ホープフルウィザード寒色チャイムが鳴り響き昼休みの訪れを知らせる。教壇の前に立つトキヤの合図と同時に生徒たちが各々動きだして静かだった教室は一気に騒がしくなり、トキヤは擦れ違う生徒たちと挨拶を交わしながら教室を後にした。教科書や愛用の筆をまとめた荷物を準備室に置いて部屋に鍵をかけると向かったのは屋上。そこにはまだ誰もおらずトキヤは柵にもたれ掛かると中庭を見下ろした。
(あぁ……今日もいらっしゃる)
中庭はベンチなどの休めるスペースが多く生徒たちの昼休みの憩いの場になっているだけでなく、先生たちもそこで昼食を取ることも多かった。トキヤが見つけたその人もいつも中庭のベンチで手作り弁当を先生に振る舞って昼休みの楽しい時間を過ごしていた。
モノクル越しに見えるその人は今日も艶やかな髪を風になびかせて同僚であるセシルと歩いている。
(聖川先生……)
彼に惹かれたきっかけはこの学園に赴任したばかりの頃、トキヤと真斗が同じ年度からこの学園の教師になった時だった。生徒となかなか上手くいかないトキヤに対して真斗はすぐに生徒たちと打ち解けていたため何か参考になるのでは……そう思い観察し始めたのが、気付けばトキヤは彼に惹かれていた。優しく気遣いができ、真面目で堅物かと思いきや時には冗談も言う、生徒から人気の聖川先生。
トキヤはいつも遠くから見ているだけだった。教師同士なのだから勿論業務上の会話はあるがそれだけ。きっと冷たい奴だと思われているだろう。それに遠くから見ているだけでトキヤは満足だった。自分といるよりもずっと感情豊かな真斗の姿を、今日もトキヤは屋上から見下ろしている。その時だった。
屋上の扉が開く音がしたためトキヤは慌てて物陰に隠れた。やってきたのは数人の女子生徒だった。教師であれば何をしていたのかと聞いてくる者もいるため面倒と思い隠れたが生徒であれば自分をわざわざ自分を止めることもない。トキヤは平静を装い出ていこうとしたが彼女らの会話の中に出てきた名前で動けなくなった。
「それでね、隣のクラスの子が聖川先生に告白したんだって!」
「えぇ!?聖川先生に!?」
(え……?)
トキヤは全身が震えた。顔からはずれてしまいそうになったモノクルを支えて俯く。
「それでそれで?」
「上手くいったわけないでしょ……聖川先生、そういうの疎そうだし。それに教師と生徒だからーとかあの先生言いそうでしょ」
「それがね、そうでもないらしくて。先生、また改めて返事をするって言ったみたいなの」
こういった色恋ごとの噂は女生徒の間で回ってしまうスピードが異常なほど早いことと他に話す話題が無いのか彼女たちは昼食中その話をずっと止めることがなかった。
「もしかしたら先生オッケーしちゃったりして」
女生徒のその言葉と同時に予鈴のチャイムが鳴り、彼女たちは急いで屋上を出て次の授業の教室へと走っていった。
呆然と座り込んでいたトキヤが動けるようになったのは本鈴が鳴った時で、ゆるゆると体を動かしてその場にうずくまるとモノクルを外して今にも溢れそうな雫を乱暴に腕で拭った。
(私はきっと聖川先生によく思われていませんし、そもそも男ですし……なんて夢を見ていたんでしょう)
その時のトキヤにとって運が良かったのは、その日の担当授業が午後は無かったという事だけだった。ようやく落ち着いて歩けるようになったトキヤは準備室に置いていた荷物を取りに行き、教師用の寮の自室へと向かった。
乱雑に扉を開けて中に入ると目に入ったのは過去の自分が机の上で描いたもの。自分の魔法の力でふわふわと浮かぶ青い線は一人の男性が木陰に座っている姿で以前トキヤが自室の窓から見えた想い人の姿をしていた。トキヤがそれに向かって手を翳した瞬間に煙のようにふわりと消えていき、数秒後には跡形も無くなる。
早く、忘れてしまうべきなのだ。この想いは……。
長い間机を占領していたものが消え、トキヤはそこにモノクルを置くとベッドに寝転んだ。
つくづく自分は運が悪い。トキヤは自分の不運に大きく吐き出したい息を止め、動けずにいた。人があまり来ることのない奥まった階段はトキヤが一人で本を読みたい時にたまに訪れていたがよりによって今日は最も遭遇したくない先客がそこに向かい合って立っていた。
一人は女生徒。清楚、その言葉が似合う大人しそうな少女。そしてもう一人は……。
「先生、お返事を聞かせてください」
「約束だからな」
真斗だった。トキヤは以前屋上で女生徒が話していたことを思い出す。返事は改めて、告白してきた生徒にそう答えた真斗が返事をするのが今日でこの場だったとは……。トキヤはすぐに立ち去ろうとしたが足が動こうとしなかった。
「すまないが俺はお前の想いに応えることはできない」
「……そう、ですか」
「お前はまだ若い。それに魅力的な女性になるだろう。これから先俺などよりずっと似合いの相手に出会えると思う」
「ふふ、先生のそういうところが好きでした……分かりました。先生、ありがとうございます」
女生徒は微笑みながらもその大きな瞳には涙を溜め、失恋の涙を必死に堪えていた。礼をすると俯いて早足で階段を駆け上がり、その場には真斗一人が残される。真斗はふぅと大きく息を吐くと階段を降りていった。
(……良かった)
運が悪い中でも唯一良かったのは今トキヤが立つ廊下の方へ二人ともが来なかった事だ。ようやく息を吐き出したトキヤは階段で本を読む気にもなれなかったため自室へと戻ることにした。
窓際の机に向かい座ると窓の外に見えたのはいつも通りの夕方の中庭。オレンジ色に染まる木々、その一つの木にもたれ掛かり座る真斗が編み物をしている。今日はなにやら口ずさんでいる様子が動く口元から取れた。
(叶わない恋かもしれない。それでも私は……。)
トキヤは愛用の硝子ペンを手に持つと青のインクで描く。
微笑みを浮かべて編み物をする真斗の絵はふわりと机の上に浮かび、トキヤは満足そうに微笑んだ。
(一ノ瀬先生はいつ……俺に会いに来てくれるのだろうか)
トキヤの視線に真斗がとうの前から気付いておりその日が来るのを待っていることをトキヤが知るのはまだ先の話。