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    【巽零】シャワールーム続き

    ##巽零

    猫足とモザイクタイルII 膝を付き、こうべを垂れて目蓋を閉ざし、降り注ぐ水流の洗礼をひたすらに甘受しながら、喘ぐように深呼吸を繰り返す。ゆっくりと温んでいく水温を惜しんで、手探りでレバーを捻り、冷水の位置に調整し直した。首筋を打つ水滴の勢いが仄かに強まり、冷えた鋭さを帯びる。全身に纏わりついていた熱気が鎮められていく快さに、自然と溜息が溢れた。
     午前三時のシャワールーム、寝汗でしとどに濡れた普段着を、無人の脱衣スペースに並ぶ簡易椅子の上に殆ど脱ぎ捨てて飛び込んだシャワーブースの床に頽れて、激しい虚脱感のために身動きが取れなくなってから、早くも五分が経過していた。
     俗に言う酷暑、そのものの一日だった。冷房に因って人工の冷気を隅々まで満たした屋内から、一歩外に足を踏み出せばたちまちに照り付ける熱射に肌という肌を焼かれ、いっそ吹かない方が好都合だと思うくらいにはべたついた、生々しい微風が寧ろ咽喉の渇きを増長させて、一歩進むごとに毛穴から滲み出す汗は逃げ場のない不快感を齎した。
     新曲をテーマにそれぞれに用意された衣装の袖を不恰好に捲れるはずもなく、丈夫な生地の下に懸命に蒸れた皮膚を隠して撮影を終えたのが十六時頃のことだった。施されたメイクが落ちてしまわないよう生え際にひっそりと滲む水分をハンカチで拭いつつ、水分補給を多めに行って騙し騙し、苦し紛れの状態で三時間ほどかけて、海辺に作り付けられた大道具の間を右往左往した。勿論休憩時間は小まめに設けられ、日差しを避けるために大型のテントも幾つか設置されたが、衣装を脱いで寛ぐほどの余裕はなかった。おまけに、途中急に強まった海風で一部のセットが崩れて撮影が中断され、当初は一時間後に予定されていた終了時刻が大幅に後ろ倒しになったのだった。
     日中の仕事を這々の体で終え、ぐっしょりと濡れた衣装を脱ぎ、清潔な衣服に着替えて、ようやくバスで拠点であるビルディングに戻ったとて、解放されるわけではなかった。その後も個人的な用事であちこちの施設を行ったり来たりし、書類の提出や各種手続きに追われ、また新たに記入を求められた書類の束にひと通り目を通すために、十階のミーティングルームを一時的に借り──そこで、一度記憶が途絶えた。というのも、どうやらそのまま意識を失って、寝入ってしまったらしいのである。
     長机に突っ伏した姿勢から跳ね起きたのが凡そ三十分前、午前二時半。慌しく荷物をまとめてミーティングルームを飛び出したはいいものの、せっかく着替えた衣服は襟ぐりから下着まですっかり寝汗で湿っていて、どうにもこのままビルの外、茹だるような真夏の夜気の只中に出ていく気にはなれなかった。放り出されるようにして目が覚めたせいか、夢の内容までは憶えていなかったが、多分に湿り気を帯びた布地の感触から察するに、少なくとも好ましいものではなかったのだろう。
     さいわい、二階下には関係者であれば誰でも利用出来るシャワールームが備わっていた。ありがたく使わせてもらうことにして、真夜中に赴いた共同設備は、当然無人の貸切状態だった。
     汗で崩れてしまわぬようにと幾重にも重ねられたメイクを専用のリムーバーで落とすと、張り詰めていた緊張の糸のようなものが途端に千切れて、重くのしかかる倦怠感を払えないままその場に頽れ、降りしきる水滴を一身に浴びながら、また少し意識を手放した。今度は五分ほどではっと気が付いて、しつこく付き纏う眠気を払おうと、水温レバーを冷水の方向に捻ったのだ。手を止めたら二度と動けなくなりそうな危機感さえ募って、勢いのままに泡立てたボディーソープで全身を浄め、頭髪を固めていたワックスを落とした。
     半ば夢うつつで現実と夢幻の境を彷徨っていたせいではあるが、どうせ誰もいないのだからと不行儀にも床に膝をついた姿勢のままシャワーブースの扉を開け放ったのは、今にして思えばあまりにも危機意識に欠けていた。
    「……あ、」
     脱ぎ捨てた着替えが無造作に置いてあるブース正面の簡易椅子から、二つ左隣に見知った人物が腰掛けていて、呆けた表情をして、シャワールームの中で座り込んだままの無様な男を一心に見つめていた。艶いた黒髪が描く奔放な曲線、瞬く一対の紅玉、身に付けているのがカジュアルな私服でなければ夢と見紛うほどには浮世離れした魔的な風体。それが確かに地に足をつけた実体であると、前後不覚の頭では処理をすることがどうしても叶わず、二の句を継げずにいると、彼は緩慢と朱脣を開いた。
    「おや、おや。風早くん、やはりおぬしだったのかえ。ううん、何となく、そんな気がしておったのじゃよ。いや、今はそれどころではなさそうじゃな。……手を貸そうかの。それとも他に、何ぞ所望の品があるかや」
     右手に水の入ったペットボトル、左手に数枚のバスタオルを携えて立ち上がった夜闇の魔物、朔間零は、ただでさえ蒼褪めた顔色を更に翳らせ、音もなく側へ来て身を屈めた。
     ……ええと、では、タオルを。挨拶をすべきか問いに答えるべきか、困り果てた末に一先ず零の左手へと視線を移ろわせた。すかさず頭上から乾いた厚手の布が被せられる。礼を言ってから断り、先刻堂々と開け放ったブースの扉を殊更静かに閉ざした。居た堪れない気まずさが徐々に募り、あれほどしつこかった眠気がたちまち霧消していくのをひしひしと感じていた。
     手早く全身の水気を拭ったタオルを腰に巻き、一つ深呼吸をして扉を開けると、すぐ目の前の簡易椅子に脱ぎ捨てた普段着が、丁寧にたたみ直されているのが視界に入った。その隣の椅子には、水のペットボトルとタオルが数枚置いてある。肝心の零は、濡羽に縁取られた目蓋を伏せ、腕を組んで少し離れたロッカーに寄りかかっていた。ブースの扉が開いた音が届いたのか、のんびりと露わになる真紅の瞳がこちらを向く。
    「水をお飲み」それだけ言って、また視界を閉ざす。「物音がせぬままあと数分経とうものなら、こちらから扉を開けようと思っておったんじゃよ」
    「……ありがとうございます、零さん。本当に、あなたには、みっともないところを見せてばかりですな」
     いただきますと呟いて、びっしりと水滴が浮いたペットボトルに口を付ける。冷たい水の塊が食道を急ぎ足で駆け下っていく、無機質な質量が生む淡い息苦しささえ心地好く感じられて、呼吸をするのも忘れて夢中で嚥下した。転寝を始めてからまともに水分を得ていなかったせいか、熱を内包してひりついた口腔の隅々まで、冷涼な水気が沁み入り、渇きを癒していく。ボトルを殆ど逆さにして中身を飲み干し、滴る雫の一滴までもを掬い取った。いつからかこちらを密やかに見つめていた零が眉を顰め、俄かに組んでいた腕を解く。「……どれ、もう一本持ってこようかの」
    「いいえ、もう十分です、零さん、もう。タオルと水、大変助かりました。俺が散らかした洋服までたたんでくださって……これではとても、言葉では感謝しきれませんな。このお礼は必ずさせてください」
     言葉の発し方を忘れでもしたかのように掠れ、耳障りに途切れる声を、咳払いをして形ばかり正した。かけられた温情と慈悲とが身に余るものだと訴えたいのに、吐き出す弱々しい声音は不安を煽る一方で、寄せられた眉根が弛むことはなく、睫毛の下で憂いに烟った瞳は寧ろより思案げに細められる。もう一枚、柔らかいバスタオルを丁寧に頭から被せられ、急速に狭まった視界の中心に蒼白い指先が伸びてきた。そのくせ、行き場に迷ったらしい手の甲に、濡れたままの頭髪から垂れた雫が落ちていく。
    「……風早くんや。老婆心ながら、鏡台の前を整えておいたのでな。髪を乾かしがてら、支度をしておいで。あいにく、我輩の化粧品しか用意はないがのう」
     衣類、それも寝汗の染み込んだ服を纏う気には到底なれず、バスタオルを腰に巻いただけの姿で鏡の前の椅子にかけた。いつぞやの夜更け、現在と殆ど同じような状況下で出逢った時の零も、湯上がりの肌を布で覆うのを長いこと渋っていた。簡易椅子にかけて項垂れる魔王の、冷ややかに色付いた象牙色の首筋を今でも昨日の事のように思い出せるが、あれから少なくとも二ヶ月は経っているはずだった。
     ドレッサーに並んでいる化粧品はどれも馴染みのないブランド品で、成分表示欄は異国の言葉で埋め尽くされていた。試しに一番手前の小瓶を持ち上げると、背後から手が伸びてきて、ボトルを一列に並べ替えていく。肩甲骨の辺りに布地が擦れる感覚があって、清冽な、それでいて仄かに刺激的な、陶然たる花の甘さが香った。「左端から順に使うんじゃよ。化粧水、美容液、こっちが乳液……上から蓋をする高保湿クリームに各種導入系のものもあるにはあるが、この時期は下手に重ねすぎても逆効果じゃろ。まあ、好きなものを好きなように使ってくれて構わんがのう」
     何度目とも知れぬ礼を言って卓上から顔を上げると、鏡の中で、悪戯っぽく弓形に反った真紅と視線がぶつかった。鏡像が見せる微笑は妙に神秘的に映り、目を背けられずにいる間に、こちらも視線を絡めたままの零が手探りで机の上からドライヤーを掴み取って、これ見よがしに軽く振る。既にコンセントに繋がれていたそれを起動する音に掻き消され、慌てて発した遠慮の言葉は終ぞ届かなかった。或いは、はなから辞退の申し出を受け付ける気はなかったのだろう。
     綺麗に並べられたスキンケア用品を一つひとつ、ともすれば震えそうにさえなる手で丹念に肌に馴染ませる間、背後に立った零が濡れた髪に細かく手櫛を入れつつドライヤーの風を送るのを、夢か映像か、少なくとも現実ではない何かのようにひたすらぼうっと眺めていた。温風ではあったが適切な距離を保って吹いていたため、熱さはまったく感じられなかった。丸い爪先が頭皮をなぞり、頭髪を掻くたびに、ぞわぞわとした小気味好い恍惚が脊髄に響く。今この瞬間、ひどくあからさまで情けない状態を晒しているような気がして、きまりが悪かった。ある程度根元が乾いたら、風は冷風に切り替わり、湯上がりの上気した首筋を念入りに癒した。
    「昔はよく、弟の髪を乾かしておったんじゃがのう。最近は触れるどころか近寄ることも許されぬので、寂しかったんじゃよ」
     確か、風早くんも同じサークルに所属しておるじゃろう。ドライヤーの立てる機械音を避けて、耳元へと寄せられた薄い唇から零れた嫋やかな低音は、悪意なく鼓膜を逆撫でし、血管の末端まで沁み入って、覚えて久しい、謎めいた昂揚を身体のどこか深いところへと投じた。言葉には言い表しがたい衝動に似た何かが込み上げるのを咄嗟に押し殺そうとして、我知らず、ドライヤーを操って奉仕を続ける細い手首を捉えていた。零は鋭利な双眸を丸くして、器具の電源を切る。「……風が近すぎたかや? すまんのう、人にしてあげるのは、随分と久しぶりなものじゃから」
    「いいえ、決してそういうわけじゃあないんです、ただ、……ただ少し、恥ずかしいと言いますか、申し訳ないと言いますか。俺は零さんにここまでして頂くほどの人間じゃあありませんし、理由も解らず良くして頂くばかりでは、どうも気持ちが落ち着かなくて」
     見開かれていた紅玉が元通り、濡羽の睫毛の下で幽かな憂いを帯びて、幼気に弛んでいた口唇が何度か物言いたげに蠢く。やがてドライヤーを静かに卓上へ戻して、零は隣の椅子へ腰掛け、こちらをまっすぐに見据えた。上目遣いに真意を探ろうとする様子は年齢にそぐわず、やたらとあどけなく見えた。
    「以前ここで会った時、美容液を貸してくれたじゃろ。ほら、おぬしがここに塗ってくれた。あの後、痒みも発疹もたちまちに引いて……我輩、あれと同じものを己でも購入したんじゃよ。甚く気に入ってしまってのう、夏場はもうあれなしでは過ごせぬわい。そこで、ずっと風早くんにそのお礼を伝えたいと思っておったんじゃが、今日の今日まで出会えんかった。今日出会えるとも思っておらんかったがのう。そこに散らかっていた服に見覚えがあったから、もしやと思って、勝手に待っておったんじゃよ」
     穏やかに語りながら枝垂れる癖毛を掻き上げて、白い頸を指してみせ、そこに最早あの痛ましい斑点が一つも残っていないことを明かす。こんな事になるならば脱いだ衣類をぞんざいに扱うものではなかったと後悔したが、怠惰に身を任せきりにし、どうせ他人の目がないからと努力を怠った結果、神の教えに叛いた罰である。
    「美容液、肌に合ったようで安心しました。……俺も、零さんにまたお会いできてよかったです。タイミングを狙い澄ましたわけでもないのに、何度もこうしてここで会って、一緒に過ごせる不思議な時間が、俺にはとても貴重に感じられますから」
     すっかり乾いた髪に触れて、改めて礼を述べる。礼を言わせてばかりじゃのうと、慈悲深い魔物の王は満更でもなさそうに笑って、目を眇めた。いつか、このビルの地下ステージの上で観た朔間零の威厳も禍々しさもそこにはなく、一人の人間が屈託なく笑んでいた。相手を圧倒する凄絶な雰囲気を否応なく放つ存在ではあるが、夜更け、シャワールームの白んだ照明の下で見る零は、随分と無邪気で、ともすればごく普通の青年のようにさえ思えたのだった。
    「……零さんは、この後は寮でお休みになるのですかな」
    「うむ。シャワーを浴びたら寮に戻って一眠りする予定じゃよ。風早くんも、明日は自由の身かの。同室の白鳥くんが楽しそうに休日の計画を立てておったから、ユニット単位での仕事はないと見受けたが。随分と疲弊している様子じゃったからのう、どうかゆっくり休んでおくれ」
     老人のそれに似た、わざとらしい掛け声と共に、零が椅子から立ち上がる。鏡台の前は、そのままに。そう言い残して、シャワーブースの方へ向かう背に、殆ど反射的に声をかけていた。
    「あの──俺、お待ちしますので、一緒に寮へ戻りませんか。お察しの通り明日はオフなので、先を急ぐ用事もないんです。零さんも、俺のことを待っていてくださったみたいですし……よかったら、ここにいさせてくれませんか」
     簡易椅子の横に立ち尽くし、私服の裾を捲り上げたしどけない姿勢で、肩越しにこちらを振り向いた紅玉が、驚きのために僅かに揺れる様が珍かで、暫し見惚れた。次第に薄い朱脣がにんまりと弧を描く。それは見事だったであろう笑顔は、たくし上げられた衣服で隠れ、伺うことはできなかった。
    「待たせはせぬよ」
     シャワーブースの扉が軽快な音を立てて閉まったのを横目に、ようやく熱を失いつつある肌に衣服を纏った。布に染みた汗の不快感も、脱いだ時ほどには感じられない。湯上がりに差し出す水のペットボトルを、レスティングルームと自販機のどちらで入手するべきか、瑣末な逡巡をも愛おしく思いながらシャワールームを後にした。
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    GoodHjk

    DONE【渉零】新衣装の話
    天性回遊 でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまいました。
     ──モーリス・メーテルリンク『青い鳥』




     ひと言で言い表すならば洗練された、瀟洒な、或いは気品溢れる、いずれの賛辞が相応かと択ぶに択ばれぬまま、密やかに伸ばした指先で、コートの広い襟をなぞる。緻密に織り込まれた濃青色の硬質な生地は、撮影小道具であるカウチの上に仰向けに横たわる男の、胸元のあたりで不審なほどに円やかな半円を描き、さながら内側に豊満なる果実でも隠し果せているかのように膨らんでいる。指先を外衣のあわせからなかへと滑り込ませると、ひと肌よりもいっそう温かい、小さな生命のかたまりへと触れた。
     かたまりが震え、幽かな、くぐもった声で抗議をする。どうやら貴重な休息の邪魔をしてしまったようだと小声で詫びを入れれば、返ってきたのは、今し自堕落なそぶりで寝こけていた男、日々樹渉の押し殺した朗笑だった。床にまで垂れた薄氷の長髪が殊更愉しげに顫えている。この寝姿が演技ならば、ここは紛れもなく彼の舞台の上であり、夕刻になって特段用もなく大道具部屋へ赴く気になったことも既に、シナリオの一部だったのだろう。
    1993

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