デートするジュスリヒの話 西暦1999年、一族の宿願であるドラキュラ伯爵が滅ぼされ恒久的に続く平和を人類は享受しているはずだった。
だが、それが再び脅かされそうになっている。脅威に立ち向かうために魔術書内に綴られた過去の英雄を魔力で再現し顕現させた。
リヒター・ベルモンドもその一人だ。今、ここにいるリヒターはリヒターであって、もはや実体のある亡霊のようなものだった。
そのリヒターは怠そうにベッドで横たわっていた。点けっぱなしにしていたテレビから見知らぬ国の見知らぬ人のニュースが流れている。
ふと電子時計を見れば夜中の三時を示している。吸血鬼ハンターとして活動していた頃には特になんとも思わない時間帯だ。
外は小雨が降っているようで、ノイズのような雨音が聞こえる。
今はどの時間帯にも光が溢れている。人類が闇を退ける手段を手にしてから、暗闇とは忘れ去られたものになったのだろうとリヒターは嬉しく思う。
ニュースキャスターがとある地域の紛争を読み上げていた。闇を退けても、人が人を殺すことからは逃れられないようである。発光ダイオードを利用した照明の下でリヒターは顔を腕で覆った。
「リヒター、体調が悪いのか?」
シャワールームから髪を拭きながら出てきた男にリヒターは目を擦りながら視線を向けた。
ジュスト・ベルモンド。ベルモンドの中でも、ヴェルナンデスの血が濃く顕れた彼は魔導の才能に溢れベルモンドの戦闘術をより高めたことで評価される天才だ。
天才、そんな一言で表現される祖父ジュストにリヒターは悔しい思いをした。もしも、ドラキュラ復活がジュストの代であったのなら間違いなく評価されたのは彼だ。
「いっぱいしすぎて疲れているだけだ」
「……そうだな、一体何時間やったかもう覚えていない」
リヒターが知っているよりもうんと若い姿で呼び出されたジュストはシルクのような銀髪と透き通った氷のような瞳をしていた。下手な女性よりも美しい顔立ちながら、その肉体は完成されており晩年もそこまで衰えていなかったように思える。
「爺さんは常識だとか、恥じらいだとか、人として当たり前の部分をどっかに落としてきたのか」
「んー、そういうわけじゃないんだが、お前だからこそしたいんだよなあ」
ベッドの縁に座り、リヒターに触れるジュスト。ふわりと甘い香りが漂う。男にしては甘すぎる香りだ。
まるで、蠱惑的な女性がつける香水のようにも思えて変な気持ちになる。
「お前も風呂に入れ。明日はデートするぞ」
「デート……」
「こんなクソみたいなニュースなんか見てないで、外で気分転換した方がいい」
リモコンでボタンをいくつか押してジュストは電源を消した。雨音が耳に心地良いとリヒターは眠気に負けそうになる。
「起きなきゃ朝までやるつもりだが、どうする?」
脅しのような言葉にリヒターは飛び起きた。何も分からなくなるまで抱き潰されるのはごめんだ。
「起きた、起きたって――爺さん!」
「よろしい、ちゃんと頭も洗えよ。ぶっかけたからな」
道理で髪が気持ち悪いわけだとリヒターは項垂れる。気色悪いと拒否もできるのにリヒターはジュストに抱かれるのを本気で拒もうとしなかった。
ジュストが興味本位でリヒターを求めているのなら断れるのだが、どうも違うようである。ジュスト自身の口から理由を聞いていないが、どこか悲しげな瞳で触れる手は愛情を感じられる。
理由を聞いてしまえば、この関係が崩れてしまう気がしてリヒターはそれ以上聞けなかった。あんなにも強かった祖父が砕けてしまいそうで、恐ろしくもあった。
魔物や吸血鬼相手にリヒターは恐怖を覚えないが、こうした人間関係では正解が分からない恐ろしさがある。基本的に優しい祖父は笑ってリヒターを許すだろうが、本当にそれでいいのだろうかと不安が付き纏っている。
リヒターにとっての祖母が亡くなって、親友さえも亡くしたジュストは生きる気力を失ってしまったようで穏やかではあるが覇気は感じられなかった。リヒターに気づく前の茫漠とした眼差しが忘れられない。
今のジュストがそうなってしまうのは嫌だ。寄り添って支えるには、極めて近く限りなく遠い繋がりに思えた。
眠気でふらふらとした足取りでリヒターはシャワールームへ向かう。ジュストが使ったボディソープの香りが脱衣所にまで漂っている。
昔、口にした菓子がこんな匂いだったかなとリヒターは思い出す。ジュストがお土産にと買ってきてくれた珍しい外国の菓子。
まさか覚えているわけがないかとリヒターは首を横に振った。
シャワーを浴びながらジュストが使っていたボディソープに手を伸ばす。男らしい香りとは程遠いが、あの甘い香りも嫌いではない。
ふと、視線を向けた先の鏡に映る自分の姿にリヒターは思わず短い悲鳴を上げた。首筋から肩にかけて残された鬱血痕と噛み跡にマジかと思わず口に出してしまう。
「爺さん、あの野郎っ」
甘い香りで誤魔化せない痴態にリヒターは頬が熱くなって来るのを感じた。
デート:交際中又は互いに恋愛的な展開を期待していて、日時や場所を決めて会うこと。
いやいや、それはそうなんだが何回も抱かれていて今更デートかよとリヒターは隣に座るジュストを見た。
一般的な公共交通機関であるバスに乗って市街地へ向かっている。色とりどりの町並みをジュストは嬉しそうに眺めているようだった。
昨夜の雨は翌朝には上がっており、絶好の観光日和だ。雲一つない青空がどこまでも広がっている。
さすがにいつもの戦装束では目立つので、現代に合わせた服を取り寄せた―有角のカード決済である―のだが、どうもジュストは浮いている。
ちゃんとトレンドの衣服だが、着ている人物がどうしても目立つのだ。リヒターは肉体の屈強さに目を瞑れば大学生ぐらいには見えるだろう。
「一応聞くけど、金は大丈夫なんだろうな」
「余裕、余裕! ツケ払いはしないから安心しろ」
現代社会でツケ払いが通用するところを探すほうが難しいだろう。
ジュストはカバンから電子端末を取り出すと指先で操作する。あっという間に順応するところはさすが天才かとリヒターは呆れ半分で見守っていた。
「有角からもらったポケットマネーをちょちょいのちょいで増やしたぜ」
「……まあ、これくらいなら大丈夫、か」
ジュストは放っておくと金や資産を稼いでしまうような立ち回りをしてしまう。リヒターと遊びに行きたいという目的のために、全力を尽くすような男なのだ。
「ちなみに競馬も競艇も競輪に手を出すのも禁止だからな」
「馬、馬は許してくれ。俺の夢を背負って愛馬が走るんだよっ!」
審美眼は衰えておらずジュストはベルモンドが及ばない勝負の世界を楽しんでいるようだ。
「俺も馬は嫌いじゃないが、爺さ――ジュストが絡むと話題になるから絶対見に行くなよ」
わざわざ爵位を買ってまでダービーを楽しんでいた祖父のことだ、今の競馬場に入り浸るのは明らかだろう。
「デートって競馬場じゃないよな」
「さすがに行くわけがない。今日はちょっと前に流行ったおもしろバーに行くぜ」
じゃーんと電子端末で目的地を示すジュストは誇らしげだ。
地域最大級! 斧投げバー新装開店!
現代人、ついに斧を訓練で投げるようになったのかとリヒターは目を細めた。夜はあんなにも明るいのに、魔物の脅威は未だあるのだろうか。
最盛期のベルモンドに比べて知名度は低くなったものの吸血鬼ハンターとして名を馳せたリヒターからすれば現代人の実力には興味津々だ。
そんな意気込みでジュストに連れられるまま、店内に入ったリヒターはほんの少し失望をした。
店員の説明も聞き流していく。きゃっきゃと若い男女が投擲した斧は刺さることなく、地面に落ちた。併設されているバーで客は好きな酒を飲みながら、楽しげな会話している。
少し離れた場所にある喫煙所ではシーシャ―エジプトやトルコが発祥とされる水タバコ―を嗜みながらうっとりと紫煙を吐いていた。
「……さて、最高点数はキルショット含む64点ですが、初めてのお客様限定で20点以上獲得すれば一杯ドリンクが無料になります」
「へ~、面白そうだな! リヒター、どっちが多く点数を取れるか勝負しようぜ」
にこにこ顔のジュストを見て、リヒターはそうだなと頷いた。ただの遊び、ありとあらゆる武器に精通しているベルモンドにとって身近な武器である斧は思い入れ深い。
それが、ただの遊び道具になってしまって残念な気持ちは隠せない。
案内された斧投げ場で、リヒターはお試しで渡された手斧を徐ろに的に向かって投げる。
4点の枠に刺さったの見て店員は拍手してくれる。ジュストを見れば、同じような場所に当てていた。
「中央に当たらなくて悔しいなあと思っているのだろう」
隣で笑いを堪えているようなジュスト。リヒターの性格は熟知している。
無論、図星である。リヒターはムッとした表情で店員から手に馴染む斧の長さを選ばせてもらう。
「勝負するからには、勝ったら負けた方に一つだけお願いができるってのはどうだ?」
ジュストは着ていたシャツを腕まくりした。見た目よりもずっと鍛えられている肉体を晒すようなことは普段しない。
それだけ本気なのかとリヒターは口の端を歪ませた。
「負けて後悔したって知らないからな」
さほど珍しくない勝負事に店員は動じない。だが、始まるに連れて本当にこいつら初心者かと点数を疑いたくなる。
「キルショット」
特定の的に狙うのを宣言してから斧を当てると高得点がもらえる。初心者では難易度が高いそれをジュストは難なくやってのけた。
当てるのすら難しいのに、どうしてそんな容易く狙えるのか他の客はざわつき始める。
「ちなみにオプションでナイフ投げもできるらしいぞ」
「それ、喧嘩売ってんのか爺さん」
中央に斧を的中させるリヒター。ほぼほぼこの二人は中央しか当てない。もしかして、自分が知らないだけで斧投げプロプレイヤーなのかと店員はハンカチで汗を拭った。
「いや、おもちゃみたいな物かと思いきや、しっかりしてるからさっ」
ドンっと音と共に斧が中央に刺さる。癖を把握すれば止まっている的に当てるのは造作もない。
「ナイフも投げたら楽しいだろうなと」
悪意なく笑うジュスト。
「有角から持ち出し禁止にされているから鬱憤でも溜まっているのか」
「特殊な祝福かけているし、今やお前のモデルなんてプレミアついてるんだぜ」
ただの道具なのに何十万も費用をかけて蒐集している人物がいるらしい。リヒターにとっては理解ができない世界だ。
「キルショット」
最後の一投で取っておいた宣言するリヒター。ジュストは投げ終わっているらしく、無料になったドリンクをストローから啜っている。
「リヒター、右に重心が傾いている。少し顎を引いて、姿勢を直せ」
自分が幼い頃に指摘してくれたようにジュストはリヒターに声をかけた。リヒターは一瞬硬直するが、言われた通りに斧を投げた。
最高得点には及ばなかったものの、ほぼ満点に近い点数を取った。リヒターの勝ちだ。
「手を抜いていたわけじゃないよな」
「まさか、これが俺の実力だよ」
たった一点差でも、リヒターはジュストを上回った。店員からドリンクを受取、リヒターとジュストは手頃なソファで休憩する。
「ジュストって甘いものが好きなのか」
「いや、ただ見た目が気になってこれにした。意外にうんまい」
ちゅーっとピンクとオレンジ色のジュースを啜っている。リヒターはレモンとライムが爽やかな炭酸飲料にした。
「ついでだからここで一服してこようかな」
「酒はともかく、煙草を嗜むのは初めて知った」
「リディーから嫌われるからやらんのだが、懐かしいのがあってさ」
ジュストが愛妻家なのはリヒターもよく知るところだ。リヒターにとって祖母にあたるリディーに対して、ジュストは莫大な費用をかけて屋敷を新調しありとあらゆるものを買い揃えた。
その中にリディーおばあちゃんが気に入っていた絨毯があったなとリヒターは思い出す。質の良い絨毯で買い求めるためにジュストは海を越え、山を越え大金を支払ったのだという。
ベルモンド家が一時傾いたのも、それが原因だったのではとリヒターは眉をひそめた。
「ま、俺は好きにやってくるからお前も楽しんでおいで」
追加料金でナイフも頼んでおいたぜとVサインするジュストに、リヒターは肩を竦める。食事も好きに頼んでいいからなと言われ、なんて自由すぎる祖父と呆れ顔になってしまう。ジュストはそういう男なのだ。自由そうに見えて、その癖リヒターや身内に関して過敏なまでに気を遣おうとする。
「その気遣いが空回り気味なのも、いつものことか」
大事にするほどにすり抜けていく感覚をリヒターは味わったことはないが、ジュストが何かを取り戻そうとしているのは肌に感じた。
思った以上に斧投げに熱中しているリヒターに微笑みがこぼれる。遊びの中で仕事道具が雑に扱われているのを嫌がるかと思いきや、彼は気に入ったらしい。
シーシャの準備をしてもらいジュストは紫煙の中で過去を思い返す。
最愛の妻、リディーのために当時ジュストは繁栄に陰りを見せたとある中東の大国を訪れていた。大帝国としてありとあらゆる国を蹂躙したのだが、北部との諍いに決着がつかず戦争も間近な不安定な情勢だった。
十数年前に絨毯で有名なある一国を滅ぼし、戦利品として市場に流れたそれをジュストは欲しいと思ったのだ。
立ち寄った店舗でジュストはかれこれ数刻は待たされた。アポイント無しで訪れたので、追い返そうとしているんだなと察しの悪い人でも気づく。
ジュストもそう気づいたが、何だか諦めようとも思えなかった。ベルモンド一族は執念深い。邪悪の根源たるドラキュラを滅するために七百年以上研鑽を積んできたのだ。
たかが数刻など一瞬のようなものだ。殺人的な日光が傾きオレンジ色に外が染められた頃、店主からシーシャを勧められた。
普通の客だったらそんなのはいいから商品を見せろと怒りを見せたかもしれない。ジュストは素直に応じ、上質な煙草を味わった。
まるでお得意様の上流階級かのような所作に店主は驚き、初めて笑みを見せた。失礼な小間使いと思いきや、この男は当たり前のように煙を吐く。
『アナタ変わっている人、なんでそんなに欲しいの』
言語的に交渉は厳しいとジュストは筆談で頼んだ。記録としても残るし、双方にとって悪い話ではなかろう。
「妻のために、そして何より俺が気に入った」
『たったそれだけのために、アナタ海の向こうから来たの』
「欲しいものを手に入れるために足を運ぶのは当然だろう」
少なくともジュストは欲しいと思ったものを諦めたことはない。それは愛おしい妻もそうであったし、気のおけない親友もそうだ。
滅んだ王朝が好んだ絨毯。今はそれなりの価値しかなくても、ずっと未来ではとんでもない高値になる。珍品蒐集家としては保管するべきだろうが、日常的に利用したいという願望もある。
「言い値で買おう」
金に糸目をつけないジュストの表情は飢えた獣のようなそれだっただろう。
あの日と同じようにジュストは息を吐く。紫煙が辺りを濁らせる。あの時はこんな美味しいフレーバーはなかったなと甘い香りを楽しむ。
「げほっ、ジュスト、延長どうするかって聞かれたんだが」
目をしぱしぱさせながらリヒターが近づいてきた。煙が苦手らしい。
「俺はどっちでもいいが、お前は満足したのか?」
シーシャから口を離し、ジュストはリヒターの様子を窺う。
「まあ、勝負には勝ったしな」
「延長はなしで、どっかで飯食って帰るか」
リヒターから受け取った何枚も重なったレシートにジュストは思わず何度も見る。好きに頼んでいいと言ったが、どれだけ頼んだのだこの孫は。
「チキン、チキン、チキン……」
「スモーキーチキンが美味しくて、つい」
はははと頭を掻くリヒター。ほんの少し申し訳無さそうにしている。
「いや、腹が減っているのに悪かったなリヒター」
つい浮かべた表情にリヒターは傷ついたような、戸惑っている表情を浮かべた。
「な、なあジュストはさ」
「んー? 肉好きだよなうちの一族」
この世から肉が消えたら飢えて死ぬかもしれん。もしかすると、代替肉を本気で考える必要があるんじゃなかろうか。
「夜も肉のほうがいいか」
「そうだな、肉でいい」
どうせなら変な肉が食べたいとジュストはバーの会計を済ませる。リヒターは入口付近で腕を組みながら思案しているようだった。
外はすっかり夕暮れから夜になろうとしていた。まだ冷たい風が素肌を撫でる。
「ワニ肉も気になるんだよなー」
「どうせそんなことだろうと思った」
呆れるようにリヒターが肩を落とす。ジュストは反対にあっけらかんと笑った。
「俺のこと分かってきてんじゃん」
「分かるしかないだろう」
「でもさ、もっと知りたいならいつでもウェルカムだからな!」
リヒターにとって祖父はこんな男だっただろうかと記憶との相違に苦しめられてきた。老いた祖父が何を思って生きていたのか分からないが、何かしらの罪悪感を抱いてるのは今日もまた感じたのだ。
リヒターが背負った罪は誰かのせいではない。己の弱さからとリヒターは結論づけ、納得している。未来でも人類のために力を振るうのはその罪を償うためだ。
許されたいわけではない、許されたくもない。ただ、これからの人類が闇に閉ざされないように先陣を切る。
一筋の雷光のように暗闇を切り裂くためにこの身はあるとリヒターは信じていた。
「じゃあ、今日の願い事は知るために取っておくかな」
「そんなことのために願い事使わなくてもいいのに」
「きっと、爺さんは本当に知りたいことを教えてくれないからな」
そうかなあとジュストは思うものの、リヒターと食事をするためタクシーを呼んだ。馬車よりずっと速い。
後部座席で二人並んでお行儀よく座っている姿は中々シュールである。
「あ~あ、俺が勝っていたらしようと思っていたお願い事あったのになあ」
「どうせ碌でもないことだから、言わなくていいぞ」
デートの締めにラブホで本気種付セックスやりたかったとリヒターの耳に囁く。ほら、やっぱりとリヒターはため息を吐いた。
「なあ、今日一日楽しかったか」
頬杖をつきながらジュストはリヒターに尋ねた。
「まあ、楽しかったな。久しぶりに遊んだって気がする」
「そっか、俺は夜におっかなびっくり歩かなくていいのは気が楽だ」
爺さんの戦装束が派手すぎるからなのではとリヒターは思うもののグッと黙った。綺羅びやかな銀髪とあの悪目立ちをする赤いコート、夜なら多少は彩度が落ちるだろうが吸血鬼側からすると狙いやすいだろう。
「ベルモンドらしくないだろうが、戦わなくていいのならそれでいいと俺は思っている」
「けどさ、戦わなくていい奴が戦わずに済むように戦うのを誇りに思う」
血が騒いで夜まで待てないのような一族の宿痾。呪いとも言えるそれをリヒターもジュストも受け継いでいる。
こんな時にジュストのあの茫漠とした眼差しを思い出すのだ。ひょっとしたら自分も晩年はあんな瞳をしていたのだろうか。
リヒターはまだ聞けないと軽く手を握った。いつか聞き出す時まで、その願いは胸底にしまっておく。
「誇り、か……シモンじいちゃんも言っていたなあ」
「え、高祖もそう言っていたのか」
明らかに嬉しそうな表情するなよとジュストは口を尖らせた。リヒターがシモンを特別視しているのはおかしいことではない。
ベルモンド一族ならば二度もドラキュラを滅したシモンを称えるのは当然のことだ。ジュストからすればそんな英雄も優しい祖父に過ぎない。
「ま、俺がリヒターにシモンじいちゃんの話たくさんしたもんなあ」
「ちなみに、半分くらい盛っていたって高祖シモンに否定されたぞ」
「この話は実際の人物、史実を参考にした創作物ですと前置きしておくべきだったか」
幼い頃のリヒターは祖父ジュストがする冒険物語が大好きだったのだ。目を輝かせながらジュストの話を聞き、夢の中で同じように大冒険を繰り広げた。
「今度はさ、ジュストの話を聞かせてくれよ」
「別にドラキュラを倒していないし、割とありきたりなことしかしてないぜ」
「マクシームさんとリディーおばあちゃんの話」
すっと青灰色の瞳が細められる。ジュストはリディーが攫われて一時的に復活した悪魔城の話をあまりしたがらない。リヒターもいつか聞こうと思いながら、いつしか忘れていたことだ。
「それってお願いを使うってこと?」
首を傾げるジュストは美しい顔立ちながら、哀愁さえ感じられた。タクシーが右折するのに信号待ちでカチカチと音を立てている。
妙な緊張感を煽っているようでリヒターは唇が乾くのを感じた。
「必要なら使う」
「……使わなくていい。ただ、語るのになんていうか、俺自身も避けていたところがある。そもそも、三行でまとまらんし」
「だよな、30秒ぐらいで悪魔城破壊したわけじゃないだろうし」
はははと笑い合いながらジュストはマクシームならやれたかもなと神妙な面持ちで言う。
記憶はしていても思い出そうとはしなかった。忘れられない痛みと向き合ってもいいのかもしれない
自分は幸せだったからこそ、気付けなかった何もかもを憎んでしまう俺がいると言ったらリヒターはどんな顔をするだろうかとジュストは苦笑した。