西武門 永利の後日談◇
0とは、物事に終わりを告げるカウントダウンである。
◇
精神科の開放病棟での生活が始まってから、1〜2週間が経った。それ以前の閉鎖病棟での記憶が曖昧だけれど、担当医師である彼が言うには、今の自分の精神状態は比較的安定しているらしい。玲子も、それを聞いて安心してくれた。
…でも、あのせんせい、きょうも喋ってくれなかったなぁ
「……相変わらず彼は君の話を聞かない。けれど、悪い人では無い…対応は丁寧な人だから」
もう、お兄ちゃんまたおとなぶってる
「…そういう玲子は、相変わらずだね」
おとうさんとおかあさんにも会いたいのに、まだ退院できないなんて。ふしあなだよ、あの先生
「……あぁ、そうだな」
玲子の言葉の端々に感じられる苛立ちも、僕にとって理解できないものでは無い。
僕らの両親は既に故人で、それぞれ大人になった今に会うことは出来ない。しかし、兄妹で生き別れた後も、それぞれ墓参りは欠かしていなかったらしい。僕ら兄妹にとって両親に会うと言うことは、墓石と対面するのと同義という共通認識だった。
僕は零課での仕事もあり、最後に両親に会ったのは昨年の夏以来だったと記憶している。せっかくこうして2人が揃ったのだから、父さんや母さんにも報告をしたい。というのが、玲子の言い分だった。
「彼が言うには、程なくして退院は出来るけど、経過観察期間があるらしい。……仕事に戻る前に、時間を取ろう。それでいいだろ」
「……玲子?」
お兄ちゃん、私いま、うん。って言ったよ?
「………ごめん、聞こえてなかったみたいだ」
もう、しっかりしてよね
最近、このように玲子の声を聞き逃してしまうことが増えた。歳を考慮するにはまだ早いと思っていたが、あながちそうも言っていられないのかもしれない。
「……そういえば、今日は零課のみなさんがお見舞いに来てくれるらしいよ。だから、」
殺して
「………玲子、」
あの人、殺してよ、お兄ちゃん
「…………」
お兄ちゃんは、私が一番大切でしょう?
「…当たり前だよ」
私に種を渡した、あの人より
お兄ちゃんが助けようとした、あの人より
私を殺した、あの人より
私より、 あの人たちが大切なの?
「…………れいこ」
守りたいの? いまさら?
「………………………」
嫌な汗が滴れる。皮膚の裏側に巣食う何かがゾワゾワと蠢き、見えないはずの景色がフラッシュバックする。記憶が、戻る。
◇
目の前で、かつての同僚が枯れて散った。庭師の事件に、終止符が穿たれた瞬間だった。
懲りもせずに雄弁を語り続ける男を拘束する間にも、玲子は僕に絶えず囁いていた。
「名護 尚蘭を、殺して」
「お兄ちゃん」
「その男を殺して」
ギリギリとした頭痛がする。穏やかな玲子の殺す声に反して、殺す痛みは突き刺すようなも殺すのに変わる。殺す。
この空間にいる人が減った、彼は他方に意識が向いている様子だ。手の中の拳銃を握りなおす。
この事件は殺す終わってない。妹を殺したこの男を殺す許しておけな殺すい。僕殺すらを守ろう殺すとした貴方が殺す許せない。殺したい。殺して。殺す。
僕が、殺すんだ。
だから、冷静な僕はまず、自分の手の中にある拳銃から、薬莢のカートリッジを抜いた。
正気じゃない、わかっている。この感情/殺意は嘘じゃない。けれど、自身の塗り替えてしまうような狂気も、彼自身の嘘偽りない仲間への想いも、全部、この頭が理解してしまっている。
彼は、名護さんは、自分に殺されるべき人間ではない。僕の脳が出した結論はそうだった。
心象的な部分から、僕はこの3年間、名護さんの目を見て会話をする事が敵わなかった。しかし、零課での日常や仕事の場面において、僕が彼を悪人であると判断したシーンは一度だって無かった。記憶のない1年間と、それ以降の3年間を共に過ごし、そこで僕が見てきた彼は、どこまでも豪胆で、仲間想いだった。
「………許せないんですよ」
不意にポツリと、口から言葉が漏れた。
そう、僕は、名護さんを殺したいと思う僕が、何処までも許せないんです。
◇
「西武門(にしぶもん)さん?」
「…………」
「に〜さん?おーい」
気がつけば、目の前には謝苅チーフと、手を振る細崎くんの姿があった。
「あ、やっと目合ったっすね〜」
「顔色が優れない様子ですが」
「………いえ、お気になさらず。今日はご足労、ありがとうございます」
気にしないで下さい。と言う彼には、やつれた様子は見られなかった。今も零課のチーフとしての威厳は現在なようだった。口からキャンディの棒が伸びている彼も、自然体な姿は相変わらずで、別にいいっすよこれぐらい。と見舞品らしい袋をサイドテーブルに置いていた。
「……ところで、今日は名護さんも来ているんです。ロビーで足を止められてしまいましたが」
「俺が行ったら悪いと彼自身は言っていて、であれば、当人に確認を取ろうと思いまして」
「西武門さん、名護との面会は可能ですか」
「……名護さんが」
来ている。彼が、僕に会うためか。…彼とはあの事件以来、言葉を交わしていない。入院以前の、相模原さんの納骨の場面で会う機会はあったが、会話は無かった…筈だ。それが、彼自身の心境故なのか、又は、当時の僕自身が、聞く耳を持つことが出来なかったからなのかは、定かではない。
思い返していた端に、最後に彼が僕に投げた言葉を思い出した。
◇
『ああ、これが俺のできる最善だと思ってるさ。だから誰にとやかく言われようと変える気は無い。無いんだ』
『俺に反論する権利はない。それでいいんだ』
◇
僕は頭の中で、きっと彼は何処までも愚直に、その言葉を証明し続けるつもりでいるんだろうと察した。もし、僕が会いたくないと言えば、二言もなく了承の一言で終わる。切れかけた糸のような関係と言うのがお似合いだ。何処までも人を尊重する、彼らしいと思った。ここで彼との面会を断れば、互いに後を引かず、合理的な終わり方だろうと僕は考えた。その意図をチーフに伝えれば、自分から言い出さずとも簡単に糸を切ることが出来る。
だから、
「……………他人には、人の行動を縛るような強制力はありませんから。僕は特には」
切れかけの糸が、結び直される日が来るのか。不確定的な未来に賭けてみる事にした。
「……玲子はどうかな」
「………玲子?」
「……すみませんチーフ、妹は拗ねてしまったようで。返答は、先程の通りです」
「そうですか。……わかりました」
そう言うと、チーフは僕の病室から離れていった。
「なーさん、マジで頑固だったんすよ〜?テコでも動かないっていうか、あの体格だとマジで動かなそうですけど〜」
椅子に座った細崎くんは、足を揺らしながらそう呟いた。
「……細崎くんは相変わらず…だね」
「に〜さん、また言葉足りてないっすよ。その"相変わらず"の後ろには何が含まれてるんすか」
「…君の想像に任せるよ」
「あ〜!またそれっすか!じゃあ俺はプラスの意味で受け取りますからね!」
コクリと、頷いた時。病室のドアが開く音がした。見やれば………チーフが入ってきて、後ろには誰も居なかった。
「戻りました、……?可笑しいですね、後ろをついてきていたと思ってたんですが」
名護さん、とチーフがドアの方に声をかける。少し時間をおいて、彼の顔が枠の端から覗いた。
◇
ZEROとは、物事に終わりを告げるカウントダウンである。
0とは、偽と判断するプログラムである。
ゼロとは、愚者を意味するカードである。
同時に
零とは、慣用表現において始まりを表す表現である。
◇