カフェイン中毒お前は、不幸な子どもだった。
そう決めつける権利は誰にもないけれど、明智吾郎を幸福なひとだと呼ぶには、世界が能天気すぎた。有象無象の笑顔を否定するより、ひとりをつまはじきにした方が、みんなが楽なんだ。どうでもいいけど、ほんと最悪な話だよな。
幸福が何かを定めるのは簡単ではないけど、不幸なひとを探すのは楽ちんだ。足りてないひとは等しく「不幸」であった。いつの時代も足りなくなることを人間は恐れた。
きみには足りていなかった。親からの愛が、友と語らう時間が、それらを求めるだけの余裕が。誰かからもらうべき言葉をもらわないまま、ほとんどおとなになってしまった。
悲しいことに欠けを取り繕うのが、絶望的にうまいひとであった。簡単に気づかれないように隠して、心のあかぎれを非合法に癒してくれる奴を探していた。その瞳に、俺がたまたま留まったらしい。
そのたまたまは、袖が触れる程度のものであったのか。もっと劇的な、人々が求めてやまない奇跡なのか。
俺はお前のことを気に入っていた。
自分に欠けているものが何であるか、わかっているのに見ようとしない強情さが、特に。
だから正直なところを話すと、幸福な人間に生まれたお前に出会ったときに、興味を持てる自信がない。自分の幸せを疑うことすら知らないお前なんて、あまりにも別のひとだ。
なんでも、他人の不幸はとびきり甘いらしい。
彼からはいつも甘いかおりがする。優しいのは匂いばかりで舐めたら最後、舌に二度と忘れられない苦味が張りつく。
病みつきになるのは、甘さばかりではない。嗜好品として苦くて黒い水を好む物好きも大勢いるくらいだし。
人の痛みがわかるひとに育てられたからこそ─俺はお前の傷口にだけ、ぬるい珈琲をすりこむのだ。
◇◆◇
疑いようもなく、僕は幸福な王子ではなかった。それと同じくらい幸せになりたいと思ったこともなかった。
当たり前の何者かになっても仕方ないのだ。烏合の衆に成り下がるくらいなら、今の自分のままで死んでやる。幸せになりたいなら、死ぬしかない。
いろいろなことに興味をもつのは得意だった。顔についている目は、外の世界を見る。内側を見つめるのは、いくらでもできたけど好きか嫌いかでいえばあんまりだった。
見たくないものは内にも外にも転がっている。目なんてなければ、世界が美しいと思えたのだろうか。痛みがわからなければ、自分をしあわせと呼べたのだろうか。
ある日、光と目があった。久しぶりに「そういえば闇の中にいたんだった」と思い出すような、まばゆさが目に突き刺さった。
毎朝鏡に映る自分の姿と、その光が描き出す自分の影は少しだけ、かたちが違っていた。照らし出された肌と世界の境界が、白くて溶けてしまいそうで、自分ではないようだった。
僕は君が気に入らなかった。
自分の中の答えを出す前に、ひとの正解を探ろうとする無遠慮さが、なによりも。
むき出しの心臓がそばにいるみたく、君はいつでもいつまでも熱かった。近づく度に自分の身が焼かれているとはわかっていてなお、いつも離れどきを見失う。
妾の子に生まれたことは不幸ではない。
友に恵まれなかったことも不幸ではない。
知能があって、物事の分別がつくのも不幸ではない。
誰からも認められないことも、不幸ではない。
こんなにも、こんなにも飢えているのに、僕が満たされる日は二度とない。その理由は目の前にある。
僕は君と出会って、不幸になった。