welcome「ねぇヤギヤマ、それやめてよ」
「それってなんだよ」
カズサの不機嫌な声に、振り向きもせず尋ね返したのを僕は何ひとつ悪いとは思っていない。
何故なら──
ほんの数分前に、今日も今日とてと慣れてしまった自分に少しの辟易をしつつ、それでも突然やってきたカズサを文句のひとつも言わず部屋に迎え入れたのは他でもないこの僕だからだ。
だというのに、当のカズサはどこに不満があるというのか。
「その体勢」
「あ?」
体勢、とは、僕のこの、ベッドにうつ伏せてスマホを見ているこの体勢か?
「僕が僕の部屋でどう寛ごうが勝手だろう」
今度も振り向かないまま答えると、次に聞こえたのは聞こえよがしの大仰な溜息。
それから──
ベッドの、軋む、僅かな音、と──
「困るんだよ、それ」
ざらっとした、カズサの、声。
響きの元は、後頭部の、すぐ、上。
「だってよ、いくらお前でも、この状態で俺が乗ったら──抜け出すの、難しいだろ?」
じわりと背中に伝わったのは、カズサの体温。そして、背後から握られた両手首。
「ヤギヤマにその気が無くても俺はヤギヤマが好きだからね、その気になって止まらなくなったらどうすんの? って話だよ」
耳にかかる吐息は仄熱く、声は、小さく、低い。
今はまだ、身体にかかる重さも、手首に感じる力も、決してそれらの全てでは、無い──だが……
そう、だな、カズサの言うとおりだ。
「うんうん確かにそうだなぁ、仰向けならお前に馬乗りになられても、隙を見て耳を噛み千切ったり鼻目掛けて頭突きをするなりの対処法があるけど、後ろからだとそれらも使えないしなぁ」
「うんごめん聞いただけでどこがとは言わないけどヒュンてしたから今すぐ退くわ!」
微動だにしないままの僕の言葉と同時に手首は解かれ背中が冷えた。
だがベッドはまた、先より少し大きく軋んだ。カズサが完全にはここから降りず、縁に腰かけたからだ。
「んでも気ぃつけてってことよ、俺何すっか分かんないからねー?」
くしゃりと撫でられる後頭部の髪、その手のひらは──熱い。
僕はまだ動かなかった。
「……ヤギヤマー? 意味分かんないのー?」
「僕は分かってるよ」
「だったら起きなさいってば」
体勢を変えない僕に痺れを切らしたらしいカズサの声はまた不機嫌気味だ。
だけど僕はまだ、動かずに、
「分かってないのは、カズサの方だろう」
そう言ってやった。
僕が見つめているスマホの画面は少し前から真っ黒、それに気付いていないあたり、カズサはまだまだ僕を、分かっていない。
少しの沈黙の、あと──
また聞こえたベッドの軋む小さな音、それから、背中に伝わる、熱。
「……ねぇ」
耳に掛かる吐息が、さっきよりも熱くて──腹の奥が、じくりと痛んだ。
「もうすこー……し、分かりやすいお誘いだと、俺は嬉しいんだけど、な?」
「ならしなくていいぞ」
カズサの手はもう、僕の手首を掴まない。代わりに触れるのは、服の裾から滑り込ませて素肌の脇腹。
「するよ、滅多にないヤギヤマからのお誘いだし、俺もしたいし」
「なら文句言うなよ」
「文句じゃなくてお願いだって」
スマホをベッドの端に避けたところで、頸に唇が当てられた。
「ねぇ」
「なんだ」
「やっぱこっち向いて、顔見たい」
首筋に吸い付きながらのカズサの声は、相変わらず低くてざらついているくせに、甘ったるい。
仕方のないやつだ。
こいつがやろうとすれば、僕くらいいくらでも自力でひっくり返せるだろうに。
狡いもんだなと思いつつ、だけどそれはお互い様だなとも自覚しているから──
僕は素直に身体を回して、満足そうに目尻を下げているカズサの頬を撫でてやった。