無題「入るぞ」
ノックと共に廊下から声がかかり、返事をする。
宿の自分の寝床に横たわる女の子の姿を見て、ブネは絶句した。
今回訪れた村はバルバトスが以前来たことがあり、特に親しくしている人がいた。知り合った頃は元気だったが身寄りがなく、バルバトスを兄のように慕っていた。
今は脳が病に冒された影響で意識がないが、体はまだ生きているらしい。回復する見込みはなく、医者も完全に匙を投げている。死んではいないが、元の生活に戻れるわけでもない。ずっとこのままなら、還らせた方が彼女にとっても良い。そう考えて、自分がやると申し出た。
ひと通り説明すると、この村に来てからやたら一人で行動していると思ったら、とブネは呆れてため息をついた。
できることなら見せずにいたかったが、あまり不信を買いすぎるのもよくないと考えて、モラクスが寝てから部屋に来るように頼んでいた。
「なんでオマエがそんなこと」
「約束したんだ」
「だからってオマエがそんな無関係な奴の死まで関わることがあるか」
ブネが凄むように言う。元から怒りっぽい方だとは思っていたが、ここまで自分を気遣うことを言うのは予想外だった。一応は仲間になったが、素性が知れないと疑っていてもおかしくないのに。
あるいは、彼もかつて誰かの死を負ったことがあるのかもしれない。彼が軍団長だったのかは知らないが、メギドなら身内の戦死など日常茶飯事ではある。
「どうしても殺さなきゃならねえなら俺がやる」
「それはだめだ」
「あん?どうせコイツにとっては分からんだろうが」
「それでもだめなんだ。俺が許せないから」
「……じゃあ、俺も一緒について行く。いいな」
「分かったよ」
毒を食らわば皿までという言葉がある。やるならモラクスが眠っている今しかない。
女の子を抱えようとしたら、横からひょいと奪われた。仕方ないので部屋のランタンをとって外に出る。
静まり返った暗闇は
「話の内容よりも俺と話すのが好きみたいだった。全く、モテる男はこれだから困る」
ブネの物言いたげな視線を無視して少し先を歩く。
「何週間か滞在したあと別の村に行くと言ったら、よっぽど俺についていきたがってたな。はっきりとは言わなかったけど
大人になったら俺みたいに各地を旅したいって。そしたらまたどこかで会えるかもしれないって」
「今回村に訪れたときには病床に伏していてね。まだ意識があったんだ。まさかまた会えるとは思わなかった。夢みたいだって」
自分が見た目より長く生きていることがバレてややこしくならないように、適当に端折りながら彼女の話をした。
村の外れの森に差し掛かったところで足を止める。
ある程度ひらけた、土が柔らかそうなところを探してブネに女の子を下ろしてもらう。
懐からナイフを取り出して心臓にあてがう。銃を使ってもよかったが、確実に殺してやれる自信がなかったし、何より音を立てるのはマズイ。
「あんまり見られるとやりにくいなあ」
「共犯者だ」
「え?」
「いいから、そういうことにしとけ」
深呼吸する。夜の森の空気を肺いっぱいに吸うのは存外悪くない。目の前の状況を除けば。
手が、いや身体ごと震えが止まらないのを誤魔化すように、ひとおもいに突き刺した。
遠くから聞こえた、埋めるのは俺がやるという声に返事をしたか定かではない。気が付いたら彼女の姿は見えなくなっていた。
感触の消えない手を合わせて、ただ俺は自然と言葉を口にしていた。
「魂よ、安らかなれば大地に還り、豊穣の恵みを――」
翌朝、酷い顔でバルバトスが一階の酒場におりてきた。一睡もできなかったと見える。
モラクスが心配して声をかけると「ごめんね。俺は大丈夫だから」と力なく笑うので、ブネは思わず壁を殴った。びっくりして音のした方を見る二人。
「ちょっと、そんなことしちゃ」
「うるせえ」
ヒビが入って一部が崩れる壁に見向きもせず、バルバトスから視線を外さない。彼と彼にそうさせてしまった自分への苛立ちでごちゃ混ぜになっていた。そのままバルバトスの胸倉を掴む。
「おいおっさん!」
「どうしたんだい急に。モラクスが怖がるだろう」
「オマエがシラを切るのが悪い」
「分かったよ、やめるから下ろしてくれ」
降参だと両手をあげるバルバトスを放してやると、モラクスが彼の顔を覗き込んだ。
「……嫌な夢でも見たのか?」
「そんなところさ。ちょっと眠れなくてね」
「美味いもん食ったら元気になるぞ!肉とか!」
「ふふ、そうだね。ありがとう」
「……オマエ、今までもずっとそんなことやってきたのか」
昨晩。「ソロモン王と出会えていたら、メギドの力で救えたかもしれない」と後悔を顔に滲ませていたバルバトスを思い出す。そうやって背負い込むのは今回が初めてではないのではないか。
「それは心外だなあ。今回はちょっと失敗しちゃったけど、いつもはもっと上手くやってるよ。まあ、一人旅だと融通がきくからね。多少やらかしても何とかなるのもあるけど」
ついいつもの癖で動いちゃった、二人に迷惑かけるわけにもいかないし次から気を付けるよとバルバトスは肩をすくめた。
「おーい二人とも、早く飯にしようぜ!」
この吟遊詩人は何も分かっていない。普段あんなに頭が回るくせになんで自分のことには極端に疎いんだとブネは吐き捨てた。