心を落ち着かせながらバクラの元に持っていきます。テーブルの上にトレーを置き、カップを差し出しました。
その瞬間、勢いよくバクラの右手がカップを払い除け、床にガチャンという大きな音が響きました。
獏良はその音に身を縮めました。カップは床で粉々に割れています。こんなことは初めてでした。
彼はとても怒っている。そう思った獏良は、素直に人間とのことを喋り始めました。
行き倒れそうなっている人間を見過ごせなかったこと。
塔の中で食事を振る舞ったこと。
人間とは話すだけで特別何もなかったこと。
「君のことは何も話してないし、僕は彼の話を聞いていただけだよ」
唇を震わせながら獏良は弁解します。嘘は言っていません。しかし、バクラの瞳をとても冷たく感じ、震えが止まりませんでした。
バクラは決して優しくはないですが、獏良に乱暴なことはしません。
それは、せんねんあいてむの為だと獏良は分かっていましたが、今目の前にいるバクラは何をするか分からないような目をしていました。
「なるほどねえ……。確かに、誰も入れちゃいけないとは言ってねえなァ」
バクラは優雅に長い白髪をかき上げてから、勢いよく椅子から立ち上がりました。
「だが、人間の男をほいほい部屋に招き入れるように言った覚えもねえぜ、この淫乱がッ」
怒鳴りつけられて全身が硬直しましたが、獏良の中には怒りと悲しみが沸々と湧いてきました。
何も嘘は言っていないのに、なぜあらぬ疑いをかけられなければならないのでしょうか。
一人ぼっちの生活に耐え、憧れの外の世界を断り、塔の中の生活を取ったのです。それを責められる謂れはありませんでした。
「僕は君が疑っているようなことは何もしてないよ!」
「人のいない間にコソコソしているようなやつを信じられるか!」
ぐっと獏良はこぶしを握ります。終わってしまったことを証明する方法はありません。怒り狂ったバクラに言い聞かせる方法などあるのでしょうか。
いや、一つだけありました。何もなかったことを証明する方法が。
「……分かった」
寝巻きの前ボタンを外し、するりと着ているものを全て足元に落としました。
「じゃあ、何もなかったことを気の済むまで確かめなよ」
両手を広げ、惜しげもなく全身を晒して言いました。
月明かりに照らされた獏良の白い肌は、バクラの目には何よりも眩しく見えました。
無言で獏良はベッドの上に押し倒されました。
今まで、バクラにこうして肌を晒したことはありません。バクラは塔にいるとき、リングを付けた獏良を眺めているだけなのです。そういうときはどこか嬉しそうで、バクラにはそれが特別な意味を持っているようでした。
だから、獏良はここを出ていけないと思ってしまったのです。
ぺたりと、バクラは獏良の胸に手を置きました。真っ白で傷に一つない肌です。誰にも触れられたことがないに違いありません。
その白い肌に黄金のリングが映え、とても美しいもののように見えました。
「気の済むまで確かめてみれば」と獏良は言いました。なら、全身の隅々まで見てみなければ、本当に何もなかったのか分かりません。
バクラは喉を鳴らして、胸に置いた手を滑らせました。
*****
全てが終わり、獏良はベッドで荒く呼吸だけをしていました。手も足も動かしたくありません。
ぎしりとベッドが鳴り、バクラの気配が遠ざかっていきました。「確認」が済んだから、もういいのでしょうか。
――これで、証明できたよね……?
獏良は虚ろな目でぐしゃぐしゃになったシーツを見つめていました。
なんだか、空しい気分です。無理矢理とはいえ、身体を開かされて放置されるのは辛いものがありました。身体が汚れていても拭く気力すらありません。
すると、上半身がふわりと抱き起こされました。
視線だけを動かすと、バクラの顔が間近にあるのが分かりました。
――もどってきた……?
疑問を声にも出せずにいると、濡れタオルで顔をそっと拭かれました。ひんやりとした感触が気持ちいいです。
「あーあー、こんなに汚れちまって」
言っていることは皮肉染みていますが、その手つきはとても丁寧です。
顔を拭き終わったら、次は身体でした。先ほど「確認」した時と同じように、身体の隅々まで拭かれます。
「……わかっ……た?」
獏良のすっかり声は掠れてしまい、それはほとんど音になっていませんでした。
しかし、バクラの耳には届いていたようです。ベッドの脇にあるサイドテーブルから水の入ったボトルを引っ掴むと口に含み、そのまま獏良の唇に重ね合わせました。乾いた喉に水が流れ込みます。
最後に確認したのは唇でした。
*
窓から朝日が差し込み、獏良は目覚めました。
あの後、力尽きてしまい、そのままベッドで眠ってしまったようです。綺麗にされた身体の上にはブランケットがかけられています。
バクラは既にいませんでしたが、隣には温もりが残っていました。
気だるさが身体に残っていて服を着る気にもなれず、寝巻きの上着だけを羽織りました。
キッチンで水を飲み、喉の渇きを潤します。
ふと、濡れた自分の唇を指でなぞりました。昨晩はここにも温もりがあったのです。
――また、置いていかれたんだ……。
じわりと涙が滲みます。
この生活はとても退屈なものですが、一人にされるのはもっと嫌でした。
次にバクラが現れるのはいつになるのだろうかとぼんやり考えていると、室内に空気が流れ込みました。
「おっ、もう起きてたのか」
振り向くと、バクラが窓に足をかけて部屋に入るところでした。
「えっ……!」
バクラは驚く獏良には構わずに、抱えていた包みをテーブルにどさりと置きました。
「なんで?出掛けたんじゃなかったの?」
獏良が目をぱちぱちとさせて問いかけると、
「そりゃあ、お前……」
バクラは口を尖らせ、がしがしと後ろ頭を掻きました。
「昨日の今日で顔も見たくねーってのは分かるけどよ。腹空かせてると思って、朝飯買ってきてやったんだぞ」
微妙に話が噛み合いません。しかし、テーブルに置かれた包みの中身は朝食だということは分かりました。
「起きたらいなかったから、もう出掛けたのかと思ったんだよ……」
もう一度、獏良は言い直しました。
口の中でバクラは「ああ、そうか」と呟き、
「あのままにしといたら、お前干からびたかもしんねぇだろ」
獏良から視線を外しました。
バクラはもう怒ってはいないようです。
「一応心配してくれたんだ……」
「当たり前だろ。お前はオレ様に必要なモンなんだからな」
二人の間に沈黙が流れます。
獏良は「せんねんあいてむ」のためにこの塔に連れてこられたのも、大切にされているのも知っています。しかし、あれほど怒らせるとは思っていませんでした。それから察するに、答えは一つしかありません。
「さっさと着替えてこいよ。飯が冷めるだろ」
先にバクラの方が口を開きました。片手を振って獏良を促します。
おずおずとクローゼットの方へ向かう獏良を見届けると、バクラはくしゃりと前髪をかき上げました。
本当に計算外でした。獏良を自分のものにするには、もっと時間をかけるつもりだったのです。
それが安っぽい嫉妬と挑発に乗ってしまったせいで台無しです。
獏良があんな大胆な行動に出るとは予想外でした。
物思いに耽っていると、獏良がクローゼットのある一角から顔をひょこっと出して尋ねました。
「ねえ、今度はいつ帰ってくるの?」
「いつって決めてねえが……」
質問の意図を推し量れないまま、バクラは答えました。
「なるべく、早く帰って来てよ」
それは意外な言葉でした。拒絶されることも想定してしたのです。
「お前はそれでいいのか?」
獏良は頭を引っ込めました。衣擦れの音がします。
「僕の言ってること、信じてくれたんでしょ。なら、それでいいよ」
ちゃりと音がして、着替え終わった獏良がクローゼットのある場所から姿を現しました。
「それでいいってお前……何されたか分かってるんだろ?」
信じられないようなものを見たという顔でバクラは立ち尽くしています。
獏良は顔を真っ赤にして俯きました。
「そこは良くない!良くないよっ!あんなことまでするなんて……。誤解が解けたなら良かったって言ってるの」
一通り言い終えると獏良はふうと息を吐き、顔をバクラに向けました。
「だから、次は早く帰ってきてよ。そうすれば、誤解なんて起きないでしょ」
そういう意味かと、バクラは納得しました。
「……僕も寂しいし」
聞き逃すかと思うくらいに小さな声で獏良は付け加えました。
あんなことは初めてでしたが、ただ一方的に乱暴をされたわけではなかったことくらいは分かります。
もちろん、それを聞き逃すはずはなく、バクラはにんまりと嬉しそうに笑いました。
「そーかそーか。なら、宿主様が泣き出す前に帰ってやるからな」
「……もう!お茶淹れるね!」
顔を見られる前にぱたぱたとキッチンに獏良は向かいました。照れた顔なんて見せたら、もっと喜ばせてしまいます。
「いつか、外の世界に連れていってね」
紅茶の優しい香りが部屋に漂う頃、太陽はすっかり高く昇っていました。
--------------
いわゆる間男さんの名前を出そうかなとも思ったんですが、シルエットでも好きな人でもご想像にお任せします。
ラプンツェルの元の話ってこんなだったよなーと思い出しながら書きました。心の部屋に閉じ込められるのとそう変わらないなという妄想からです。
この後、バクラは一週間くらいでホイホイ帰って来るようです。