高めよ、さらば得られん「神戸警部の行動力にはいつも大変驚かされます。自分もああいう、かっt…いえ、果断な行動力を心掛けたいと思います」
「加藤警部補の身体能力には目を瞠るものがあります。格闘にも優れ、高所作業にも耐えるずば抜けて頑健な肉体は警察官の資質として貴重なものです」
現在犯罪対策本部準備室のソファースペースで、神戸大助と加藤春は背筋を伸ばして向かい合っていた。
「なんです、あれ?」
亀井新之助は清水部長にそそっと寄って小声で尋ねた。
「研修の課題だよ。働き方改革の一環で、相手のいいところを言葉に出して褒め合って、コミュニケーションを高めるっていう。警察は減点主義で悪くすると足の引っ張り合いになるからね。その辺の意識改革を狙ってるみたい」
「へ、へえ……」
「必ずペアで参加するのが条件で、うちからも、ってお呼びがかかったんだけど、うちでペアになってるのはあの二人だけかだからね」
「そうっスね……」
亀井は自分にお鉢が回ってこなかったことに胸を撫で下ろした。
神戸家の御曹司として公の場で賛辞を述べる場面に慣れているらしい神戸はそれなりに口が回っているが、加藤は頰が引き攣っている。
「神戸警部は、金に物を……いえ、私財を投げ打ってでも犯罪撲滅に尽力しており……」
それじゃあ当てこすりですって。亀井は額に手を当てた。
見ちゃいられない。聞いてられない。イヤホンで塞いで違法AVの監視業務に没頭したいが、加藤の横顔が目の端に入って来る。
「あの、加藤さん、ちょっといいスか?」
余計なことと知りながら亀井は加藤に耳打ちした。
「無理に褒めるんじゃなくて、ちょっとでもいいなと感じるところを引き伸ばすんですよ。前に合コンで女の子を褒めるテクを教えたでしょう? あれとおんなじ感じで……」
「神戸を口説けって言うのかよ?」
「しっ、しーっ」
向かいのソファーで神戸がピクッと形の良い太眉を跳ねあげた。亀井は口を出したことを後悔した。
「でも理論はいっしょス」
ね?神戸さん? 助け舟を求めたが、ス……とフラットに戻った眉の下の視線は冷たい。
「あと、できれば部屋の外でやってもらえると……」
亀井の背後で、佐伯まほろと湯本鉄平がうんうんとうなずいている。
「わあったよ、神戸、場所変えようぜ」
二人は素直に出ていき、亀井はほっと肩を落とした。
「……あ」
「どうしたんです、亀井さん?」
ひょいと佐伯が振り返った。
「一個言い忘れちゃったんだけど、まあ、いいか」
会議室を取るほどのことでもない。今日は風が強くて屋上には出たくない。それなりにリラックスできて他の人に聞かれない場所となると、神戸のベントレーの中になった。かといって、運転しながらでは危険だ。しばらく停めていても迷惑にならない場所に移動した。
「だからって、なんで勝鬨橋のたもとなんだよ?」
「俺がお前に惚れた場所だからだが?」
ニッと笑いかける顔は、勝鬨橋から落ちて行く加藤を見下ろしていた顔と同じだ。
「うっ、ぐっ」
加藤は詰まった。
そういうことかよ。亀井が余計なアドバイスするから妙な流れになっちまったじゃねえか。
つまり、口説き合いで勝負だ。しかもすでにゴングは鳴らされ、先制パンチを食らってる。
「惚れたって、どこに…ですかあ?」
語尾が上擦った。
「コブラからワゴンに飛び移った跳躍力と犯罪者であっても人命を尊重する姿勢にだ」
「自然に身体が動いちまうんだよ」
「まさにヒーローだ」
にへらと頰がゆるんだ。
……って、デレてる場合じゃねえ。俺も反撃してポイントを取らないと。
「俺はお前の背中に惚れてる」
「背中?」
神戸が食いついた。よし、俺のターン。笑え、俺。笑えって。
「いつもビシッとしてて、スーツも決まってるし、カッコいいなって」
「ふ……む……」
まんざらでもない様子だ。
「神戸はしょっちゅう勝手に先を行っちまうけど、お前を追いかけているときはいつもお前の背中を見てる。お前の背中がまっすぐなら、俺も進めるって……」
自然と笑顔になっていた。
あれ? 俺、神戸をこんな風に……? そうか、これが亀井の言っていた引き伸ばしか。
「俺は加藤家直伝の料理は最高だと思っている」
お、おお。そこを攻めるか、神戸大助。敵ながら絶好の一手だ。ポイント高え。
「そうか? いつでも作ってやるよ。この間田舎からいろいろ届いたからさあ」
俺も言わなきゃ。
「俺は、神戸の大胆な発想にはほんとうは感心してたんだ。常識じゃ思いつかない。あ、これ悪口じゃねえぞ? 本気だから」
ふ。神戸の顔が柔らかくなった。っしゃああ! 高ポイント獲得!
「俺さあ、やっと気づいたんだけど、男として神戸に惚れてるみたいだ」
「……!」
神戸の瞳孔が開いた。反撃はないのか? なければ、俺の……。
「本気か?」
「本気、だ」
あれ? おかしな流れになってるな……。自分の発言を振り返ってみる。俺たちは研修の課題をやっていたわけで、告白大会をしたかったわけじゃ……。いやいや、神戸だって俺のいいところの引き伸ばしをしてるだけで……。
「か、課題はこのぐらいでいいんじゃねえの? どうせ研修会場でも似たようことやらされるし、あんまりやりすぎると白けちまうし」
「そうだな」
神戸はニコリと笑いかけた。綺麗な笑い方だ。こいつこんな笑い方もできるのか。
「ではこれで終了にしよう」
運転席から神戸が身を乗り出してきた。
「え?」
黒手袋を嵌めた神戸の手が加藤の頰を包む。虚を衝かれて半開きになったまの唇に神戸の唇が重なった。
えええええ??
「くだらん言葉遊びはここまでだ」
ここから先はボディーランゲージでやり合おうか。
信じられない囁きが鼓膜に響いた。
待て待て待て。外はマズい。せめて屋内に……。て、そういう問題なのか?
惑乱しているうちに二度目のキスが降ってきた。歯の間から割り込んできた舌に自分の舌が触れる。
甘い。
唾液を甘いと感じる相手とは身体の相性がいいらしい。って、これも亀井のエロ知識じゃねえか。
ああ、ちくしょ……。俺の負けだ。
加藤春は神戸大助の首筋に手を回した。
「亀井さん、さっき加藤さんたちに言い忘れたことってなんだったんですか?」
「あー、あれですか。勝負じゃないって言いたかったんですけど」
「褒め合いの研修に勝ち負けなんてないでしょう?」
「そうなんですけど、ほら、加藤さんて、変に神戸さんと張り合いたがるでしょ? 俺のほうが、俺のほうが、て、熱くなり過ぎるんじゃないかって」
「大丈夫じゃないですかあ? 二人とも大人なんだし」
佐伯まほろは呑気にクッキーを齧った。
「そうっスね」
亀井新之助は考えるのをやめた。