ヘーゼルの花未だ時折雪が空から降り注ぐ1月だった。体内の熱で温まったまま外へと吐き出される息は白く、外気によって霜焼けになった指先は冷たい。温かな息をはぁ、と赤が滲んでいる指へ贈る。先程ファンから貰ったヘーゼルナッツのキャンディを口の中に放り込んだ。シブヤの街は今日も平和で、人々はいつもとなんら変わらない日々を送っている。クリスマスが過ぎ、あんなに明るかったイルミネーションが撤去されると、途端に街の主役が雪へと変わる。地面はスケートリンクの氷のように滑りやすくなり、きっと転ぶ人も出てくるだろう。そう思いながら飴村乱数は人の混み合うスクランブル交差点を渡る。首に巻いたマフラーには白い雪が着いていて、触れるとすぐに溶けてしまう。溶けた雪は水となってさらに体の体温を奪っていく。正月も終わり、お祝いムードの欠片も見なくなったシブヤは確かにいつも通りだ。しかし飴村にはそれが少しだけ寂しく感じた。
"アメムララムダ"がどうかは知らないが、少なくともFling Posseのリーダーである飴村は割とパーティなどのお祭り騒ぎは好きな方だ。どんちゃんと騒いでいるとまるで自分が普通の人間のように思えるし、仲間達といると独りじゃないと実感することが出来るからだ。たった数日、数週間の世界共通の祝いごとで幸せに笑って楽しむイベント、それが過ぎ去ったときには寂しさを覚えるのも無理はないだろう。それがもし、遺伝子レベルで操作されていたものであったとしても飴村自身がそれでいいと思っているため、特に不快感を感じることはなかった。
街を歩いているだけで乱数ちゃん、乱数、乱数くん、などと老若男女問わず声を掛けられる。それら一人一人に一言ずつ返しながら白いシブヤを歩く。
「らーむだちゃんっ」
飴村の背後から低い声が鼓膜を刺激した。この声の主を飴村はよく知っている。ああ、よく知っているとも。
「…なんだ、天谷奴。わざわざ俺に何の用だ」
後ろを振り向きながら飴村より遥かに大きな背丈を持つ天谷奴を睨み付ける。普段から羽織っている黒のファーコートは至る所に雪が着いていて、まるで大きな豹のように見えた。サングラスを額に上げてオッドアイを覗かせながらひゅう、と口笛を鳴らす。
「何の用っつってもなァ、たまたま見掛けたから声掛けただけだぜラムダちゃん」
「お前の言うたまたまなんて信じられるか、本当は何でここに来たんだよ」
「ったくぅ、つれないねェ。ほいこれ」
天谷奴が懐のポケットからぽち袋を取り出す。デザインはオオサカ限定で販売されている白膠木簓のマスコットが書かれたもののようで、可愛いのか可愛くないのかよく分からないキャラクターだった。飴村が少し警戒して天谷奴を見ていると手を出せ、と言われる。渋々天谷奴の前に手のひらを出すとその上にぽち袋を置かれる。
「これ、おいちゃんからのお年玉な。あけおめことよろ〜ってな」
いつもの飄々とした様子で片目を閉じてウインクをする。飴村はそんな表情など興味がないようでぽち袋に意識が移っていた。あまり重さを感じないぽち袋に違和感を感じながら袋を開ける。
「…なんだこれ」
「ン?おいちゃんの連絡先。トップシークレットなんだぜ」
普通のお年玉のように金銭が入ってはおらず、かといって昔の風習そのままのように割った鏡餅が入っているわけでもなく、ぽち袋から姿を表したのは電話番号とハートのマークが書かれた紙切れ1枚だった。飴村は別に金銭を期待していたわけではない(そもそも天谷奴から貰っても全く嬉しくない)が、そこはかとないがっかりとした感覚があった。
「…ァはっ☆オジサン知ってるー?お年玉ってお金入れるんだよっ?もしかしてボケてそんなことも忘れちゃったのかな?☆」
がりっと奥歯で口の中でころころと転がしていたキャンディを噛み砕く。苛つきのようななんとも言えない感情が飴村の心を走り回る。
「ンなこたァ知ってるさ、でもそれはどんな金よりも価値のあるもんだ。なんせ天才詐欺師のモノホンの連絡先なんだからよ、分かるだろ?ン?」
それはそれは価値のあるものだろうと素直に納得する飴村ではない。何となく感じたがっかりとした感情を胸にぽち袋をくしゃりと丸める。本当に此奴と会ったらろくなことがない、と溜息を吐きながら天谷奴の方をじと、と見つめる。天谷奴はくすくすと肩を揺らして笑いながら飴村の肩を抱き寄せる。
「そんな顔すんなって、ほんとのお年玉やるからよ」
「別に要らない、アンタから貰っても使わないからな」
「ったく、可愛くねェなァ…」
肩に置かれた手を飴村が払うと大人しく天谷奴の腕が離れる。少し肩を竦めた天谷奴がチョコレートを取り出して口に挟む。そのまま飴村へと口付けて舌をねじ込めば口内の中にチョコレートを置き去りにする。突然の出来事に飴村が反応出来ないでいると口内にカカオの香りとヘーゼルナッツの風味が広がった。甘いキャンディと甘いチョコレートのコンボは天谷奴にとっては少しキツかったらしく、眉を寄せつつ舌を出す。
「うっへ、甘ェ〜…お前さん飴も食ってたのかよ」
「っな、お前何してくるんだ…!…オジサンここ外だよ〜?ボクのこと好き過ぎて我慢出来なくなっちゃった?ゴメンね〜?ボクオジサンのこと嫌いだからこういうの嫌だナ〜ッ!」
流石に大声を出すことを控えたようで猫を被りながら天谷奴に向かってメッ、と鼻先へ指を突く。天谷奴は目を細めながら未だ僅かに甘さの残る唇を指で撫でる。
「ァっはは、おいちゃんは乱数ちゃんのことだーいすきなのになァ、残念残念」
「お前に好かれても嬉しくない、さっさとオオサカに帰って父親ごっこでもしてろ」
段々と天谷奴の相手が面倒くさくなってきたのかあしらい方が適当になり始める飴村に天谷奴は残念そうに背を向けて手を振る。
「そんじゃ、お言葉通り家族の真似事でもしてくるわ。良いお年をな〜」
天谷奴は人混みの中に消えていく。口の中には甘いチョコレートの味だけが残った。
「帝統、寝てばっかりいないで鍋の手伝いをしてください。」
「んにゃー…めんどくせ〜…」
「なら貴方の分だけお鍋はなしですね。本日はせっかく高い肉を買ってきたというのに」
「高い肉!?よっしゃ!喜んで手伝わせて頂きます〜!」
夢野の家でシブヤの3人が炬燵に入って鍋を囲む。冬の寒い時期といったら鍋だろうと有栖川が言い出したため今日は急遽鍋パーティになった。飴村は自分の皿へ鍋をよそう。夢野と有栖川の会話を聞きながら楽しそうに目を細めていた。
「本日の特集はヘーゼルナッツ!最近チョコレートやキャンディなどで人気が出てきています!」
バラエティ番組ではヘーゼルナッツ特集というものが放送されている。榛色の実や黄色の花がVTRで映し出される。3人でその番組を見ているとふと夢野が思い出したように口を開いた。
「ああ、そういえばヘーゼルの花言葉は仲直りや和解という意味があるらしいですよ。最近の若者は喧嘩した際にヘーゼルナッツのお菓子を送るのだとか」
「へぇ〜、なーんかませてんだな、最近の奴らって」
「えぇ〜?帝統ちゃそんなのも知らないなんて遅れてるんですけど〜?マジ卍でおじゃ〜」
「いや、JKっつーよりそれギャルだろ…」
2人の様子を眺めながら飴村はふと思い返す。ヘーゼルナッツのチョコレート。
「……まさかな」
流行りに敏感な男だろうからただ若者の流行りに乗っただけだろうと自分を納得させる。天谷奴が仲直りや和解など、そんなことを自分に隠して送ってくるはずがないと思っているからだ。
「でももし、そうなら…」
小さく独り言を呟きながらポケットの中の丸まったぽち袋を取り出す。テレビの中のヘーゼルの花が風に揺れていた。