鳥類的"sexual"コミュニケーション【サンプル】『清く正しい性行動』
……果たして本当にそんなタイトルだったかは覚えていないが、おおむねそんな感じの文言が題された薄っぺらい書物を、青少年期に読まされたことがある。内容の四分の一程度はなるほどと頷ける感じで、四分の三は当時の自分でも奇妙だと思えるくらい、おかしな事柄の陳列だった。じっさい、周囲の連中と笑いながら読み捨てていた気がする。
当時の自分にとって、面白くも必要性もなかったその書物の内容は、結局かけらほどしか記憶として残っていない。しかしエリジウムは、十数年後の自分のために記憶しておくべきだったと、まさに今、頭を抱えるほど後悔していた。
「普通でいい」
そう言ったのは、ここロドスで出会ったエリジウムの友人で――そしてつい先月交際相手というものにもなった男、ソーンズだった。
エリジウムは、彼との性行為については絶対的に必須なものとは思っていなかったが、自分がソーンズを抱きたいと考えていることは自覚していたし、加えてソーンズもそれを望んでくれていることを知り、そうして二人で夜を過ごすことが決まった。
決まったはいいものの、エリジウムはそれから、いずれきたるその行為に頭を悩ませてばかりいる。確かに、行為の進め方や配慮事項などをおそるおそる訊いたエリジウムに、「普通でいい」と彼は言った。言ったが、普通とは――彼にとっての普通とは、何だろうか。
(だって、ソーンズ、絶対、経験豊富でしょ……)
一見堅物なようでいてジョーク好きなひょうきんなところがあるし、彼の芯のあるところや時折見せる抜けたところは、エリジウム以外にも何人もの老若男女を魅了させてきたはずだ。とすれば、交際相手やそういう相手だって、それなりにいてもおかしくない。
事実エリジウムだって、彼のことを好きだと自覚してから二、三度ほど、訓練後のソーンズの、汗が流れるうなじや鎖骨に見惚れたり――見惚れているフェリーンやリーベリを見かけて思わず嫌な気持ちを抱いたりしたことがある。
そもそもの話、こんな大男に抱かれてもいいと言いのけるくらいなのだ。少しの動揺も見せずに。彼の度胸や無謀さを加味しても、それだけではない何かが――経験とか自信とかが――その背景にあるのは確実だった。
(ソーンズの……普通……)
経験が豊富であれば、行為の中身だけでなく、セックスを始めるための環境や雰囲気にもこだわりがあるかもしれない。もしこだわりがないとしても、経験値でソーンズに劣るだろうエリジウムが可能な限り努力を重ねられるのは、技巧よりもきっと雰囲気作りだ。
そして肝心なのは、体力。経験の豊富さとも相関があるかもしれないが、そもそもソーンズはエリジウムよりも体力があるはずなのだ。はず、というのは正確な値として見たことがないためで、それでもエリジウムはソーンズが戦闘任務の後にバテている姿を見たことがないし、前衛という職分からしても彼の体力については墨付きのものだろう。
そんな体力をもってして、今までどんなプレイを――などということに思考をやり始めて、エリジウムは慌てて首を振った。彼の過去の諸々に嫉妬していても仕方がない。今、彼との距離を沈むほどに近づけ、その素肌を撫でていいと許されているのはエリジウムただ一人だ。そしてこの権利は、当分手放すつもりはない。
それならば、エリジウムはできることをやるだけだ。ソーンズにとっての「普通」の推測を行い、それに基づいて準備をしていく。道筋は見えている。険しい道だが、それでも最善は尽くせるはずだ。
そうしてエリジウムは、ソーンズとの最善の性行為を目指し、まるで青少年期のように漲らんばかりのエネルギーで遥かなる旅路を走り始めたのである。
(サンプルここまで)