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    寒色の長文を置いてます。完結したら支部に置きます。

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    ストリートミュージシャン聖川さんと会社員一ノ瀬さんの話3

    ストリートミュージシャン聖川さんと会社員一ノ瀬さんの話3朝起きて朝食作り。仕事に行くトキヤを見送り洗濯や掃除を済ませると曲作りをし、夕方になる前に夕食の準備を終えると駅前へ行き歌う。人がまばらになった頃に帰宅してトキヤと一緒に夕飯を食べる。
    トキヤと出会って二ヶ月経ち、そんな毎日にも慣れてきた真斗は心地よく日々を過ごしており、時間を共有するうちに距離が縮んできた二人の関係も少し変化していった。
    夕食の席、煮魚を口に含み飲み込んだトキヤは微笑んで「今日の煮魚は特に美味しいです」と言った。テーブルの向かいに座る真斗は嬉しそうに照れ、そして笑って答える。
    「ありがとう、トキヤ」
    きっかけは二人が同じ家で暮らしてから一月した頃のトキヤの言葉だった。せっかくだから畏まらずに話しやすいようにしてほしいし、敬称もいらない。真斗がリラックスして過ごせる場所にしたい。そう言われながらも最初は遠慮していた真斗も徐々に言葉を崩し、今ではその言葉遣いも馴染んでいた。
    「今日の路上演奏はどうでしたか?」
    温かい味噌汁を飲み込み、トキヤは毎晩の会話に欠かさない質問を真斗にする。真斗は持っていた椀と箸を置くと嬉しそうに照れながら話した。
    「何人か、仕事終わりにいつも聴きに来ると言ってくれる人や、わざわざ友人を誘って来てくれた人がいた。本当にありがたいことで、嬉しかったな」
    にこりと笑う真斗を見たトキヤも同じように笑い返すと真斗はまるで身体が固まってしまったかのように動けなくなった。
    「真斗が嬉しそうで私も嬉しいです」
    優しく、まるで自分のことのように嬉しそうに笑うトキヤの姿は真斗の心を高鳴らせ、脈打つ心臓の音は大きく、向かいに座るトキヤにも聞こえているのではないかと思うほどだった。
    「真斗の歌はとても魅力的ですから、もっとたくさんの人に聴いてもらえるといいですね」
    丁度言葉遣いの話をされた頃からだった。真斗はトキヤの表情、仕草をいつも以上に目で追うようになり、トキヤのことを考える時間が増えていることに気付いた。自分の面倒を見てくれている恩人……そういう相手に抱く想いではない。トキヤが笑うと真斗も嬉しくなりもっと笑ってほしいと願っている、そんな想いは曲作りにも影響を与えていきトキヤのことを考えるといつも以上に沢山のメロディと歌詞が溢れてくるようになった。
    「真斗?」
    ぼんやりと視界の先で箸が運ばれていくトキヤの口元を見ていた真斗はトキヤの呼び掛けに肩を震わせた。
    「早く食べないと冷めてしまいますよ?」
    「あ、あぁ。そうだな」
    言われて真斗は急いで箸を持ち直すと、我ながら美味く出来た食事を急いで食べる。たまにトキヤと目が合うと彼は穏やかに微笑み、真斗はそのたびに顔が熱くなっていくのを感じた。

    食事とその片付けを終えた真斗はトキヤに呼ばれてソファに横並びに座った。ソファの前にあるローテーブルにはいつもトキヤの読む本が一冊置かれており、その表紙は毎日違う。いつか真斗が尋ねた時にその日の気分で読む本を決めているとトキヤが答えたことを真斗は思い出しながらその本を見ると今日は有名なミステリー小説のようだ。
    「真斗」
    改めて真剣な顔で真斗をじっと見るトキヤ。眼鏡越しに見える瞳はいつもよりも鋭く見えてしまう。真斗は何かしてしまっただろうかと過去の行動を思い出してみるが、小さな失敗はあれど改めて呼ばれて指摘されてしまうようなことはないはずだ。
    もしかして家を出るようにと言われるのだろうか……。
    「真斗に渡したいものがあるんです」
    「渡したい……もの?」
    トキヤは小さな細長い箱を真斗に差し出した。青い包装紙に包まれたそれをトキヤは開けるように真斗に言いながら手渡し、受け取った真斗はゆっくりと丁寧に包まれた紙を開いていく。中から現れた白い箱を開けると入っていたのはネックレスだった。
    ゴールドのチェーンにシンプルな青の石がひとつ。その石は少し角度を変えると紫がかったようにも見える。
    「これは」
    「真斗にプレゼントです」
    その言葉に真斗は目を見開いてトキヤを見た。こういうものに縁は無かったが決して安いものではないことは真斗にも分かる。受け取れないと真斗が言う前にトキヤは言葉を続けた。
    「先日商談で行ったデパートで見かけたんです。とても美しいと思って見ていると、石言葉、というものがあると店員に聞きました」
    石言葉は希望、成功。緊張をほぐし自分の長所や魅力を引き出してくれる石と聞いたとトキヤは言った。真斗はそれを聞いて改めてその石を見る。キラキラと光を反射する青い石はあまりに美しく自分には合わないのではないかと思った。
    「指輪などもあるみたいでしたが、真斗はピアノを弾くでしょう?ネックレスなら邪魔にならないと思って……。ねぇ真斗」
    私の貴方を応援したい気持ちを受け取ってください。
    そう言いながらトキヤは箱を持つ真斗の手をそっと包んだ。真斗は石を見たまま動かなかったがやがてゆっくりと顔を上げると今にも泣き出しそうな顔をしていた。
    ありがとう。そう言いたいのに言葉が出ない。
    本来トキヤ自身でもこなせていた家事の手伝いをしているだけで迷惑をかけることの方が多い。それでもトキヤは真斗の夢を応援してくれる。毎晩今日は路上演奏がどうだったか尋ね、嬉しいことがあった日は一緒に笑ってくれる。うまくいかなかった日は励ましてくれる。毎日働いているトキヤにとっての貴重な週末の休日、曲作りをする自分が目の端に映るのも声が耳に入るのも煩わしいだろうに悩んでいる自分のために少し休みませんか?と温かい飲み物を入れてくれる。そして今も……。
    「あり……がとう……トキヤ」
    やっと言えた。涙を流す真斗の頭をトキヤは優しく撫でる。
    「どういたしまして。真斗、泣かないで」
    撫でながらトキヤが口ずさむのはいつか、鼻唄で彼が歌っていたもの……真斗が橋の下で歌っていたものと同じ歌だった。トキヤの歌声に合わせて真斗も歌う。その歌声の重なる心地よさに真斗は自分が夢を持った日のことを思い出した。

    小学校にようやく慣れ始めた二年目も終わる頃のある日、まだ身体に不釣り合いな大きめのランドセルを背負って自宅へ帰る真斗の機嫌は大層良かった。音楽の授業で歌のテストがあり、上手に歌えた真斗は先生にたくさん褒められ、クラスメイトにもすごいと言われたからだった。
    (帰ったらお父さんとお母さんにもお話しよう)
    そんなことを考えながら、中を通るとほんの少し家までの近道になる公園へと入っていった。公園のベンチはいつも子連れの女性や子どもで沢山だったがその日は珍しく一人、男性が座っているだけ。ゆっくりと顔を上げた男性は泣いていた。いつもなら誰がいても気にならなかったが真斗はほおっておくことも出来ず、ベンチの方へとそっと近付いていった。
    「おにいさん」
    真斗が声をかけると男性は真斗を見る。もう十年以上も前のことでどんな顔の人だったか今の真斗はもう覚えていないが、とても綺麗な人だった気がする。
    「かなしいことがあったの?」
    真斗の問いに男性は頷いた。なんとか元気にしたいと思った真斗は今日音楽の授業で先生に言われたことを思い出した。
    音楽には人を元気にできる力があると先生が言っていた。それなら自分の歌でこの人を元気をあげれるかもしれない。
    「おにいさん、真斗のおうた聞いて!真斗のおうたでげんきをあげる!」
    そして真斗は男性の隣に座り歌った。大好きな空に浮かぶ美しい星の歌。星はいつも空で輝いて自分たちを見守ってくれる。真斗の大好きな歌だ。
    歌い終わると男性は拍手してもう一度歌ってほしいと言った。真斗は喜んで何度でも歌う。やがて男性も笑顔になっていき真斗は嬉しくなった。そして真斗は「いっしょに歌おう」と男性に言い、男性は頷いて真斗の歌声に合わせて歌った。その時間は真斗にとってとても楽しく感じ、それを言うと男性は真斗の頭を撫でて自分も楽しいと答える。
    「あなたの歌は温かくて優しくて、包み込んで守ってくれる。きっとたくさんの人を幸せにできますよ」
    「たくさんのひとを?できるかな?」
    「ええ、できます」
    真斗はそう言われたことが嬉しく、にっこりと笑った。やがて日が傾きオレンジの空になり始めた頃、男性と別れた真斗はその小さな胸に大きな夢を抱えていた。
    (真斗の歌はたくさんのひとをしあわせに……歌手になれば、おにいさんみたいに泣いているひともえがおにできる。たくさんのひとをしあわせにできる!)
    その男性に会えたのはその一度きりだったが、その後夢に挫けそうになった時いつも男性と過ごした時間を思い出し、一緒に歌ったあの歌をうたうのが真斗にとっての励みになっていた。

    (あの時と同じ気持ちだ)
    歌い終わると真斗は自然に笑顔になっていた。
    「トキヤ、ありがとう。本当に……」
    美しく笑う真斗を見てトキヤも微笑み、真斗を抱きしめた。



    ある週末の日、トキヤはコーヒーを飲みながら真斗が曲を作る様子を見守っていた。たまに口ずさむメロディは美しく、トキヤの過ごす休日を彩るBGMになっていることに真斗は気付いていない。どうやら今日はいつもよりも随分と悩んでいるようだ。トキヤは壁に掛かる時計を見るとソファから立ち上がりキッチンへと向かった。
    真斗がふぅと息を吐いて電子ピアノから手を離した瞬間を見計らってトキヤは真斗の肩をトントンと叩く。
    「真斗、そろそろ休憩しませんか?」
    振り替えるとトキヤが真斗の横に立っており、彼の指差す先にあるローテーブルには湯気をたてたコーヒーがふたつとラスクが置かれていた。真斗は頷いて電子ピアノの電源を切るとソファへとトキヤと歩いていった。
    真斗はトキヤとコーヒーを飲む時間が好きだった。トキヤがこだわって入れてくれるコーヒーはとびきり美味しいし、いつも買ってきてくれるラスクはメロンパンラスクというらしく、真斗の好物がメロンパンだと話した時から買ってきてくれるようになった。そして真斗がこの時間が特に好きな理由がもうひとつ。
    「トキヤ……また曇っているぞ」
    「分かっていますよ」
    コーヒーの湯気で曇る眼鏡に恥ずかしそうにするトキヤを見れるのはこの時間だけ。トキヤは少し不機嫌そうに眼鏡をはずすとローテーブルに置いてコーヒーを飲む。
    「眼鏡に曇り止めを付けないのか?」
    「次に買う時には必ず付けます」
    次に買う時、と聞いた真斗は「次に買う時は俺にプレゼントさせてくれ」と言うとラスクを口に含む。甘いそれは曲作りに疲れた脳に染み渡り、真斗は幸せそうに笑った。
    「そうですね、では真斗の出世を待ちましょう」
    トキヤが微笑みながら言うと真斗は頷いた。その胸元にはキラリと光る青いネックレスが付けられており、真斗が早速愛用してくれていることにトキヤは嬉しくなった。
    「真斗、今日も行くんでしょう?演奏」
    「あぁ、もう少しで曲作りが一段落……」
    そこで途切れる真斗の言葉を不思議に思いトキヤは眼鏡をかけ直して真斗を見る。すると真斗は掛時計を見て驚いた顔をしていた。
    「真斗?」
    「もう洗濯物を取り込んで夕飯の準備をしなければ」
    曲作りに夢中になりすぎていたようだ。いつもならば夕飯の準備に取りかかっている時間はとっくに過ぎており真斗は急いでコーヒーを飲んで立ち上がる。と、その真斗の腕をトキヤは掴んで引き留めた。
    「今日は私がやります。その代わり私のお願いを聞いてくれませんか?」
    トキヤはにっこりと笑って言う。
    「真斗の路上演奏についていきたいです」
    いいですか?
    そう聞かれて真斗は戸惑った。確かに曲作りは中途半端なところで止まっていてもう少し進めたい。しかし洗濯と夕飯作りをしていては路上演奏に行く時間に遅れてしまうからトキヤの申し出はとてもありがたい。しかしトキヤが自分の路上演奏を聴くことは照れ臭く、以前からお願いはされていたがもっと上手くなってからと言って躱していた。
    「ね、真斗。私は真斗の歌が大好きです。だから聴かせてください。あなたの歌を」
    首を傾げて優しく笑うトキヤに真斗は抗えない。今も捕まれた腕が熱くなっているのを自覚している。
    「トキヤ……すまない。甘えてもいいだろうか」
    「では、いいんですか?」
    真斗は何度も頷いた。これ以上体が触れあっていては沸騰してしまいそうだ。
    「ありがとう真斗」
    トキヤは上機嫌になり真斗の腕を離すとコーヒーを飲みきってローテーブルの片付けを始め、真斗も電子ピアノへ向かい曲作りに戻った。トキヤが聴きに来ることに今から緊張はしている。しかし、不思議とメロディは驚くほどに溢れていき曲作りは思っていたよりも随分早くに一段落ついた。

    真斗はトキヤの隣を歩く。その姿は少し恥ずかしそうで顔は俯いていた。トキヤの隣を歩いているから、これからトキヤが自分の歌を聴くから、それもあったが一番の原因はトキヤのもう一つのお願いだった。
    早めに曲作りが一段落した真斗は夕飯作りを自分がすると畳んだ洗濯物をクローゼットにしまっているトキヤに言ったところ、それより真斗にもう一つお願いがあると言った。それは真斗の髪や服装を自分にプロデュースさせてくれないかというものだった。あまりに楽しそうに言うトキヤに真斗は断ることもできず、トキヤに髪を結ってもらい服も普段の自分では着ることのないトキヤが普段着ている上等なものに袖を通すことになった。
    耳を出すといいと編み込まれた髪はカラフルなヘアピンで留められ、普段することのない装いに真斗はまるで初めて路上で演奏した時と同じような緊張感で顔上げることが出来ないでいる。
    「真斗」
    隣を歩くトキヤは真斗の顔を覗き込んで微笑んだ。
    「真斗、今の貴方はとびきりきれいでとびきりかっこいいです。自信を持ってください。貴方の素敵な顔を見せて?」
    そうだ、トキヤが施してくれたこの魔法はとびきり素敵なものだった。鏡で見た自分の姿はいつもと全然違う、まるで別人のようで……。真斗は顔を上げてトキヤに「ありがとう」と言うとそのまま俯かずに歩いていった。
    辿り着いたいつもの演奏場所。トキヤは少し離れたところから動画を撮るといって真斗の傍を離れた。普段ならば一人だから難しいことだが動画にすることで良い点も悪い点も見直せる。真斗は電子ピアノと譜面台をセットしてちらりとトキヤを見ると、彼は携帯を持ってこちらを見ており、目が合うと微笑んで「がんばれ」と口パクで真斗に伝えた。真斗は頷いていつも通りピアノを弾き始める。
    まずは音楽で人の足を引き留める。雑踏の中、スピーカーもマイクも無い状況にもかかわらず、真斗の演奏はよく響き、さらにその音の上を歩いているかのように乗る歌声。その声量、歌唱力に信号待ちする人々は携帯に向けていた視線を真斗の方に向け、ピアノを組み立てている時から遠くで興味ありげに眺めていた人々は真斗の前へやって来てその歌を堪能している。
    一曲歌い終えると疎らではあるが拍手が起こり、ピアノの前に置かれた箱には小銭が入っていく。
    トキヤは正直驚いていた。一曲歌うごとに聴衆は増え、箱の中にはやがて札も入っていく。その日暮らしをしていたことを疑うわけではなかったが、これならば年単位で家が無くてもやっていけるわけだと。そして何より驚いたのが何時間もその場で歌い続けているのに一切息切れも無く、衰えてもいかないその歌声。
    「ありがとうございます。次で最後の曲です」
    最後の曲を終えると最初に比べて随分と沢山の拍手が響いた。「すごかったね!」「また聞きたいな」そう言いながら帰っていく人々。真斗は何度も礼をしてしばらくすると楽譜を片付け始めた。
    「真斗さん!」
    そんな真斗に声をかけたのは女性グループだった。たまにではあるがわざわざ自分のためにここに来てくれる馴染みの人たちで真斗もよく覚えていた。
    「今日も来てくれたんですね。ありがとうございます」
    「それより真斗さんの今日の髪型素敵!ねぇ!」
    女性は他の友人たちに同意を求め、友人たちも「かっこいい!」「雰囲気が違ってすごくいい」と真斗を褒めた。
    また同じく馴染みの別の男性には「服の系統も変えましたよね。曲に合ってて良くなったなって……あ、元が悪かったわけじゃなくてベターがベストになった感じっていうのかな」と言われ、女性たちもそれには大きく頷いた。
    「とにかくすごく良かった!」
    馴染みの聴衆たちに好評なトキヤのプロデュースに真斗は驚いた。トキヤの魔法のお陰でこんなにも褒められるなんて……嬉しくなった真斗はもう一度頭を下げた。
    「ありがとうございます……これからもがんばります!」
    それからも別の馴染みの人たちと少し話をした後、真斗はピアノを片付けてずっと待ってくれていたトキヤの方へ駆け寄った。
    「すまない、待たせてしまって」
    「気にしないで下さい。さぁ、夕飯を買って帰りましょう」
    自然にトキヤは真斗に手を差し伸べた。少し躊躇ったが真斗はその手を握ってトキヤに並んで歩く。いつもは一人で帰る道のり。隣にトキヤがいるだけで随分と景色が違って見えた。
    「そういえば真斗」
    「なんだ?」
    「先ほど話をしていた時にCDの話をしていましたよね」
    聞こえていたのか。いや、あの女性たちの声はよく通るから仕方ない。真斗はそう思いながら「していた」と返事をした。
    女性たちに言われたのはCDがあれば買いたい。真斗の歌を色んな人に聴いてもらいたいから無いなら是非作ってほしいということだった。ありがたい話に真斗は頑張りますと答えたが……。
    「作らないんですか?」
    「その……恥ずかしい話だがあまり詳しくなくて……」
    トキヤと出会うまでは真斗は日々の生活が精一杯だったからCDまで考える余裕もなかった。ましてや欲しいと言われる日が来ると思うこともなかったので頑張るとは言ったもののどうすればいいのか分からずにいる。
    「色々と調べることから始めましょう。とりあえず今は……夕飯は何が良いですか?」
    真斗の髪や服を触っていたことで結局夕飯は作り損ねてしまった。出来合いを買うためトキヤがそう尋ねた頃丁度行きつけのスーパーに到着し、真斗はトキヤの手を離して籠持ちの係を半ば無理矢理受け持った。



    いつもなら食事を終えたトキヤはソファに座って読書をすることが多かったが、その週……真斗の路上演奏を見に来た日の翌日から寝室にあるデスクでパソコンに向かうことが多かった。持ち帰りの仕事があるのだろうかと思い真斗は邪魔しないようにいつもの定位置であるソファに座って買い物のついでに自分の小遣いで買ったCD製作の本を読んでいた。聞いたことのない単語を調べながら読んでいるため随分と時間がかかっているが、あの一枚のディスクを作る大変さに改めて驚いていた。たった二十分ほどのためにこれだけのことをしなければならないのかということ、それをあんな安い価格で買えていたことに。
    真斗にはピアノと歌しかない。それをきれいに録音してCDに焼く。焼く作業もきっと慣れないまましてしまえばそこでも音が劣化してしまい真斗の音楽そのままを届けることは難しくなるだろう。
    (どうするか……)
    「真斗」
    トキヤに呼ばれて真斗は反射的に顔を上げた。いつもの眼鏡に部屋着姿の彼は寝室の入り口で手招きして真斗を寝室に来るように呼び、真斗は立ち上がると寝室へ入り導かれるがままパソコンが置かれたデスクの傍の椅子に座った。パソコンの画面を見て一番に目に入ったのはグランドピアノで、それはどこかのホームページのようだ。
    トキヤは真斗の隣でマウスを動かし順に説明していく。
    「調べたところスタジオで録音するのが良いのかと思い色々検索してみたらここを見つけたんです」
    そこはグランドピアノがあり録音機材も揃っている上CD製作までスタジオに常駐するプロの人にサポートしてもらえるスタジオで、電子ピアノと自分の歌声だけでやってきた真斗にぴったりではないかとトキヤは思い真斗に紹介した。予約カレンダーを見ると来月以降になってしまうがそれでも良ければとトキヤは言いながら真斗を見た。
    「トキヤ……俺のためにずっと探してくれていたのか?」
    「ええ。言ったでしょう?私は真斗を応援していると」
    そう言いながら、何でもしてしまうことが応援ではないことはトキヤ自身も分かっている。本来であれば自力ですべき事も沢山あるし、きっと世の中の真斗のようにアーティストを目指す人は自分の力でこういうこともこなしていくのだろう。分かっていてもトキヤには真斗を後押ししたい、トキヤに出来ることは出来る限りやってサポートして真斗の歌を沢山の人に聴いてもらいたい、そんな願いがあった。
    「すまない……俺自身の問題なのに」
    せめて予約などは自分ですると真斗はスタジオの連絡先をメモし、予約時に聞いておきたい質問を箇条書きしていく。その様子をトキヤは何も言わず微笑んで見守っていた。
    次の週末、携帯を持たない真斗はトキヤに携帯を借りてスタジオへ電話をする。パソコンの画面を見ながら予約、必要なものや準備しなければならないこと、金額などを確認し、無事翌月の予約を完了した。人と電話で会話をしたことが年単位ぶりだった真斗は電話を切った後寝室のデスクの前で大きく息を吐いた。
    「緊張していましたね」
    「やはり電話越しは緊張するな……」
    「お疲れ様です」
    そう言うとトキヤは真斗が座る椅子の後ろから真斗を抱きしめ、出会った頃からは考えられないほどサラサラの髪に頬を寄せた。
    「一歩踏み出せたんです。今は自分を褒めてあげましょう?」
    そんなトキヤの仕草に擽ったさや照れ臭さを感じながらも真斗は身を任せた。顔はきっと真っ赤だろう、心臓のドキドキはトキヤに聞こえてしまっているかもしれない。
    (俺はトキヤが好きだ……)
    トキヤが好きで、トキヤを自分の歌で笑顔にしたい。トキヤのために歌いたい。トキヤを守りたい。
    「真斗、何か考え事でも?」
    「ああ、もっと精進せねばと思っていてな……」
    トキヤと俺は……兄弟のような存在……。トキヤにとって俺は弟……。
    その言葉を真斗は心の中で何度も繰り返した。
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