どうしてこの腕に抱いてしまったのだろう。最初は、デカい動物に懐かれているような感覚だった。
それが、いつの間にこんな関係になってしまったのだろうか。
とりあえず。記憶している事から、順番に書いていこうと思う。
書いていくうちに、オレの中の気持ちの変化に気付けるかもしれない。
いや、まぁ。
変化なんて、どうでもいいんだけど。
「あれ? 幽助が女の子連れ込んでる!」
そう囃し立てるのが自分の実の母親なのだから、どうしようもない。
そんなはしゃぐお袋を一睨みし、よく見ろ!と小声で言う。せっかく寝ているのだ、起こすわけにはいかない。
「あら、美人」
ソファに座るオレの膝の上で眠る、その人の顔をお袋は覗き込み感嘆の声を漏らす。
「あんた、螢子ちゃんといい、面食いね。こんな美人を家に連れ込んじゃって、まあ」
「ちげぇーよ、バカ。男だって」
そう告げれば、お袋はこの人の体を見る。細く直線的な体。白いシャツから長い素足が伸びる。
「…男もイけたの?」
真剣な口調でそんなことをいうのだから、もうどうしようもない。
「ああっ!もう、何考えてんだよ」
「だって。彼シャツ着て、膝枕なんて、あんたコレは…」
「黙れ!」
何が、彼シャツだ。とりあえず、この勝手に妄想を膨らませ暴走する母親に、先ほど起きたことを話そう。
「急に、悪いね」
そう言って玄関のチャイムを鳴らしたのは、蔵馬だった。
時刻はまだ夕方になる前で、空は明るい。いつも通り例の玉を転がす遊びから帰ってきた時だった。蔵馬はたぶん学校帰りなのだろう。制服姿に学生鞄を持っている。しかし、その制服はそこかしこ汚れていた。そして何より、彼から発する鼻につく臭い。これは…
「おめぇ。怪我でもしてんのか?」
いや、これはオレの血ではないよ。と笑う。悪いけど、中に入ってもいいかな?と言いながら、蔵馬が一歩進む。オレは、おお。と言いながら、母のハイヒールの靴が散らばる玄関に彼を向かい入れた。
蔵馬の制服についた汚れ。それはやはり血痕で、赤黒い染みとなっている。鉄っぽい臭いがする。
「さっき帰宅途中に、面倒に巻き込まれてね。さっさと片づけたのですが」
失敗しました、ほら。と制服を摘まむ。
「まさか、返り血がこんなに飛んでくるとは…」
大きく溜息を吐くと、眉を下げて笑う。
「今までは家に母がいなかったので、このままでも帰れたのですが、退院してから母が家にいるんですよ」
まだ仕事には復帰していないんだ。と続ける。
「ちょうど君の気配がして、表札をみたら『浦飯』って書いてあるだろう。もしかしたら、と思って来てみたら、やっぱり君だった!」
だから、どうした。と思えば、制服を洗わせて欲しい。と言いだすのだから驚く。
「母さんを心配させたくないんだ。すぐ乾きますよ。天気もいいですしね」
それに、と続ける。
「帰りが遅かったのは浦飯君と遊んでいた。と言えば、母は心配どころか喜ぶと思うんですよね」
ニッと笑う姿。病院でみた細く優しそうな蔵馬の母親の姿を思い出す。そう言われてしまえば、家に上げない理由はない。結局、押し切られるように蔵馬を向かい入れた。
「面倒って…」と尋ねながら、オレみたいに町で因縁をつけられるような訳はねぇか。と思っていたのに、話を聞けばオレのそれと大差がなかった。
「霊界に捕まって執行猶予の身だからか、縄張り争いとかで妖怪がオレのところに来るようになりまして」
そう言いながら、その妖怪の血がついた制服を脱いでいく。
「まぁ。そんな理由で絡んでくるヤツなんて大したヤツではないんですが」
綺麗に片付いてくれない奴は面倒で嫌だね。と言いながら、制服のズボンも脱いでいく。
「以前の制服は黒かったから水浴びたりして、こういった汚れを落としても目立たなかったけれど、この色だと難しいね」と脱いだ臙脂色の制服を目線の高さに持ち上げる。
蔵馬は勝手に洗面所を探り当て、勝手に制服を洗いだした。洗面台のボールに溜まった水が、赤茶色に変わる。咽返るような血の匂いがして、洗面所の続きにある風呂場の換気扇のスイッチを入れた。
「オレがおめぇを捕まえたから、そういうケンカをふっかけて来るようになったのかよ?」
「オレが決めて行動した結果ですよ。君のせいではない」
それに、と続ける。
「以前からあったことです。それこそ、飛影と初めて会った時も、ほかの妖怪とやりあっていたんだ。状況が変わったのは、人間としてオレの方だけですよ」
そういうと「洗濯機を借ります」と手際よくそれを放り込み、迷うことなく操作をし、洗濯機で脱水を始めた。
「君が責任を感じることなんて、何もないですよ」
むしろ感謝しているし、こうやって厄介事を持ち込める場所が出来た。と言って笑うのだった。
ぱたぱたと風に揺れながら、ベランダに蔵馬の制服が干されている。
まあ、臭いがとれれば濡れていてもバレないか。と言いながら、夕方になるまでは干させてもらいますね。と言うのだから、蔵馬はしばらくこの家で過ごすつもりでいるらしい。
今日はお袋もどこかに出掛けているのか不在だ。蔵馬が居座ったところで、特に困るようなことはなかった。いや、家の中に他人がいる。ということに慣れていなくて、オレがどうしたら良いのかわからなくて、困った。いわゆる、友人が家に来る。なんてことが今まであっただろうか、いやない。我が家にきたことがある他人など螢子くらいだ。と螢子の姿を思い出せば、幽助には家に呼べるような友達なんていないじゃない?と呆れられる。あーソウデスネ。と頭の中にいる螢子に悪態をつきながら、リビングのソファに漫画本を片手に座ってみる。手持ち無沙汰なのである。普段ならベッドに寝転んで読むような漫画を、とりあえずソファで読んでみることにした。
すると、その横に、洗濯物を干し終わった蔵馬が腰を下ろした。制服の白いシャツだけ着た…いや下着とか靴下とは履いたままだ…蔵馬がそのソファに深く座り、手を伸ばし大きく伸びをする。
「ほんとうに、悪いね」
と悪いなんてちっとも思っていないような口ぶりで話す。
「別に、かまわねぇーよ」
と心の中では違うことで困っているけれど、そんな事は言わない。蔵馬を見ずに、漫画を読みながら答えている。それなら、よかった。という蔵馬の言葉のあと、オレ達の会話はなくなった。
窓の外から近所のガキンチョが遊ぶ声とか、車が通る音とか聞こえてくるほど、静かだった。オレは無心で漫画のページをめくっていく。暫くそれが続けば、漫画も読み終わる。次に読むものを用意しようと立ち上がろうとした時。肩にこつんと何かがあたり、重みを感じた。
視線を肩へと向けると、蔵馬の顔が間近にあった。
規則的に繰り返す呼吸の音。伏せられた瞼。オレの頬にあたる艶やかな髪の毛。
随分と静かだと思えば、どうやら寝ているようだった。
「まじか?」
これは、どうしたらいいのか。声かけるべきか。体をそっと動かしてソファの背もたれに寄りかかるようにすべきか。と悩んでいたのも束の間。肩に寄りかかっていた蔵馬の頭はズルズルとすべり、とうとうオレの膝の上に乗り、寝転ぶような姿になってしまった。
どれだけ熟睡しているのか?まるで、子犬のように。体を丸めるようにして、蔵馬がオレの膝の上で寝ている。あの、蔵馬が。もうお手上げだ。何も動けない。
見下ろせば、蔵馬の綺麗な顔。長い睫毛に縁取られた瞼。流れるようオレの膝に垂れる黒髪。それらを眺めながら、もう起きるまでこのままでいよう。そう思った時に、玄関から物音がした。
何処かに出掛けていたお袋が帰ってきたのだ。
それでアレだ。「あれ? 幽助が女の子連れ込んでる!」になったのだ。
「へぇー、オトモダチができたの」
それはよかったわね。と言いながら、帰宅早々にお袋はビールを一口煽る。あんたにオトモダチができるとはね、いやぁびっくり。なんて言いながら、テーブルに置いた総菜を口に運ぶ。今日の夕飯のおかずらしい。飯はこれから炊く予定だ。
「それにしても、綺麗な顔の子」
「手を出すなよ」
その蔵馬の顔を覗き込むお袋の顔が、とても女に見えて釘をさす。
「まさか、さすがに高校生には興味ないわよ」
いや、純粋な高校生なのか?妖怪だったけど命からがら人間の赤ん坊に憑依した。とか何とか言っていたような気がする。この人の中身は、一体何なのだろうか。義理堅く、非道で冷徹で、頭が良くて、人をおちょくるのも好きで、そういう意味では面倒で強引な性格。こうやって並べると、人としてはやな奴だけれど、、どこか放っておけない、危うい人。ホントに、こいつは何なんだろう?と思わず、手が蔵馬の髪を撫でようとしてしまった時、蔵馬の体がもぞりと動き、瞼が開いた。
「ん…ああ。悪い」
オレの膝の上にあった蔵馬の頭が離れていく。その髪を撫でようとしていたオレの手は行き場をなくし、宙ぶらりんだ。寝ていたみたいだね。と言いながら体を伸ばすと、久しぶりによく寝た。と呟いていた。
「あら、起きてもイイ男」
そんなお袋の声が聞こえた。
そういったことがあったのが、ちょうど暗黒武術会に招待される前だったかと思う。
結局、蔵馬は起きて、洗濯した制服を身に着けると、お邪魔しました。と言って帰っていった。その帰る直前。おれは蔵馬に言ったのだ。
「別に困らねぇーから、何か面倒なことがあったなら、ウチに来いよ」
「よく眠りたいとか、それでもいいし」
「ああ。そうする」
そう言っていた。だからその後、蔵馬は頻繫にウチにくるようなったのだった。