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    夜底 エミリー関係

    エミリーのある一日

    今日もエミリーは部屋から出て3等席との間の通路にいた。
    此処にいればある人に逢えるからだ。

    起き抜けの身体を伸ばし、う~ん、と伸びをしながら欠伸をすると、背後から優しい声がかかった。

    「おはようエミリー、せっかく綺麗なのにきちんと髪をとかしなさいな、可愛いお嬢さんが台無しだよ」

    振り向くと黒薔薇がいた。

    「あ、黒薔薇さん、おはようございます♪えへへー、つい面倒くさくなっちゃって♪それにココに来たら黒薔薇さんがしてくれるでしょ?」

    面倒見の良い黒薔薇が自分のように何処か手を貸さないと行けない人を放っておけないとわかっているからこそ、このままでいたいな、とエミリーは思う。
    そして時折見せる黒薔薇の遠い瞳に映るものも、いつか知りたい、と。

    でも今は

    「ね♪今日も黒薔薇さんの手で綺麗にしてね♪」

    黒薔薇の優しい手が自分に触れる時間をゆっくり楽しもう。

    いそがなくても、逢いたい人はココにいるのだから


    「今日も会いに来て下さってありがとうございます♪」

    柔らかい微笑みと声が部屋に広がる。
    それを見る度に、また次もすぐに来ようと何度も思う。


    セスは少し大きい領土の領主の三男だ。
    長男、次男がしっかりしているから好きな事をさせてもらって暮らしている。
    見目にも恵まれ、財にも恵まれ、女性と友人に困る事はなかった。

    娼館という場所に通うようになったのは学生時代の悪友に教えて貰ってからだ。
    20歳を超えてから領主令息、という肩書きのせいもあり、あわよくば領主家夫人や妾に、とギラギラした姿で誘ってくる周りの女性達にうんざりしだしたせいもあるのかもしれない。

    だから、地位や自分の見栄えを気にせず、気楽な関係を持てるこの場所はセスにとってホッとできる場所であり癒しのある場所であった。

    そして更に何度も通ってしまう理由が目の前にいる。

    セスのために紅茶をいれている小さな背中に歩み寄り、壊れ物に触れるように優しく包む。

    「どうされました?お茶の前にベッドに行きますか?」

    茶器から手を離した琥珀の瞳がセスの蒼い瞳にうつる。
    しかし、セスが言葉に詰まっている間にまた背を向け、茶の準備に戻ろうとする。

    いつの間にか手放したくない、他の人に抱かれて欲しくないという気持ちを持ち、何度か彼女に借金なら自分が何とかするから自分のものに、と願ったが、いつも彼女の返答は否であった。

    「どうしたら君は手に入るんだ?」

    背中から抱きしめ、瞳と同じ琥珀色の髪に顔を埋めながら何度も聞いた問をまた問う。

    「この部屋、この時間がある限り“今の私“はあなたのものですよ?」

    あどけない声はいつもと同じ返答を繰り返す。

    彼女の唇以外の身体は確かに何度も自分のものになった。
    しかし、セスが欲しいのは彼女の全てだ。
    未だ誰にも渡さないという桜色の唇も、その琥珀が見つめる先も、彼女が願う思いも全てが欲しいのに、どう足掻いても身体だけしか手に入れられないのだ。
    それが歯がゆく、悔しい。

    抱きしめてい彼女を自分の方に振り向かせ、少し屈んで顔を寄せるが、すぐに細くしなやかな指がセスの唇にあたり、それ以上の距離を縮めさせない。

    「これだけはセスさまにも差し上げる事が出来ません。」

    少しだけ憂いを含んだ琥珀が歪んだ。

    「なら、誰になら与えるのだ!」

    「……わかりません。ただ、私のようなものにも矜持があり、守るべきものがあるのです……」

    少しだけ普段より切なさのある声が呟く。
    本当に、彼女は窓の外に浮かぶ琥珀の月のようだ。
    見えているのに手に入れる事が出来ない……。

    「それよりも今は……」

    彼女の手が自分の手を引き、ベッドサイドに進む。
    そしてシャツのボタンとカフスが外されていく。小さな手の動きをセスは視線で追った。

    はだけた胸元に望んでいる唇があたる。

    「明日までの私はセスさまのものです。だから……」

    その先は聞かなかった。
    また明日には彼女は他の人のものになる。
    それならば、今ある時間くらい独り占めをしても良いだろう。

    そして2人してベッドにもつれこんだ。
    今だけは自分を見つめる琥珀の月を手に入れるためにセスはゆっくり上着を脱いだ。
    (終)



    この仕事をしていると、何度も通ってくれる客もいる。
    今日今いる方も頻繁に通ってくださる方だ。

    「今日も会いに来て下さってありがとうございます♪」


    柔らかく微笑んで声をかけた。
    長身の美青年がにこり、と微笑む。
    この方は良い家柄の方だから、何をするにも物腰が洗練されていて、私が嫌だということを無理にすることもないから一緒に過ごす時間は気楽だ。

    ただ、この見た目、財力に目がくらむ女性が多いようで、1部の女性以外にはたまに冷たい視線になっているようだと、私に通う前に通われていたお姉様方から聞いていた。

    確かに、この方に望まれたら断りを入れる女性はほとんど皆無だろう。
    娼館に通っても、自分の馴染みは大切にするようで、私を初めて指名してくれてからは他のお姉様方の所には通っていないと聞くし。

    そういう情の深い方だから、なるべく私も丁寧に持て成しをしたい、一緒に過ごす間くらいはリラックスして欲しいと思いながら紅茶を淹れていたら後ろから抱かれた。
    今日は早めに、という事だろうか?

    「どうされました?お茶の前にベッドに行きますか?」

    茶器から手を離し、美しい金髪と蒼い瞳に問いかける。
    その瞳は色と欲で潤みながらも強い意志を秘めていた。
    しかし言葉に戸惑っているようなので、私は再度茶器に手を伸ばそうとした。

    「どうしたら君は手に入るんだ?」

    背中からまた抱きしめられ 、髪に顔を埋められながら何度も聞かれた問いをまた問われた。

    「この部屋、この時間がある限り“今の私“はあなたのものですよ?」

    だから私もいつもと同じ返答を繰り返す。

    この方の想いは熱病と同じ、場所と行為がその熱を高めている、そうであってほしいのだ。
    でないと私は……


    セスさまは素敵な方だと思う。
    望んでくれる事は有難いとも思っている。
    でも、他の方にもだけれど私がこの部屋の中で差し出せるものは限られている。

    ふと、身体をクルリと向き合わされ、目の前に形の良い唇が降りてくるが、人差し指がでそれを止めた。
    申し訳ないけれど、唇を差し出す事は私には心を差し出す事と同じもので、この方には差し上げる事が出来ないから。

    「これだけはセスさまにも差し上げる事が出来ません。」

    申し訳ない気持ちを込めて呟く。

    「なら、誰になら与えるのだ!」

    返された声は耳に痛い。
    誰に、という相手はいない。
    だけど与える事が出来ないから。

    「……わかりません。ただ、私のようなものにも矜持があり、守るべきものがあるのです……」

    小さな声で呟く。
    このような世界で働く自分にも、小さなプライドがあるのだ。
    きっとそれがあるから私の心は未だ闇に飲まれないでいるのだと思う。
    これが仕事で口付けも心も奪われたらきっと私は壊れるだろう。

    「それよりも今は……」

    彼の手を引き、ベッドサイドに連れていき、シャツのボタンとカフスを外してていく。
    綺麗な鎖骨を軽く撫で、その下に唇を寄せる。
    口付けは出来ないけれど、仕事として身体に自分から口付けることは出来る。
    これは男性を喜ばす仕事の行為だから。

    「明日までの私はセスさまのものです。だから……」

    だからこの先は行動で、と言おうとしたらベッドに押したおされた。

    この方が払った時間は明日の昼まで。
    だから私は出来るだけこの方が望まれるものを差し出そう。
    そう思いながらシャツをぬぐ綺麗な肌を微笑みながら眺めていた。

    (終)


    エミリーは食堂車でファーラと紅茶を楽しんでいた。
    話をしていて思うのは、聡明な彼女は教育に必要ないものが欠如している、という事だ。
    数式や名のある詩人の詩は軽く諳んじるのに、流行歌や下町で流行りの話、童話等はほとんど知らない。
    だから今日は自分が知っている童話の話をしていた。

    幾つかお話を教えていると、私達の目の前に黒い影が差した。
    それは私の大好きな人で……

    「黒薔薇さん、こんにちは♪」

    つい、パッと笑顔が零れた。
    目の前の小さな淑女も表情はあまり変わらないが、会釈した姿がそことなく嬉しそうだった。

    「可愛い2人の姿が見えてね。ご一緒しても良いかな?」

    その言葉に私もファーラちゃんも歓迎し、席に迎えた。
    何の話をしていたのか、と聞かれたので、ファーラちゃんに自分の知る童話を話していたと伝えると、黒薔薇さんも自分の国で見聞きした話を幾つか話してくれた。
    それは私が知る話もあったが、知らない話も数あり、聞いたり話をしていて大分長い時間を3人で過ごしていた。

    「2人はどの話が好きなんだい?」

    黒薔薇さんに聞かれた。
    先に答えたのはファーラちゃんだった。

    「私は“長靴をはいた猫“の話が好きです。とても知恵があり、愛らしく、素晴らしいと思います」

    と答えていた。
    姫と王子のお話ではなく、知識がある話を好きな彼女らしい選択が可愛い。
    エミリーは?と聞かれ、悩みながら答えた。

    「眠り姫でしょうか?のんびり待っていたら王子様に会えるから素敵ですよね♪」

    基本ものぐさなのがわかってしまうが、この2人には早いうちからバレているから隠さず答えた。

    ファーラちゃんが黒薔薇さんに、では黒薔薇さんの好きな話は?と聞いていたが、少しだけ答えに困っているように見えた。
    だからつい、言葉が漏れた。

    「黒薔薇さんなら王子様にもお姫様にもなれますね♪私が眠り姫で、お相手が黒薔薇さんなら、王子様の場合は素敵に起こして欲しいし、お姫様なら一緒にずっと茨の城で眠るのも良いですね♪」

    少しだけ意外そうだ、という目で2人に見られた。

    確かに、“こうして幸せに暮らしました“で終わるお話は好きだけれど、そうでないなら好きな人と永久の眠りにつくのも悪くない。
    だって、その間はずっと自分の傍にいてもらえる。

    ミルクティーと一緒にその言葉を飲み込み、そして私は話題を変えた。
    自分が知っている歌の話へと。
    2人の興味が私の思いに気づかぬように、と。
    (終)





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